デンマーク出身の建築家ヨーン・ウツソンがマヨルカ島に見たもの

建築史家・倉方俊輔さん(大阪市立大学准教授)が建築を通して世界の都市を語る、全15回のロングランセミナー(Club Tap主催)。第13回はスペインの首都マドリードとマヨルカ島を舞台に、20世紀以降の建築家たちの作品を取り上げる。遠い国から来た建築家の活躍や、歴史的建造物のリノベーションに、海を越え時代をまたぐ、地中海地域ならではの建築の有り様が浮かび上がる。

倉方さんは言う。「地中海地域では、強い日差しと濃い影のコントラストが際立ちます。ここではどの建築家も、その光と影が建物に与える影響を強く意識する。古代ローマの時代から変わることのない光と影の伝統を、現代の建築家がいかに再構築しているかが、この地域の建築の見どころです」

講義はまず、地中海に浮かぶマヨルカ島へ。最初の目的地はデンマーク生まれの建築家ヨーン・ウツソンの自邸「キャン・リス」(下の写真、1971年)だ。

「地元産の赤い石を刻んで積む、この地域の伝統的な材料と工法に倣いながらも、独自の建築が生まれています。建物の前には地中海が広がり、その向こうにアフリカ大陸がある。ここは世界地図の中にいることを実感するような場所です。北欧の海辺の街に生まれ育ったウツソンは、海を通じて世界とつながる立地に、まず共感したのかもしれません」

右上の写真はウツソンの代表作シドニー・オペラハウス、他3点がキャン・リス。地中海を望む開口部には、ガラスがはまっている。「端的に言って気持ちのいい空間です。その一方で、家具はすべて造り付けで、居場所が予め決められている。そこが建築家の住まいだな、と感じます」と倉方さん(写真は以下すべて撮影/倉方俊輔)右上の写真はウツソンの代表作シドニー・オペラハウス、他3点がキャン・リス。地中海を望む開口部には、ガラスがはまっている。「端的に言って気持ちのいい空間です。その一方で、家具はすべて造り付けで、居場所が予め決められている。そこが建築家の住まいだな、と感じます」と倉方さん(写真は以下すべて撮影/倉方俊輔)

“あったかもしれない原始住居”を想像させる「キャン・リス」

ウツソンは、世界遺産「シドニー・オペラハウス」(1973年)の設計者として知られる。しかし、シドニー、キャンベラ編で紹介した通り、この建物はコンペから竣工までに紆余曲折があり、ウツソンは志半ばで職を追われた。家族連れで移住したシドニーから、失意のうちに離れたウツソンが、新たな拠点に選んだのがマヨルカ島だったのだ。

「原設計者が完成を見届けることなく去らなければならないというのは、建築として失敗と言わざるを得ません。総工費は当初予算の何十倍にも膨れあがり、完成までに16年もの歳月を費やした。これもまた失敗です。最終的に完成したシドニー・オペラハウスは、特にその内装においてウツソンの原案から変化しています。ただ、ウツソンの原案なくして、今のシドニー・オペラハウスはありえない。そして、シドニー・オペラハウスは都市の象徴として観光の目的地となり、オーストラリアに莫大な富をもたらし続けています」

巨大な公共建築シドニー・オペラハウスと、こぢんまりした個人住宅「キャン・リス」。規模は違っても2つの建築は「似ている」と倉方さんは言う。「石の柱と壁で構成されたキャン・リスでは、地中海の光そのものがインテリア。この場所に、かつてこんな原始住居があったかもしれないと想像させます。エントランスには三日月をかたどった切れ込みがあり、月の満ち欠けや天体の運行を象徴しているようです。その土地の特性を、地球規模、人類史規模で捉えているように感じさせる。一種のコスモロジーは、シドニー・オペラハウスに通じます」

パルマ・デ・マヨルカのピラール&ジョアン・ミロ財団。上3点はホセ・ルイ・セルト設計のアトリエ(1956年)、下2点はラファエル・モネオ設計の本部棟(1992年)。大理石を薄くスライスしてはめこんだ開口部から、柔らかな自然光が射し込むパルマ・デ・マヨルカのピラール&ジョアン・ミロ財団。上3点はホセ・ルイ・セルト設計のアトリエ(1956年)、下2点はラファエル・モネオ設計の本部棟(1992年)。大理石を薄くスライスしてはめこんだ開口部から、柔らかな自然光が射し込む

