築90数年の木造住宅が多数残っているまち、京島

2020年2月から3月にかけて墨田区京島周辺で「時空の長屋ザ・ワールド」と題したアートイベントが開催されている。死、食、剣、茶道、宿泊などをテーマに大きく3つの要素からなるイベントで、そのうちのひとつ、「宿の家」に宿泊するという体験をしてきた。

「宿の家」は大正末期に建てられた木造の平屋で築年数でいえば90数年。京島は1923年の関東大震災の直後に急速に宅地化が進んだ地域で、大震災直前までは田んぼと養魚場が広がっていた土地。その使われていない土地に本所など下町エリアで住宅を失った人たちが入り込んできたのだが、そこで活躍したのが「越後三人男」と呼ばれる大工集団。名称の通り、新潟から出てきた人たちで、土地を借りては木造の賃貸住宅を作り、貸してはさらに土地を借り……というやり方で京島を一気に宅地化した。「宿の家」もその頃に建てられたものである。

京島には「宿の家」以外にも彼らが建てた木造住宅が多く残されており、その中心は棟割長屋。路地で見かける2棟ほどのコンパクトなものから通り沿いに建つ数棟のものまでサイズはいろいろ。再開発で大きく変貌した駅前を除けば、どこを歩いても古い長屋に出くわすまちなのである。

古い建物が残ったのにはいくつか要因がある。ひとつは第二次世界大戦下で被災を免れたこと。下町エリアは広範囲に渡って焼野原になったのだが、京島は奇跡的に被害を受けなかったのだ。

また、越後三人男に代表される大工たちが自ら借地人になり、地主から借りた土地の経営を行ったことで、権利関係が複雑になっている点も大きい。土地を所有する地主が土地の売却や開発を進めたくても、借家人の立場が非常に強い、古い時代の借地借家法で契約している借家人との立退き交渉は時間、手間、費用がかかる。間に入る借地人も面倒なことには手を出したくなかろう。言ってみれば三すくみの状態が長く続き、その結果、昭和の風景が残されてきたのである。

明治通りからほんの数メートル入ったところに立地。路地の奥には長屋が見えていた明治通りからほんの数メートル入ったところに立地。路地の奥には長屋が見えていた

謎だらけ、行ってみないと分からない宿泊体験の内容

さて、「宿の家」である。建物は空き家になっていたものを6年前に改修し、アトリエ兼住居として使用後、1年半前から宿泊をメインにイベントなどに使用できるスペースとして活用されてきたもので、そこに美術作家である北川貴好氏が今回のイベントのために改造を加えた。どのような改造かはホームページでも明かされておらず、宿泊者はどきどきしながら参加することに。

単にどんな部屋かが分かっていないだけでなく、宿泊中、宿り手(宿泊者)は宿り主(アーティスト)の設定したハウスルールに従って宿泊を体験することになるのだが、その詳細についても一部「お蕎麦屋さんに出前を頼む」など想像できるものはあるものの、それ以外は謎のまま。一体、どんな経験をしたのか、ネタばれしない程度にいくつかご紹介しよう。

チェックインに指定された時間は15時過ぎ。現地に到着、普通は鍵を開けて室内に入ることになるが、ここではそうそう簡単に室内に入れてもらえない。まずは携帯電話経由の指示に従い、玄関を開けるとそこには赤い箱がぽつんとひとつ。以降もこの赤い箱は何度も登場するのだが、中には紙と指示に合わせたグッズなどが入っており、それに従って行動することになる。

最初の箱の指示は建物の前に設置された展望台(!)に上って周辺を見回すこと。軍手を使ってよじ登ってみると、長屋、町工場のある下町を上空から見下ろすことに。いつもは見ることのない高さからの風景はそれだけで新鮮だった。

続いては鍵を取りにご近所に出かける。教えられた先は日本でここでしか作れない、ニッチな品を生み出す町工場。気さくな職人さんにいつもは存在に気付いていなかった商品の奥深さについて説明を受け、一同感嘆。知らない世界を教えてもらった。

左から時計回りに玄関に置かれていた最初の指示、それに従って展望椅子に座る、鍵をもらいに行った工場ではこんなものを作っていた、そして室内の棚にはさまざまな場面で開くことになる箱が用意されていた左から時計回りに玄関に置かれていた最初の指示、それに従って展望椅子に座る、鍵をもらいに行った工場ではこんなものを作っていた、そして室内の棚にはさまざまな場面で開くことになる箱が用意されていた

指示に従っているのに自分を発見する楽しさ

渡された鍵は、単純に玄関の鍵を開けるものではなかった。そもそも、赤い箱が置かれていた玄関はイベント期間中室内に繋がっていないのである。そこで、宿泊者は箱に書かれた指示に従い、「え、こんなことをするの?」などとざわめきながら指示に従って行動し、室内に入ることに。ようやく室内に入ってもしばらくは電気を点けるなという指示が出ており、どきどきは続く。

一連の儀式が終わり、電気を点けた後は室内の意匠、照明に驚くことに。部屋を設えた北川氏は建築出身のアーティストで、既存のプレハブ家屋に無数の「穴」を開ける、公園に大量の古タイヤを持ち込むなど建築的アプローチで空間に介入して風景を再認識させる作品を制作したり、建築空間のリノベーションやまちを使ったワークショップなども行っている人。そのため、室内、特に風呂は大胆に改装されており、風呂に入るといういつもの行為がまるで違う儀式のよう。時間がなくて入れなかったが、これから行く人はぜひ、朝風呂を試していただきたい。

