「買って住みたい街」ランキング 第4位「川越」

明治時代に江戸の伝統的な蔵造りを利用して形成された「一番街商店街」の町並み。現在では、長さ430mの通りに商店が立ち並ぶ明治時代に江戸の伝統的な蔵造りを利用して形成された「一番街商店街」の町並み。現在では、長さ430mの通りに商店が立ち並ぶ

2015年3月に当媒体で公表した「買って住みたい街、借りて住みたい街ランキング」。その中の買って住みたい街の首都圏エリアの結果では、吉祥寺、横浜、武蔵小杉などの人気エリアに次いで、第4位に埼玉県の「川越」がランクインしている。

川越といえば、昔懐かしい「蔵造り」商家が残り、江戸の風情を残す街として観光客も多く訪れる街。HOME’S総研の分析では、新築・中古を問わず戸建て住宅の購入を希望する回答者からの支持が高く、交通利便性だけではない街の魅力が上位に押し上げた要因だという。

しかし今でこそ小江戸で有名な川越の景観も、一時期は高層ビル街に変わる危機に瀕していたという。そうした中、地元の商店街や住民が声をあげ、まちづくりに改めて取り組むことで、現在の魅力的な川越の街が保持・形成された。

住民主体で行う川越のまちづくりとはどのようなものなのか? 長年にわたり川越のまちづくりを支えている「NPO 川越蔵の会」(以下、蔵の会)にお話をうかがった。

明治時代の大火により、火に強い「蔵造りの街」が形成される

お話をうかがった「蔵の会」四代目・代表、原 知之氏。一番街商店街老舗の陶芸品を扱う「やまわ」の店主でもある。店舗は1893年(明治26年)に建てられた蔵造りの建造物お話をうかがった「蔵の会」四代目・代表、原 知之氏。一番街商店街老舗の陶芸品を扱う「やまわ」の店主でもある。店舗は1893年(明治26年)に建てられた蔵造りの建造物

川越は、かつて「新河岸川」が交通の要となり、江戸の北の守りとして商業の発展した地域。東武東上線「川越駅」から約2km北に位置する「一番商店街」には、今も土蔵造りの構造を店舗に利用した「蔵造り」の建造物が立ち並ぶ。

蔵造りの町並みを守る「蔵の会」代表 原 知之氏によれば、この蔵造りは江戸の文化を色濃く残す貴重な建造物だという。

「川越は、これまでいくつかの大火を経験してきました。特に1893年(明治26年)の大火では街の約1/3以上が焼失するほど甚大な被害に見舞われています。この時、焼失を免れた建造物が蔵造りの建物でした。時はすでに明治に入り、レンガ造りの建造物が流行していた時代。しかしここ川越では火災に強い“蔵造り”に目をつけ、あえて江戸文化を色濃く残す蔵造りにより店舗を再建したのです」

その名残が、現在も長さ430mにも及び蔵造りの建造物が点在する「一番街商店街」の姿だ。しかし、明治期に形成されたこの風情豊かな商店街も、1960年代に入ると街の中心地が南側の駅周辺地帯に移り、いつしか人通りの少ない商店街へと姿を変えていく。1960年代~1970年代は「商店街で足を止める人は少なく素通りするだけ」になっていたという。

しかも、1970年代後半には周辺に高層マンションが建つようになる。一番街商店街も道路の拡張工事の計画があり保存の危機が訪れていた。そこで商店街の店主や住民は、協力して歴史的な町並みの維持に試行錯誤を重ねていくことになる。

せっかくの蔵も、看板に覆われ風情はなし

そもそも1970年代の前半から、川越でも歴史的な町並み保存の意識は高まっていたという。川越の蔵造りに興味を持っていた建築家やまちづくりの専門家、大学機関などが川越を舞台にした歴史的街区再生計画のアイデアも提案され、文化庁でも「伝統的建造物群保存地区」に川越の指定を検討していた。しかし、こうした外部からの働きかけはなかなか街に根付かない。当時は商店会側で伝統的建造物群保存地区の指定にも難色を示したという。店主側に“看板も立てられなくなるのでは”という不安が強かったためだ。

「蔵造りの建造物というのは、保存や修復に数百万から数千万の費用がかかることも少なくありません。これを個人で維持していくのは大変なこと。蔵造りは残っていましたが、当時は“蔵で人を呼べる”という考えもなかったため、無機質な看板や自動販売機、室外機などに覆われ、風情を感じられる町並みではありませんでした。蔵を残すためにはどうすべきか、“蔵を残して活用する”のではなく、“まずは商店街を活性化しないと蔵は残せない”と考えるようになったのです」

そこで、1983年には一番街の商店経営者や住民、川越を応援してくれていた建築家やまちづくりの専門家、有識者などからなる市民団体『蔵の会』(2002年にはNPO法人化)を結成。“蔵造り”の保全だけに目を向けるのではなく、商店街の活性化による街並みの景観保存を目指し活動が開始された。その内容は、まちづくりのデザイン活動や、イベントの開催、伝統的建造物の保存活動や広報および啓蒙活動などだ。

