伏見城下町で酒どころとして発展

月桂冠大倉記念館[月桂冠提供]月桂冠大倉記念館[月桂冠提供]

京都盆地の南の端、京都駅から約7キロ南に位置する京都市・伏見。
東西3キロ、南北4キロのエリアに二十数軒の酒造会社が操業する酒のまちだ。この地で江戸時代に創業し、現在も本社を伏見に置く月桂冠株式会社は、その酒造りの歴史を振り返る「月桂冠大倉記念館」を1982年にオープンさせた。1987年には一般公開を始め、来場者は2018年4月、300万人を超えた。国内外の多くの人々が訪れる「月桂冠大倉記念館」で、月桂冠の酒造りについて聞いた。

そもそも伏見が酒のまちとして知られるようになるのは豊臣秀吉が伏見城を築き、城下町が活況を呈していたころから。その後、伏見城が廃城となり、まちの主役が武士から商人や町人に変わった江戸時代、酒の産地として定着していった。月桂冠が伏見で酒造りを始めたのも、伏見が新たなまちへと変化を遂げていた1637年。初代・大倉治右衛門が現在の京都府相楽郡笠置町から伏見の地に移り、「笠置屋」という名で開業。酒の名は「玉の泉」だった。(※「月桂冠」は1905年に商標登録され、酒銘として用いられるようになった)

「酒造りがさかんだったとはいえ、まだ伏見の酒は地の酒であり、地場産業的なものでした。全国へと販路を広げていったのは、明治になってからです。伏見には、江戸時代、各藩が屋敷を置いていました。その広大な土地を使って伏見の酒造業はさらに成長していきます」(月桂冠総務部広報課長の田中伸治さん)

全国展開を成し遂げた若き当主

幕末、鳥羽伏見の戦いでは、多くの酒蔵や民家が焼失したが、月桂冠の当主・大倉家の本宅は奇跡的に戦火を免れた。時代は明治となり、それまであった大名の屋敷や用地の跡地を活用して酒蔵を建て、月桂冠の酒造りは発展していく。加えて、1889年に東海道線が開通し、鉄道を使って東京へと出荷することができるようになったことは、大きなビジネスチャンスだった。この時期、月桂冠を率いていたのは、13歳で当主となった11代目・大倉恒吉だ。

「現代でいう〝ベンチャー〟という感じでしょうか。一代で事業規模を100倍にした人物です。普通は当主でしたら帳場に座って、経営に専念していればいいとなりそうですが、13歳で継いだ大倉恒吉は、母親の方針により現場に入っていろいろな苦労を経験します。そして科学技術と出会い、日本酒メーカー初の研究所を創設しました。防腐剤を入れずに、瓶につめたお酒を売り出すと、これがヒットしました」(田中さん)。

汽車内で、お弁当を食べるのと一緒に飲んでもらえるようにと、コップ付きの瓶入りのお酒を商品化するなど、新しいことにチャレンジするアイデアマン。オリンピックの勝者に贈られる「月桂冠」を酒の名前にしたのも、大倉恒吉だ。明治の近代化という時代の波をキャッチし、月桂冠を全国に名を知られる酒造メーカーへ。月桂冠は大きな飛躍を果たした。

11代目当主大倉恒吉(1912年)[月桂冠提供]11代目当主大倉恒吉(1912年)[月桂冠提供]

冷たい空気を取りこむ酒蔵建築

北へ向かって屋根が高くなる酒蔵の造り北へ向かって屋根が高くなる酒蔵の造り

「月桂冠大倉記念館」は、そんな月桂冠の歴史と酒造りを紹介する施設だ。
記念館の建物は、明治期の酒蔵を補修しながら大切に利用している。天井には、米松の小屋組みの太い梁が渡され、中に入るとひんやりとした空気が心地いい。この場所で月桂冠の酒が生まれ、全国へと送り出されていった。現在も、隣接する「内蔵酒造場」では、昔ながらの方法で酒造りが行われている。仕込み作業は不定期だが、温度や湿度管理のもと、一年を通して酒を造っており、タイミングがあえばガラス越しに作業の様子を見ることができる。
かつての酒造りはいわば、自然との共同作業だった。温度や湿度を敏感に感じ取らなければならない。田中さんによると、酒蔵の建物には自然と温度調節ができる工夫がなされているのだそう。

「屋根の高さは北の方が高くなっています。これは冷たい空気を取り込むためです。南側にあたる手前の、一番屋根の低いところは、米を蒸したり、冷ましたりする場所、中央部分は麹造り、そして一番北、最も涼しいところに大桶を置いて発酵させます。作業内容に合わせて適した場所を使い分ける構造なんです」。

外から見ると確かに屋根の頂点は北に行くほど高くなっていて、窓の数も多い。エアコンなどない時代、人々が見つけ出した知恵だ。

受け継がれてきた用具、技術、そして思い

江戸時代の酒造りの工程を紹介した展示室では、伝統的な酒造用具も見ることができる。代々受け継がれてきた酒造用具もとても貴重なものだ。巨大な桶や酒槽(さかぶね)。大量の酒を仕込むのは重労働だ。酒造り唄を歌いながら職人たちがダイナミックに酒造りをしている姿が思い浮かんだ。同社所有の酒造用具のうち、6120点が「京都市有形民俗文化財」に指定されている価値あるもの。さらに、これら酒造用具や記念館、旧本社の建物などは経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定されている。
日本の酒産業の近代化の足跡を私たちに伝える、貴重な存在でもあるのだ。

記念館で試飲ができるきき酒処には、明治期に大倉恒吉が考え出したコップ付きの瓶を復刻した商品もあった。月桂冠を全国ブランドへ押し上げたヒット商品は、現代の感覚からしても、洗練されたデザインで、凛々しいたたずまいで観光客を迎えていた。

「11代目は13歳で会社を継いで、苦労をしたのですが、地域の方や同業者に助けられた。その感謝の思いから、晩年は地元の町立病院建設のための用地や資金、地域の集会所の建設費用を寄付したそうです。地元に対する思いは14代目の現社長まで、代々受け継がれています」(田中さん)

中庭には、地下水をくみ上げている井戸、米を蒸すときに使っていた煙突、そして巨大な桶もある。科学技術の導入による近代化が進んでも、伏見で生まれ育った月桂冠の酒造りの礎はここにきちんと残っている。

(左上)駅売り酒コップ付小びん[月桂冠提供](右上)内蔵酒造場(右下)中庭(左下)展示室(左上)駅売り酒コップ付小びん[月桂冠提供](右上)内蔵酒造場(右下)中庭(左下)展示室

2018年 08月05日 11時00分