ミロ、セルト、モネオがつなぐマヨルカ島のアートセンター

マヨルカ島は、20世紀美術の巨匠ジョアン・ミロ終焉の地でもある。ミロは1956年、63歳の年にこの地にアトリエ(上の写真)を構えた。一帯は今「ピラール&ジョアン・ミロ財団」として公開されている。ピラールとはマヨルカ島出身のミロの妻の名前だ。

アトリエを設計したのは、ミロの友人でスペインのモダニズムを代表する建築家、ホセ・ルイ・セルト。当時ハーバード大学デザイン大学院の院長の職にあった。セルトがアメリカにいたのはフランコ独裁政権下で亡命を余儀なくされたからで、財団のホームページによれば、ミロとセルトは手紙を交わしながらアトリエの設計を練り上げたという。現地での施工監理はピラールの兄弟エンリク・ジュンコサが引き受けた。

「セルトはル・コルビュジエのアトリエで学んだ経験を持ち、バウハウスの創設者ヴァルター・グロピウスによってハーバード大学に招かれました。日本の槇文彦さんも、ハーバードでセルトに師事しています。セルトは、アメリカにおけるモダニズム建築の確立と継承に大きな役割を果たしました」

フランコが死去した1975年、セルトはバルセロナでミロ財団ビルを完成させている。

セルト亡き後の1985年から、やはりハーバードで教鞭を執ったスペイン人建築家が、プリツカー賞にも輝いたラファエル・モネオだ。ピラール&ジョアン・ミロ財団の本部棟(1992年、上の写真)は、モネオの設計による。「展示室はほぼワンルームですが、自然光を巧みに採り入れ、コントロールすることで、多様な場所性をつくり出しています。それがミロの抽象に似合うし、マヨルカ島の風土にも適合しています」

ラファエル・モネオは、マドリード最大の鉄道駅、アトーチャ駅の拡張工事も手掛けている(下の写真)。19世紀に建てられた華やかな駅舎を保存しつつ、これと接続して新たな駅舎を建設し、鉄道のみならずバスや自動車による多様な交通の結節点として整備した。

「都市の権威を示す建築の新たな類型として、19世紀に登場したのが“駅”です。ヨーロッパ各地で、街の顔としての華麗な様式建築と、工業力を誇示する鉄とガラスのプラットフォームを組み合わせた駅舎が建設されました。アトーチャ駅が当時の通例と少し違うのは、表に鉄とガラスが現れていることです。イギリスやフランスの駅では、プラットフォームは隠し、正面は宮殿のように見せるものですが。近代化に遅れを取ったスペインが、これから追いつき追い抜こうとする意思が表れているように感じます」

ガラスのパヴィリオンを思わせる旧駅舎のプラットフォームは、植物園のように改修されている。「駅と温室は、19世紀後半に鉄を駆使した建物として同類です。駅舎を温室につくりかえることで、そこに本来育たない植物が育つ。これから列車で向かうべき、遠方に想いを馳せる場になっている。プールで亀を飼っていたり、マルシェのような出店が並んでいたりして、雑多なアクティビティを受け入れるおおらかな空間です。歴史ある駅舎を、ただ文化財として守るのではなく、現代のものとして使い続ける力量に感心します」

アトーチャ駅。上2点が旧駅舎、下2点は新駅。1984年〜92年と2007〜12年の2度にわたって拡張工事が行われている。「プラットフォームの円柱が並ぶ大空間は壮観です。古典の崇高ささえ感じられます」アトーチャ駅。上2点が旧駅舎、下2点は新駅。1984年〜92年と2007〜12年の2度にわたって拡張工事が行われている。「プラットフォームの円柱が並ぶ大空間は壮観です。古典の崇高ささえ感じられます」

近代の病院建築や煉瓦造りの発電所を大胆にリノベーション

マドリードでは、ほかにも歴史的建造物の大胆なリノベーションを見ることができる。

その一つが、アトーチャ駅の向かいにあるソフィア王妃芸術センター(下の写真)だ。メインの建物は1781年に啓蒙専制君主カルロス3世の命で建てられた病院で、設計者の名前を採ってサバティーニ棟と呼ばれる。1965年まで病院として使われ続けたあと、1980年から美術館への改修が行われた。外壁に取り付けられたガラスとスチールのエレベーターが、新たなシンボルになっている(下の写真)。さらに、2001年にはフランス人建築家ジャン・ヌーヴェルが、サバティーニ棟に接続するかたちで、新たな建物を付け加えている。

