関東と関西で違う風習

京都の宮中では、御簾に菖蒲飾りが飾られたようだ京都の宮中では、御簾に菖蒲飾りが飾られたようだ

関西人が関東でうどんを食べると、汁が黒いことに驚く。関西では昆布とかつおでたっぷり出汁をとって薄口醤油で味付けをするのが一般的で、色はほんのり茶色い程度である。カップ麺も関東と関西で味付けを変えているとか。このように同じ日本の中でも、地域が変われば味付けが大きく違うものがある。風習やしきたりにも東西の違いがあるようだ。

5月5日の端午の節句も、関西と関東で違いがある。
そもそも端午の節句は、疫病が流行しやすい梅雨前に、邪気を祓うためにヨモギで人形を作って門戸にかけたり、菖蒲酒を飲んだり、薬草摘みをしたりした習俗が、中国の五節句と習合したもの。端午の節句という言葉の初出は、『続日本後紀』の承和6(839)年5月5日条で、宮中では、菖蒲を編んだ鬘を着用したり、菖蒲やヨモギなどの薬草で作った薬玉を御帳に掛けたりしていたようだ。

時代が下ると庶民も端午の節句を祝うようになる。『絵本大和童』『諸国図会年中行事大成』などの資料によれば、鯉が描かれた幟は往来に、人形や兜などの飾りは室内に飾っていたことがわかるが、この時代でも、関西と関東の端午の節句に違いがあったようだ。『守貞漫稿』には「京坂の人形は花美精製なものを用いる家が多い」とあり、江戸に比べると京都や大阪の端午の節句の人形は表情が優しげで、精緻なものが多かったらしい。

風習に違いが生まれるのは、風土が理由のこともあれば、その土地の素材を調達できるかどうかの問題もあるだろう。画像やデータなど通信が発達する前は、文化の伝播に時間がかかったから、京都から江戸に文化が伝播する間に、変わってしまうことも少なくはなく、逆もまたしかりだったはずだ。

端午の節句の風習の違いと違う理由

現代においても、端午の節句のしきたりに東西の違いが残っている。端午の節句に飾る人形といえば、武者人形や金太郎などの偉丈夫をモデルとしたものだが、それに合わせて飾るのは、関東では兜が多く、関西では鎧が多いという。また、5月人形の関東型はかがり火を飾るのに対し、関西型は陣屋提灯を飾るようだ。また、関東と関西では両立飾りは左右が入れ替わる。

虎の張り子を飾るのは、関西、特に船場あたり独特の風習だろう。
この習慣は、江戸時代末期に九州から関西にかけて流行した病気と深い関係がある。コレラは強い感染力を持つ流行病で、現代でも忌避されているが、江戸時代は致死率が高かった。「虎狼痢(コロリ)」と表記し、死に直結する病として非常に恐れられていたのだ。それに効くとされたのが、虎の頭骨などを配合した和漢薬。高価だがコレラによく効くとされ、船場商人は競って手に入れた。同時に張り子の虎も配布され、現代でも、11月に薬のまちである道修町の少彦名神社で開かれる神農祭には、張り子の虎を求める人たちが集まってくる。当時の船場の人たちにとっての虎は流行病除けの象徴だったから、本来疫病除けの意味があった端午の節句にも、虎の張り子を飾ったのだろう。

「龍虎」というように、龍と虎は強い動物の双頭。足利義満が虎の意匠を好んだのも、武士のトップである将軍と、虎を重ね合わせたからだろう。しかし、江戸時代は参勤交代などで大名たちの力が衰えたため、将軍が力を誇示する必要性が低くなり、江戸町人たちは虎をさほど好まなかったようだ。

また、それらの人形を贈るのは、関東では婚家の両親が多く、関西では嫁あるいは婿側の両親が多いと言われている。関西で嫁や婿の両親が孫に人形を贈るのは、商人のまちだからもあるだろう。商家では、嫁入り・婿入りすれば婚家の人間になるという考え方が強く、普段孫に何もできない嫁側・婿側の両親が、初節句のときくらいはと人形を贈っていたからと考えられる。

5月人形とともに虎の張り子を飾るのは、関西の風習5月人形とともに虎の張り子を飾るのは、関西の風習

粽と柏餅

端午の節句に食べるお菓子も関西では粽、関東では柏餅と違いがある端午の節句に食べるお菓子も関西では粽、関東では柏餅と違いがある

端午の節句に食べるお菓子と言えば、関西では粽だが、関東では柏餅だ。
粽は平安時代には京都を中心に食べられていた。平安時代の『倭名類聚鈔』には、餅米を植物の葉でくるんだものを灰汁で煮込んだ「和名知萬木(わみょうちまき)」の説明があり、保存食だったらしい。その後、京都では餅米で餡子を包み、菓子として食べられるようになる。当初は茅(ちがや)の葉っぱで包まれていたので「ちまき」と呼ばれたが、後に殺菌力の高い菖蒲の葉が使われるようになり、端午の節句と関連づけられるようになる。

一方、柏餅が生まれたのは第九代将軍の家重の時代、江戸が発祥と言われている。柏は「譲り葉」で、新芽が出るまで古い葉が落ちないので、跡継ぎが重要な公家や武家にとって縁起の良い植物。香りも気品があり、関西でも関東でも、儀式などで使用されてきた。しかし、関西以西には柏の自生地が少なかったようで、『日本書紀』にも、仁徳天皇の后である磐姫が柏の葉を求めて船旅をした記事がある。だから関西では、柏餅があまり定着しなかったのだろう。近年には餡を包んだ団子を、サンキライなどの分厚い照り葉で包み、端午の節句に食べる風習も生まれている。

他の地方における端午の節句

関東や関西に限らず、地域ごとに独特の風習がある。

たとえば長崎県では、粽や柏餅ではなく、煎り餅粉などで作った団子や、練り切りで餡子を包み、鯉を型どった「鯉菓子」を食べる。鎖国の時代も外国と通商があった長崎には独自の菓子文化があり、鯉菓子もその一つだと考えられている。鯉は泥川の中でもたくましく泳ぎ、滝を登って龍となると信じられた縁起の良い魚。息子が鯉のようにたくましく育ち、社会に出ては出世してほしいという親の願いが籠められているのだろう。

また、鹿児島県や山梨県、高知県などでは、武将が戦場などで掲げる「のぼり」に家紋や子どもの名前を入れ、鯉のぼりと並べて立てる。鹿児島県や高知県でなぜこの風習が根付いたかは不明だが、山梨県でのぼりが立てられるのは、戦国武将の雄・武田信玄公にあやかってだろう。

端午の節句の風習は地域によって違いがあるが、子どもの健やかな成長を祈る日なのは全国共通。子どものいる家庭では、地域の風習をもう一度見直しながら、成長を祈りながら端午の節句を祝ってみてはいかがだろう。

■参考文献
京都府京都文化博物館発行『平成十二年度京都文化博物館特別展 文化財保護法五十年記念 季節を祝う京の五節句』京都府京都文化博物館 学芸第一課編集 平成12年4月20日発行

鯉のぼりとともに家紋を入れたものを飾る地域もある鯉のぼりとともに家紋を入れたものを飾る地域もある

2018年 05月01日 11時05分