その後もチェックアウトまでアーティストが細かく設定したハウスルールを体験していくことになるのだが、身体を動かす、頭や手を使う、周辺を歩き回るなど普段だったら絶対にしないであろうことも多く、人の指示に従いながらも自分を発見していくような楽しさがあった。現代アート、インスタレーションと聞くとハードルの高さを感じる人もいるだろうが、素直に楽しむ気持ちがあれば良いもののようだ。

ロッキングチェアから外界を眩しく望む部屋。居心地が良く、ぼんやり座っているだけで楽しいロッキングチェアから外界を眩しく望む部屋。居心地が良く、ぼんやり座っているだけで楽しい

安くて美味しい下町グルメは必須、店の人との会話も楽しみたい

宿泊する人がアートの一部になるかのようなイベントなのだが、それを象徴するものとして個人的に面白かったのが塀に設けられた透明の靴箱。まちに向かって自分の靴を収納するため、本日、そこにどんな人が泊まっているのかが分かるのである。間接的にまちと対話するとでも言えば良いだろうか。初日なので反応はまだこれからだろうが、まちにいろいろな人が関心を持ち、訪れていることが地域にも伝わると良いなと思う。

宿泊体験は2020年2月8日から始まり、3月8日まで。2020年8月8日から9月6日まで開催されるすみだ向島EXPO2020でも開催する予定があるそうで、気になった人は情報をフォローしておこう。宿泊料金は税込み1万2,000円で、一人増えるごとに1,500円プラスで、最大4人まで。朝食はナイショだが、ご近所の店が作った、見て驚く品が用意されている。夕食(料金は別途個人負担)は唯一想像できる「お蕎麦屋さんの出前」を頼むことになっているが、ここには想像できないメニューがあるのでチャレンジャーはぜひ、それにトライしてもらいたい。

そして、できることならチェックインの時間よりも十分に余裕をもって訪れ、京島というまちを満喫してもらいたい。「宿の家」の近くにはキラキラ橘商店街、たから通り商店街、曳舟駅から延びる地蔵坂通り商店街などがあり、食いしん坊には危険な地域。熊本名物で竹輪にポテトサラダを載せた天ぷら・ポテちく天のようなB級グルメから安藤広重も描いたという江戸中期創業の老舗和菓子店まで幅の広い味が揃い、宿に持ち込めば楽しい夕食になるし、おやつや土産にも。下町価格も嬉しいポイントだ。

左上から時計回りにポテちく天のあったお惣菜店。その他の揚げ物なども充実、安かった。帰りに土産に買った味付きの焼き肉専門店。冷蔵トラックが冷蔵庫代わりの魚屋。このエリアには魚屋が多く、刺身から煮魚、焼き魚など種類豊富。商店街で買った品が並んだ夕食。途中で買い食いしたモノも含めると食べ過ぎた左上から時計回りにポテちく天のあったお惣菜店。その他の揚げ物なども充実、安かった。帰りに土産に買った味付きの焼き肉専門店。冷蔵トラックが冷蔵庫代わりの魚屋。このエリアには魚屋が多く、刺身から煮魚、焼き魚など種類豊富。商店街で買った品が並んだ夕食。途中で買い食いしたモノも含めると食べ過ぎた

建物好きなら撮影ポイントも多数

さらに魅力なのは人。商店街の人たちがいずれも気さくで親切なのだ。宿のコンシェルジュに教えてもらった寿司屋さんは買った自家製卵焼きを「すぐ食べるなら切りますよ」と人数分に切り分けてくれ、惣菜屋さんは「最後だからいいよ、おまけするよ」とありがたいサービス。気持ちの良い会話と人情を味わえるまちなのである。

もうひとつ、見逃せないのが建物。前述した通り、このエリアにはレトロ感漂う長屋その他の建物があり、建物好きならついつい写真を撮りたくなる。加えてここ10年ほどで「宿の家」を含むイベント全体を主催する京島長屋文化連絡会の後藤大輝氏が中心になり、長屋をリノベーションしたカフェ、ゲストハウス、スタジオ、ギャラリーなどが増加。外から見るだけでなく、体感できる長屋も登場しているのである。そのうちには明治通り沿いの分かりやすい場所に立地しているものもあり、まちに不案内でも行きつけるはずだ。

「宿の家」同様に、北川氏の建築プラスαの感覚が生かされた京島の民泊図書館KAB Library and Residencyは有料でメンバーになることもできる。長屋の中住戸をリノベーションした民泊図書館は既存家具を組んだ天井までの本棚が圧倒的な空間で、美術、建築を中心にした書籍、雑誌、パンフレットなどがぎっしり。それを見下ろす屋根裏が客室になっており、荒々しい作りのトイレ・バスルームも見ものである。

もちろん、古い建物なので今の建物に比べると不便、不自由なところもあるが、それが逆に長年、この土地で社会や人の移り変わりを見てきた建物であることを実感させてもくれる。一泊二日という時間以上の経験をしたというのが宿泊してみての感想である。2~3人で経験を共有しながら滞在すれば忘れられない時間になると思う。

左上はキラキラ橘商店街と明治通り沿いの角にある日替わりカフェ。その下は明治通りにある三軒長屋を利用したカフェ、ゲストハウス。焼き菓子が美味だった。そして右が民泊図書館。迫力があった左上はキラキラ橘商店街と明治通り沿いの角にある日替わりカフェ。その下は明治通りにある三軒長屋を利用したカフェ、ゲストハウス。焼き菓子が美味だった。そして右が民泊図書館。迫力があった

2020年 02月19日 11時05分