1987年には、「蔵の会」のメンバーの一部も参加する「町並み委員会」が一番街商店街の下部組織として発足。ここでは、67項目で構成された「町づくり規範」が策定され、蔵造りをはじめとした建造物の改装・改築時の審査などが行われている。

結果、かつて問題になっていた蔵造りのバラバラであったファサードも整えられ、高さや色合い、伝統的な蔵造りの風情が感じられる町並みへと整えられていったのだ。

昭和50年代の一番街商店街の景観。手前の店舗は原さんが営む「やまわ」さん。せっかくの蔵づくりの建物だが看板などで覆われ、残念ながら風情が損なわれている昭和50年代の一番街商店街の景観。手前の店舗は原さんが営む「やまわ」さん。せっかくの蔵づくりの建物だが看板などで覆われ、残念ながら風情が損なわれている

住民主導で「蔵の街」「大正浪漫夢通り」「昭和の街」などを再興

銀座通りには、大正時代に造られたモダンな建造物が残る。現在は「大正浪漫夢通り」として観光客にも人気が高い銀座通りには、大正時代に造られたモダンな建造物が残る。現在は「大正浪漫夢通り」として観光客にも人気が高い

現在の一番街商店街をみると、その景観は圧倒的だ。重厚な蔵造りの店が通りの両側を埋めている。どこかのテーマパークのように、雰囲気だけを模した古い町並みではない。実際に年月の重みを感じさせる建物群を目にすることができる。それも「蔵の会」「町並み委員会」や「一番街商店街」など、この古き町並みを残そうとする住民の強い意思と働きがあったからだ。

しかもこれらの会の取り組みは、蔵造りを残しただけでなく、その後、地域に広がりさまざまな波及効果を及ぼした。例えば、一番街商店街のすぐ近くにある旧銀座通り商店街では、明治から昭和初期の建物が残っていたことから町並み委員会をお手本に「大正浪漫委員会」を発足。アーケードを撤去し、モダンなイメージの歴史道として再生している。

また最近では、一番街商店街の駅寄りにある「中央通り」で、昭和の街を残す取り組みが行われているという。立門前通りには看板建築の商店やかつての芝居小屋「旧鶴川座」などがあり、ノスタルジーを感じさせる昭和の面影が残る。この地域を昭和の街として残そうと「川越中央通り『昭和の街』を楽しく賑やかなまちにする会」が誕生し、イベントの開催やまちかど博物館などの催し物が行われている。

「このほか蔵の会でも、空家問題などにも取り組んでいます。かつて芸者横丁として知られたエリアでは空家が目立つようになりました。これをなんとかしたいという思いから、会として空家を借り『埼玉県文化芸術拠点創造事業』の助成金を利用してリフォームを実施しました。現在はデザイナーの方が入居されギャラリーとして利用されています」

蔵の会がNPO法人化したのも蔵の保存のみならず、こうした地域の活性化に活動の幅を広げていくためだという。

重要文化財を守った住民の心意気

川越中央通りは、昭和ノスタルジーを感じさせる通りだ。「川越中央通り『昭和の街』を楽しく賑やかなまちにする会」も発足し、さまざまなイベントや『昭和の街』の保存活動が行われている川越中央通りは、昭和ノスタルジーを感じさせる通りだ。「川越中央通り『昭和の街』を楽しく賑やかなまちにする会」も発足し、さまざまなイベントや『昭和の街』の保存活動が行われている

「蔵の会」4代目の代表となる原氏は、現在「一番街商店街」が全国的な評価を受けるまでに再生した理由を次のように話す。

「ちょうど蔵造りの改装・改築が進む頃に、NHKの大河ドラマ『春日局』が放送され、その縁の地となる川越『喜多院』に観光客が集まりました。そうした幸運もありますが、専門家などと一緒に先代たちが柔軟に対応してきたことが大きいと思います。蔵の会では、専門家の方々も多く参加いただいていますが、専門知識や意見も素直に耳を傾けています。また、ここでは多くの組織が横断的に風通しよく連携します。一番街商店街、町並み委員会、蔵の会、行政など。会議がどこかであると言えば、それぞれの団体に声がかかり顔を合わせて相談できる文化が形成されています」

住民主導だからこそ、ひとつの事例が周りに波及し、広いエリアで地域の活性化が実現している「川越」。今でこそ川越の街には重要文化財に指定された建造物が多くあるが、当時は消滅の危機もあった。それを守ったのは住民の強い意志と努力なのだと思う。しかも保存を終着点とせずに、商店街の発展を目指したことが今の「川越」を形づくった要因なのだろう。

次回は、こうした川越のまちづくりを行政側はどのようにサポートしているのか? 行政の立場から川越市のお話をご紹介しよう。

2015年 10月17日 11時00分