高齢化するニュータウン再生のための空き家活用

本連載では郊外について、特に娯楽の歴史という観点から多くレポートしてきた。また、最近の郊外ニュータウンにおける夜の娯楽の活発化、スナックづくりについても、玉川学園多摩ニュータウンの例を紹介してきた。
同じような動きが鳩山ニュータウンにもある。しかも気鋭の建築家で東京藝術大学准教授の藤村龍至氏が、空き家を活用して設計したものである。
現在は正式オープンのための水道工事などの資金を集めるべくクラウドファンディングで資金調達中ということで、早速取材に行ってきた。

藤村氏は埼玉県所沢市のニュータウンで育った。現在はコミュニティ・アーキテクトとして、全国各地でコミュニティの創生を担う施設の設計をしているが、埼玉出身ということで埼玉県内の自治体の仕事も多い。
鳩山ニュータウンはその一つであるが、特に鳩山ではニュータウン内の公共施設の管理を委託管理者として受託し、積極的にニュータウンの再生に関わろうとしている。

しかもその再生の一環として空き家を使い、家の一部をリノベーションしてスナックにしたのだ。住宅地なので正式にはスナックとはいえず「ニュー喫茶」という名称だ。藤村氏というと理路整然とした論客であり、その彼がニュータウン再生のためとはいえ、スナックづくりをするとは驚いた。しかし「これくらいのインパクトがないとニュータウン再生はできないと思ったんです」と藤村氏は言う。

鳩山ニュータウンの美しい街並み。しかし売り家もちらほら。鳩山ニュータウンの美しい街並み。しかし売り家もちらほら。

昭和の喫茶を昭和のニュータウンにつくる

スナック、じゃなくてニュー喫茶を経営するのは菅沼朋香さんというアーチストとそのパートナーのトヨ元家さん。菅沼さんが、藤村氏が教鞭を執る東京藝術大学の修士課程に在籍していた。その修了制作展で菅沼さんの作品を藤村氏が見て、彼女を鳩山ニュータウンにスカウトしたのである。

その作品はどんなものだったか。それは「スナック幻」という名の屋台を引いた彼女が地方に移住をしたいというものだったのだ。そう書いても何だかわからないだろうが、理解をするためには菅沼さんのこれまでのヒストリーを知る必要がある。

菅沼さんは名古屋市の美大を出てから同市の求人広告の代理店に入社。しかしちょうどリーマンショックが起こり受注が一気に減った。彼女は営業職で忙しく働き、寝ても覚めても仕事のことばかり考えていた。
「私は名古屋の郊外のニュータウンのサラリーマンの家庭に生まれたんで、会社勤め以外の働き方を学んでこなかった。正社員として会社に勤めることこそが美徳だった」と菅沼さんは言う。

入社3年目には精神状態が悪くなった。そんな中、「昭和喫茶にて」というCDに出会った。心に染みた。仕事の合間に古い喫茶店に行くようになり、そこで癒された。時が止まったかのようにゆったりと時間が流れる空間、客のとりとめのない世間話、効率化とは程遠い経営システム。今日より明日が明るいという高度成長期にも関心が芽生えた。
ニュータウンも高度経済成長期の産物だが、企業城下町であり、均質で、人工的で、お店もないニュータウンに菅沼さんはずっと違和感を持っていた。

就職して初めて1人で住んだのは新築マンションだったが、高度成長期に目覚めてからは、円頓寺という古い商店街にある喫茶店の2階に引っ越した。商店街にあるお店の、何十年も置きっぱなしでほこりをかぶった商品も味があった。
代理店も辞めた。出身大学の助手として働きながらアーチストとして活動し、名古屋の繁華街、錦のスナックのホステスとして四年間バイトをした。そこで客が歌う高度成長期の歌謡曲を憶えた。

菅沼朋香さん。於:ニュー喫茶幻(設計:RFA)菅沼朋香さん。於:ニュー喫茶幻(設計:RFA)

インパクトと発信力が必要 

郊外ニュータウン再生を語る藤村氏郊外ニュータウン再生を語る藤村氏

菅沼さんは、作品製作のために広い空間が欲しいので、地方への移住も考えていた。
「どうしようか迷って占い師に占ってもらったら、屋台をやれと言われた。屋台なら、場所は取らないし、自分の作品を見せられる。そういう屋台がたくさん集まれば街が面白くなるだろ?って。」
アートイベントの企画コンペに応募して屋台を作った。それを見た建築評論家に招待され、国際芸術祭に作品を展示した。そして東京藝術大学の先端芸術表現専攻に入学。屋台が人生を変えた。

研究をしつつ2台目の屋台を作った。その屋台は物を売るのではない。スナックだ。店名は「幻」。だが酒は出さない。
「幻を売る屋台です。高度成長期も今は幻だから」と言う。

それが藤村氏の目にとまった。彼は菅沼さんに鳩山ニュータウンの空き家への移住を勧めた。
「彼女を見て直感しました。彼女の発信力に期待したんです。彼女は全身で自分の世界をつくっている。映像も歌も屋台もポスターも。そこに迫力があった。」
指定管理者となる藤村氏の設計事務所に社員として彼女を採用し、管理者としての仕事をしながら、空き家をスナックにし、その他のアーチストとしての活動もすればいいと藤村氏は考えた。

ニュータウンで「流し」をして歌う 

実際、菅沼さんと元家さんは、夕方になるとニュータウンの中で「流し」に出る。酒屋の店先にイスとテーブルが出て、そこに常連さんが十数名集まる。そこに行って、ギターを弾き、歌を歌うと、客がお酒やつまみをおごってくれる。すっかり地域に溶け込んでいる。まるで昔の商店街や飲み屋街のような光景が広がった。

ニュータウンから出たかった菅沼さんは、今またニュータウンに戻ってどう思っているのか。
「ニュータウン、いいです!(笑)。都会には都会の良さがあるけど、やっぱり家賃が高いし、人間的なものを阻害する部分もある。作品製作のためには広い場所が欲しいので、都会暮らしは無理がある。だから地方移住も考えたが、鳩山なら都心にもすぐに出られるし、自然は多いし、のびのび製作活動ができますね。」
すっかりニュータウンに先祖返りしたようだ。

たしかに、人工的なニュータウンも40年の歴史を経て、住人も高齢化し、なごみや癒しや人付き合いを求めるようになったという時代の変化も背景にあるだろう。若い現役世代のバリバリ働く社員が住み、子どもは受験戦争、という時代のニュータウンでは、空気が張り詰めていただろうが、今は庭の緑も育ち、家も古びて、犬の散歩をする人たちは、なんだかとてもゆったりとしている。
そこに夕方から飲む場所ができて、流しも来るのだから、閉鎖的になりがちなニュータウンに、まさに風穴が開いた感じだ。果たしてニュータウン再生はここからどう動いていくのだろうか。

酒屋の店先の公園で盛り上がる菅沼さんとトヨ元家さん酒屋の店先の公園で盛り上がる菅沼さんとトヨ元家さん

2018年 06月20日 11時05分