伝統的工芸品に指定された大阪金剛簾

お話しを聞かせてくださった、井上スダレ株式会社 企画開発・営業部課長の増井良輔氏お話しを聞かせてくださった、井上スダレ株式会社 企画開発・営業部課長の増井良輔氏

家の中にいても日差しが気になる季節。大きな窓を遮光ガラスにしたり、カーテンを閉めれば紫外線対策にはなるが、風が通らず暑苦しい。また、エアコンで室温を調整すれば過ごしやすいが、それではいつまでたっても暑さに慣れず、外出するたび疲れ切ってしまう。
そんな時に思いだしたいのが、風通しを保ちながら日差しを遮ってくれる昔ながらの民具「簾」だ。
いまでは、ホームセンターで格安のものも売られているうえ、和風インテリアとしても見直されつつあり、様々なデザインのものが誕生しているようである。

今回、大阪府河内長野市にある「すだれ資料館」を訪問し、簾の歴史と最新の簾事情について、井上スダレ株式会社 企画開発・営業部課長の増井良輔氏にお話を伺った。
尚、資料館を運営する井上スダレ株式会社は、金剛簾生産者で構成される大阪簾工業協同組合の一員でもあり、金剛山の麓に自生する真竹を用いて作られる「大阪金剛簾」は、経済産業大臣が指定する「伝統的工芸品」にも選ばれている。

簾の起源は紀元前にまで遡る?

中国簾は糸を巻き付けて絵を表現している中国簾は糸を巻き付けて絵を表現している

まずは簾の歴史から教えていただいた。

「中国の『漢書』には、文帝の時代に簾の記述がありますから、紀元前から使われていたのではないでしょうか。日本でいつから使われるようになったかは明らかではありませんが、額田王の『君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の 簾動かし 秋の風吹く』という歌が万葉集に残っていますから、奈良時代には簾をかけて使っていたと考えられます」

最古の記録は奈良時代だが、それ以前の日本に簾がなかったとは言いきれない。新潟県の青田遺跡で約3000年前の葦製簾状編物が発掘されているからだ。
また、中国簾は糸を巻き付けて模様を表現しているが、中央アジアに位置するキリギスにも糸で模様を作った簾が作られているのが面白い。
はるか昔、簾はシルクロードを通って、遠くの国まで伝わったのかもしれないが、原始的な民具ゆえに、各地で自然発生的に誕生した可能性もある。人類にとって、簾はとても身近なものなのだ。

貴人から庶民へ

御簾は、竹の節が「く」の字模様になるよう織り上げている御簾は、竹の節が「く」の字模様になるよう織り上げている

簾のタイプは大きく分けて次の3つだ。
・神社仏閣に使われる御簾(みす)
・高価なオーダー品
・ホームセンターで見かけるような手ごろな商品

神社仏閣では、拝殿や本殿の前などに御簾がつるされていることが多く、神聖なものを俗から隔てる意味があるのではないかと考えられる。源氏物語など平安時代の絵巻物でも、高貴な人の座所に御簾がかけられているが、意味は同じだろう。現代の簾は夏のイメージが強いが、神社仏閣などで使われている御簾は、当時も今も1年を通じて使われてきた。

古来御簾は貴族が使用することが多く、庶民は使用が許されていなかったようである。葭などを原料にした、軒につるすタイプの簾は使われていた可能性もあるが、記録に残っていないので、明確にはわからないという。

11世紀ごろになると、京都で「御簾編(みすあみ)」という職人が誕生した。作業の様子は、13~15世紀成立の『鶴岡放生会職人歌合』『七十一番職人歌合』に残されており、現代と同じ編み方がされていたとわかる。当初は神社や寺の権門と強く結びついていたが、江戸時代になると商工業者として独立し、「御簾師」と呼ばれるようになった。江戸時代の風俗事典である『人倫訓蒙図彙』には、御所内の御簾は富小路竹屋町下の谷口和泉守、将軍家が用いる簾は望月某が生産するなど、事細かに記録されているが、御簾は貴族が使うものだったため、生産業者の多くが都にあったようだ。
庶民が使う葭簾が登場したのは天保二年(1831)、近江八幡で「近江屋」が葭簾商として創業し、その二代目にあたる源兵衛が普及させたと言われている。当時から、琵琶湖畔には葭が茂っていたのだろう。

大量生産されるのは明治になってから。シンプルなデザインの座敷用簾は一般家庭でも使用されるようになり、機械生産もされるようになったほか、簾戸も考案された。簾戸は夏障子とも呼ばれ、葭を使っていたようだ。

また、昭和23年には大阪府河内長野市でひご製造機が開発され、大量生産が可能になり、アメリカ向けに輸出が盛んになった。
「当時は国内需要がなく、井上スダレも100%輸出の時代でした」
と増井氏は教えてくれた。

金剛山のふもとで発達した大阪金剛簾

帽額の伝統的な紋様である窠紋と蝶紋帽額の伝統的な紋様である窠紋と蝶紋

御簾発祥の地は平安時代の都である京都と言えるが、なぜ少し離れた金剛山のふもとで大阪金剛簾が誕生したのだろう。
増井氏によれば、
「大阪の地場産業として簾が発展したきっかけは、伏見で簾の技術を習得して始めたという説と、伏見地方の簾職人を雇って始めたという説がありますが、金剛山系には昔から御簾の材料である真竹が豊富にあったのも大きな理由だと考えられています」
とのこと。真竹は苦味があって食用には適さないが、節の間が長く、簾に利用しやすいのだ。しかし、いくら節の間が長いといっても御簾の幅ほどもない。そこで、節の位置をそろえて模様にする。神殿用の御簾は「く」の字模様が施されており、龍のうろこを表現しているとも。また、高貴な色とされた黄色に染められることも多いそうだ。
近年では、竹ではなく木を材料とした簾も多い。柔らかいのでヒゴは太めだが、染色しやすいのが長所だとか。

大阪金剛簾を作るには、まず竹の皮をはぎ、4センチ程度の大きさに割っていく。次の「剥ぎ(へぎ)」と呼ばれる工程では、表皮側と内側部分に分けて薄くし、表皮側をさらに細く割って、太さの揃ったヒゴに仕上げる。
ヒゴができれば編み上げだが、最近の製品は、耐久性を考えて化学繊維で編まれたものが多い。

御簾の四方に縫い付ける縁のうち、上長押に沿う上辺部分を「帽額(もこう)」と呼び、伝統的な窠紋(かもん)と蝶紋(ちょうもん)が描かれてきた。窠紋は卵の入った鳥の巣を図案化したものといわれており、縁起の良い紋様だ。
そして最後に金具を取り付けて、検査すれば完成。伝統的な簾の生産には技術が必要で、手間もかかっていることがわかるだろう。

インテリアとしても楽しみたい簾

簾戸の事例。従来のイメージではなくモダンに仕立て上げられている簾戸の事例。従来のイメージではなくモダンに仕立て上げられている

簾は、カーテンと同じグループに属しており、昔は夏になると襖を外して、座敷簾に吊り替えていた。空調設備が整っている現代では、カーテンの機能性には劣ってしまうが、インテリアとして簾を使うと空間が引き締まるので、ホテルや商業施設でデザインとして使われているとか。飲食店では間仕切りとして使われることも多いそうだ。
このように現代の簾は、機能性よりもインテリアデザインとしての意味合いが強くなっている。風鈴は音で涼しさを感じるように、簾はその姿で安らぎを感じさせてくれるだろう。
暮らしの中に簾を取り入れてみるのはいかがだろうか。

すだれ資料館
http://www.sudare.com/

2016年 07月02日 11時00分