西日本で賃貸借契約を結ぶ際は「敷引特約」に注意

西日本で賃貸借契約を結ぶ際は「敷引特約」に注意

物件を賃借する際の初期費用として、敷金・礼金が必要になるのはご存知の方も多いだろう。敷金はいわば保証金で、賃料の1ヶ月分、あるいは2ヶ月分が相場のようだ。退去時に改修が必要な場合、原状回復費用が敷金から支払われ、残額が賃借人に返金される。似たシステムは日本だけでなく、他の国にも存在するから、家を貸し借りする場合、保証金を徴収するのは貸主側の常識的な危機管理と考えられる。
礼金はその名の通り、家を賃借するお礼として支払うもの。賃料1ヶ月分前後が一般的だろう。
しかし、日本国内でも、地域によって異なるシステムも存在する。たとえば関西をはじめとする西日本には、「敷引」を実施する地域がある。敷引とは、建物の賃貸借契約が終了し、部屋を明け渡すときに、契約締結時に支払われていた敷金の中から、一定額の敷引金を控除して賃貸人がとり、残額を賃借人に返還する特約のことで、賃料の1.5ヶ月分程度が相場のようだ。
敷引特約は東日本にはほぼ見られず、東から西へ引っ越す人にとっては戸惑うシステムかもしれない。そこで、この特約について、少し詳しく見てみよう。

敷引金とは何か、そして何に使われるのか

敷引金とは何か、そして何に使われるのか

関西で賃貸物件を借りる場合、敷金+礼金として家賃の4~8ヶ月分ほどの「保証金」を支払うことがある。契約時に敷金として2ヶ月分を支払ったとしても、明け渡し時に原状回復の必要がまったくないなら、2ヶ月分まるまる返金される。しかし敷引特約がある場合、保証金が4ヶ月分、敷引金が1.5ヶ月分ならば、どんなに丁寧に住んでいたとしても、1.5ヶ月分の金額は差し引かれることになる。もし原状回復が必要ならば、その費用がさらに差し引かれる。
では、敷引金はなんのためにあるのだろうか。延滞賃料や賃借人が賃借物件を損傷させた場合の修繕費用などは、敷引金からは支払われず、敷金から支払われるから、敷引金をどのような場合に使用するかは賃貸人次第だが、敷引特約契約の内容に「通常損耗の費用をまかなう」とあるものも少なくない。通常損耗とは、特に家を傷つけるような行為をしていなくても、居住していれば自然に生じる損傷のことで、たとえば畳のすり減りなどが該当する。また、賃借人が物件を明け渡す際、古い設備を交換したり、建物を改修したりするときに使うと説明する賃貸人もいる。さらに、更新料や礼金の一部を代替する場合もあり、さまざまだ。

敷引金が徴収されている地域とその背景

敷引金が徴収されている地域とその背景

敷引の習慣がいつどこで、どのような経緯で始まったかは定説がなく、よくわかっていない。商人の町・大阪から始まったという説もあるが、国土交通省の資料では、2005年~2006年に結ばれた賃貸物件の契約で、敷引金が徴収されている割合は、兵庫県と福岡県がぬきんでて高い。国土交通省「社会資本整備審議会 住宅宅地分科会 民間賃貸住宅部会『最終とりまとめ』参考資料」(2010年)によると、兵庫県96.0%、福岡県89.5%、京都府51.0%、大阪府29.9%、北海道28.6%となっている。東日本でも実施されていないわけではないが、東京都は5.3%、埼玉県3.4%、千葉県0.4%、神奈川県で0.3%と、西日本とは比較にならない。
兵庫県も福岡県も港町として栄えた土地柄だから、ごく短期間だけ滞在する賃借人に対応するシステムだったのかもしれない。また、商人の町・大阪から始まったのだとすれば、大阪商人の気質が敷引金のシステムを発想させたのかもしれない。
武光誠著の『大坂商人』によれば、大阪商人と江戸商人の違いは、武士と商人の関係の違いにあるそうだ。江戸の商人は江戸詰めの大名を相手にする「御用商人」になることが、一種のステータスだった。当然、買い手である武士の立場が強く、売り手である商人はご機嫌とりに力を注ぐことになる。しかし大阪商人の商売相手は主に町人だったため、売り手も買い手も平等の立場だったのだ。長屋などの賃貸人と賃借人も同じで、大家は店子の親代わりのように親身に世話をした。自然、大家が店子の面倒を見るためにお金が必要なこともあったろうから、敷引金はそのような場合のために使われたとも考えられる。
また、18世紀初め、京都の石田梅岩(巌)が始めた心学も、大阪商人に大きな影響を与えている。その中で「律儀」が美徳とされ、大丸を創業した下村彦右衛門の家訓『主人心得之巻』にも「何事であっても律儀正直であって、余念なく強く勤めることができれば、立身はいたし安いものである」とある。吉原で豪遊し、何事にも華美を好んだ江戸の商人とは違い、大阪商人は、豊かになればなるほど、立場が上になればなるほど律儀と質素を大切にすべきとする風潮があった。律儀で質素な大家は、集めたお金を無駄遣いすることはないと信じられていたからこそ、賃借人が敷引制度に不満を持たなかったのではないだろうか。

民法と敷引金

民法と敷引金

しかし、なんら問題を起こさなくても一定額が徴収される敷引金に納得できない賃借人も少なくないようだ。過去にも、「消費者の利益を不当に害する条項がある場合、その条項を無効にできる」とする消費者契約法10条に基づいて、敷引特約を無効にする裁判が起こされている。特に知られているのが、平成23(2011)年度に起きた京都市西京区のマンションの賃貸借契約における敷引金の返還請求で、本件に関しては「敷引金が特約の趣旨を逸脱する高額な場合でないならば、信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するとは直ちに言えない」と判決が出た。
しかし2015年2月23日に法務省が発表した「民法(債権関係)の改正に関する要綱案」によると、2020年4月1日に施行予定の改正民法には、

(1) 賃貸人は、敷金(いかなる名義をもってするかを問わず、賃料債務その他の賃貸借に基づいて生ずる賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務を担保する目的で、賃借人が賃貸人に交付する金銭をいう。以下この7において同じ。)を受け取っている場合において、次に掲げるときは、賃借人に対し、その受け取った敷金の額から賃貸借に基づいて生じた賃借人の賃貸人に対する金銭の給付を目的とする債務の額を控除した残額を返還しなければならない。
ア 賃貸借が終了し、かつ、賃貸物の返還を受けたとき。
イ 賃借人が適法に賃借権を譲り渡したとき。
(2) 賃貸人は、賃借人が賃貸借に基づいて生じた金銭の給付を目的とする債務を履行しないときは、敷金をその債務の弁済に充てることができる。この場合において、賃借人は、賃貸人に対し、敷金をその債務の弁済に充てることを請求することができない。

と、明記されるようだ。それゆえ繊細な運用が求められ、件数はさらに減少するだろう。
今後敷引特約はなくなるかもしれないが、このようなシステムがあったことは記憶に残しておきたいものだ。

■参考
株式会社筑摩書房『大坂商人』武光誠著 2003年5月10日発行
株式会社有斐閣『〈判旨〉から読み解く民法』水野謙・古積健三郎・石田剛著 2017年5月20日発行

2018年 11月22日 11時05分