名匠・佐藤武夫の元歯科医院をリノベーション

故・佐藤武夫氏が手がけた、風格ある建物。旭川市庁舎と通じる意匠が印象的だ故・佐藤武夫氏が手がけた、風格ある建物。旭川市庁舎と通じる意匠が印象的だ

自分を受け入れてくれる居場所に身を置きながら、新しいことにチャレンジする、そしていつでも帰ってこられる―。そんな「巣」のような場所が、北海道旭川市にある。日本建築学会の会長も務めた著名建築家が手がけた元歯科医院を、20代や30代が中心となってリノベーションした「Nest Asahikawa」。住みながら仲間とつながったり、起業の準備や副業をしたりと、使い方はその人次第。シェアハウスやコワーキング、はたまた地域のたまり場のようでもある。目指すのは「安心×挑戦のコミュニティ」という。

この建物は築57年の木造2階建てで、1階が歯科医院、2階が住居として使われていた。各フロアは150m2弱あり、さまざまな使い方をするのに十分な広さ。3年ほど前から空き物件になっていたが、まちの活性化や不動産コンサルティングを手がける地元の設計会社が購入。将来的に隣接する建物をビルに建て替え、その駐車場用地として元歯科医院を取り壊す構想はあったが、具体化はしていなかった。

ただ、一味違った存在感のある建築物だった。旭川のレンガ建築を見ながら中学校に通い、やがて壁にレンガを採用した風格ある旭川市庁舎を設計するようになる、故・佐藤武夫氏の作。この歯科医院の一部にもレンガが組み込まれ、玄関には緑がかった陶製の取っ手が備わるなど、各所に重厚さが感じられる。木をふんだんに活用した階段の手すりや玄関部分の意匠は、市庁舎のそれに通じるものがある。

この物件をめぐる動きを地元のネットワークで耳にし、「これはおもしろいことができる」と設計会社から借りることにしたのが、Nest発起人の菊池佳さんだった。

地元に戻って痛感した、安心して挑戦できる場づくりの大切さ

立ち上げの経緯を語る、発起人の菊池佳さん(右)と髙橋栞さん立ち上げの経緯を語る、発起人の菊池佳さん(右)と髙橋栞さん

菊池さんは海外の大学を卒業後、長く海外を転々とし、国際機関や企業の海外展開を支援する経験を重ねた。同郷の妻や子どもとの生活を重視して、2018年夏に旭川にUターン。10月には知人たちと大掃除をして、居場所づくりの準備に取りかかった。菊池さんは、生きづらさを抱えている人や、何かに挑戦したい人たちが集まるシェアハウスのような場所を旭川でつくろうと考えていた。

「旭川にも新しい挑戦をする人はいるのに、集まれる場所が見えにくかった。地元に帰ってきた人にも、そんな場所がないと感じてもらいたくなかった」と菊池さんは力を込める。これまで多くの挑戦をサポートしてきた経験から「挑戦しても、こぼれ落ちる人は必ずいる。その時に『都落ちはいやだなぁ』と無理をして東京に残ってしまうパターンは多い。そうではなくて、『おおー、帰ってきたな。なんかやろうよ』と言ってもらえて、本来のポテンシャルを良い形で発揮する場が必要だと思っていました」

やがて菊池さんは仲間を増やしていく。2015年10月に東京から旭川へUターンしていた髙橋栞さんに出会い、発起人の輪に加わってもらうことになった。東京で体調を崩した経験のある髙橋さんは「地元を出て行ってもなじめず、自分の力を発揮できずにつまずいている人はいる。そんな人たちが地元に戻って立ち直っていくような居場所にもしたい」と話す。髙橋さんは近くの森やまちなかで、コミュニティづくりのイベントを多く開き、今後の事業化も模索している。

地元住民や移住者、来訪者が混じるコミュニティ

ほかにもゲストハウスのオーナーや学生たちを仲間に招き入れ、推進力を強化していった。共感する人とアイデアを出し合いながら、じっくり時間をかけてやろうと、2018年11月からセルフリノベーションに着手。壁紙をはがし、ワークショップも開きながら漆喰やペンキを塗り、床板を敷き、明るく居心地の良い空間に仕上げた。元日に告知した2019年1月4日の新年会には、子どもから人生のベテランまで40人が集まった。菊池さんは「最初、建物は壁がくすんでゴミもあり、廃墟のような印象でした。でもイベントをやり始めてから建物に『いのち』が入ったな、という瞬間がありました」と振り返る。

2階部分は居間、和室、浴室などのほか洋室が4部屋あり、ここを改装した個室に2人が住む。1階も手を加えて1人が暮らす。3人のうち2人は市外から移住した20代。富山県から「ジビエを極めたい」と2019年1月に移ってきた松村さくらさんは、「旭川は自分に素直になれるまち。ああだこうだ言われず、応援してくれる。やりたいことを実現する、志が同じ人がいます」と満足げ。髙橋さんも3月から入居する予定という。

2階の洋室1部屋はゲストルームとして暫定利用し、入居者の知人たちが遊びに来た時などに宿泊できるようにした。居間から一段高くなった和室では、2018年12月にアイスランドのミュージシャンが旭川公演を開いたり、2019年1月の新年会では参加者が今年の抱負を宣言したりと、イベントで使われている。

室内はリノベーションされ、音楽イベントなどでも活用されるようになった室内はリノベーションされ、音楽イベントなどでも活用されるようになった

ローカル・インキュベーターを目指して

1階部分は歯科として施術していたスペースで、これからは副業や開業準備に使う人に貸し出していく。3月には写真展やファッション展を開く予定も決まり、イベントにも活用する。「ちっちゃくていい。プロジェクトがポツポツと生まれ、増えていくと、まちは面白くなる。そしてその感動が多いまちが、最高のまちだと思うんですよ」と菊池さん。一から物件を探す手間や、大きな初期投資といった挑戦への障壁をなくすよう、軌道に乗るまで自由に使いやすい仕組みを整えていく。「安心できる居場所として、そして思いを行動に移すきっかけになる場所として、ローカル・インキュベーターにしていきたいですね」。

インキュベーションという言葉は「卵の孵化」に由来する。寝床にする人、事業を温める人、世話を焼く人が緩やかにつながり合って、まちを面白くしていく。旭川で生まれた「Nest(巣)」は多くの人に見守られ、静かに、しっかりと育っている。

「Nest Asahikawa」に暮らす移住者と、発起人の2人。事業化を模索したり、イベントを企画したりと、さまざまなチャレンジを始めている「Nest Asahikawa」に暮らす移住者と、発起人の2人。事業化を模索したり、イベントを企画したりと、さまざまなチャレンジを始めている

2019年 03月17日 11時00分