アトーチャ駅やソフィア王妃芸術センターと同じエリアにあるカイシャ・フォーラム(2008年改修)は、煉瓦造りの古い発電所をアートセンターにつくりかえたもの。設計はヘルツォーク&ド・ムーロン、東京でも「プラダ青山」(2003年)や「ユニクロ東京」(2020年改修)などを手掛けている建築家ユニットだ。

「ヘルツォーク&ド・ムーロンのプラダ青山は、ガラスブロックの建物の素材感や独特の形態が目を惹きますが、その前庭の使い方にも感心します。カイシャ・フォーラムも同様です。建物の前にあったガソリン・スタンドを取り壊し、隣の壁を緑化して広場をつくっています。本体である煉瓦の建物は、地面から切り離して浮かせ、その下にエントランスを設けて、広場からなめらかに連続するように変えたのです。この改修によって建物と大通りを広場でつなぎ、さらに建物を介して周辺の裏道も接続した。古い市街地に新しい動線や関係を生み出したのがリノベーションの妙味です」

左上の写真がソフィア王妃芸術センター。建物の反対側にヌーヴェル棟がある。他3点はカイシャ・フォーラム。煉瓦の建物の上に増築し、さらに建物の基部も掘り込んで、まったく新しい環境につくりかえている左上の写真がソフィア王妃芸術センター。建物の反対側にヌーヴェル棟がある。他3点はカイシャ・フォーラム。煉瓦の建物の上に増築し、さらに建物の基部も掘り込んで、まったく新しい環境につくりかえている

各国のスター建築家にフロア毎のデザインを依頼した5つ星ホテル

マドリード市内にある「ホテル・プエルタ・アメリカ・マドリード」は、12の客室階それぞれを別の建築家がデザインしたユニークなホテルだ。その建築家も、ジャン・ヌーヴェル、ザハ・ハディド、ノーマン・フォスターといった錚々たる顔ぶれ。うち倉方さんは、磯崎新のフロアと、その比較のために、アメリカ人建築家リチャード・グラックマンのフロアに泊まってみたそうだ。

「グラックマンの部屋は、色彩も素材も細部まで行き届いた、いかにもインテリアデザイナーらしいデザインです。対して磯崎さんの部屋は極端に暗く、写真に撮れない空間といえます。格子窓や朱色の什器、ヒノキの浴室と、外国人が期待する日本的要素をおさえながらも、この場でなければ感じ得ない、“建築”を訪れてこその体験が形成されています」

磯崎フロアのエレベーターホールは白い大理石に包まれて明るく輝き、そこから廊下に入った途端に暗くなる。だんだん目が慣れていくにつれ、周囲の色や素材が浮かび上がってくる。「見ているんだけれど、触っているような感覚」と倉方さんは言う。

「旅でスペインを訪れたのに、室内はまったくスペイン的ではないという、このホテルの設定自体がシニカルですね。しかし、土地と無関係の作者や無関係のデザインが、逆にその場の個性を再発見する契機になり得る。建築家というものの職能について、改めて考えさせられます」

取材協力:ClubTap
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ホテル・プエルタ・アメリカ・マドリード。右上の写真がリチャード・グラックマンデザインの客室。他3点は磯崎新デザインのフロア。右下写真のエレベーターホールもデザインしている。左下写真の椅子も磯崎のモンロー・チェア。「マリリン・モンローの曲線を使った椅子です。それだけなのに、力学的あるいは人間工学的に設計したように見えてしまう。モダニズム建築や現代社会に対する痛烈な皮肉になっています」
ホテル・プエルタ・アメリカ・マドリード。右上の写真がリチャード・グラックマンデザインの客室。他3点は磯崎新デザインのフロア。右下写真のエレベーターホールもデザインしている。左下写真の椅子も磯崎のモンロー・チェア。「マリリン・モンローの曲線を使った椅子です。それだけなのに、力学的あるいは人間工学的に設計したように見えてしまう。モダニズム建築や現代社会に対する痛烈な皮肉になっています」

2021年 01月10日 11時00分