母のために始めた不動産投資でDIYに出会う

漆原秀氏が、埼玉県大宮市(現さいたま市)にあった実家を売却、千葉県館山市に一戸建てと1棟のアパートを建てて不動産投資を始めたのは、悪性リンパ腫が判明し抗がん剤治療を嫌がる母に、アパートの家賃収入でお金のかかる代替療法を存分に受けさせるためだった。そのうち、自分も南房総に別荘を建ててのんびり暮らそう。投資と趣味のための暮らしを考えて館山市に不動産を所有するようになった漆原秀氏が、まちに関わり始めたのはDIYと1冊の本との出会いがきっかけだった。

最初に出会ったのはDIY。「2008年に館山でアパートを建てた後、船橋、八潮で物件を買いました。そのうち、2011年に購入した八潮の物件は廃墟同然。そこで自分で手を入れ始めたのがDIYにはまるようになったきっかけ。完成した部屋で雑誌の家具モニターに応募したところ、受賞してソファをもらった上、ブログを書きませんかと誘われて書き始めたら人気に。子どもの頃、父が鳥小屋を作ったりしているのは見ていましたが、自分がはまるようになるとは思ってもいませんでした」。

もうひとつは日本で一番有名な大家とも言われる青木純氏の著書「大家も住人もしあわせになる賃貸住宅のつくり方」との出会いだ。青木氏は入居者が自分の好みで部屋に手を入れることができるカスタマイズ賃貸を始めた人。入居者と大家という、これまでは交わらないように思われた関係を超えた気持ちの良いコミュニティを生み出した人でもある。

左上から時計回りにキャンピングトレーラーのある側から建物を見たところ。建物そのものはよくある共同住宅。玄関回り、ポストなど外回りも改修されている左上から時計回りにキャンピングトレーラーのある側から建物を見たところ。建物そのものはよくある共同住宅。玄関回り、ポストなど外回りも改修されている

青木純氏の本に感動、チャレンジする専業大家になることを決意

「八潮では1階の部屋に手を入れていたのですが、大家のその姿が見えていても入居者たちは見て見ぬふり。見えない壁を感じ、気持ち悪いなあと思いながらも、不動産投資家としては管理会社にすべてを任せ、口出しをしないほうが良いのではないか、そのほうが手間もかからないしと思っていました。しかし、青木さんの本を読んで、自分でやってもいいんだ!と気づき、よし、やろうと思ったのです」。

DIYで得た自信もその決断を後押しした。IT系で起業し、その後リーマンショック時の低迷を経て他社へ就職したものの、仕事でのストレスからパニック障害を起こすなど精神的に落ち込んでいた時もあった漆原氏だが、自分の手でモノを作ることで立ち直ってきたという実感があったのだ。モノを作り、チャレンジし続ける父の姿に子どもが影響され、モノづくりの好きな、創造性のある子に育ってきてもいた。であれば、片手間で兼業大家を続けるより、きちんと物件、入居者と向かいあう専業大家となり、その背中を見せることは子どもにとってもいいのではないかと思ったのである。

ちょうどその頃、母のためにと建てたものの、母が完成を見ることが叶わなかったアパートのすぐ隣にある官舎が閉鎖されることを知った。1979年に建てられた、購入当時で築37年、1フロアに4戸×4階建ての、海上保安庁の宿舎だったRC造の建物で、以前は目障りとしか思っていなかった。だが、隣接地であり、この地域には珍しい規模、構造の建物である。そこに今までこの地域になかった物件を作ろう。漆原氏は売却情報を待ち、入札で同物件を手に入れた。2016年8月のことで、これがミナトバラックスである。

1階の共用スペースとして使われている部屋。この部屋は漆原氏がDIYした1階の共用スペースとして使われている部屋。この部屋は漆原氏がDIYした

気持ちいいご近所づきあいのある暮らし

建物の状況は悪くなかった。2~3年の任期で転勤する、出張の多い人たちが住んでいたそうで、きれいに使われていたのだ。和室3部屋の3DK中心だったため、間取り、床材は地元の若手設計事務所、大工さんに依頼して変更したものの、それ以外はDIY可、原状回復は不要とした。もうひとつ、コミュニティ重視の物件であることは最初から謳った。かつての八潮のような、入居者間、入居者と大家間に冷たい壁のある物件にしたくなかったのだ。

地元の不動産会社が案内してきた10組ほどはコミュニティという言葉に「は?」という反応だったそうだが、口コミ、Facebook経由の人たちには好評で次々に入居が決まった。「最初の入居は2016年12月。リノベーションが一段落したのは2017年4月なのですが、館山の海辺で築100年の洋館を改装、カフェをやるというカップルがカフェオープンまでにどうしてもと入居されました。この方が良い前例となり、今は入居者間にご近所づきあいが生まれています」。

新しい入居者がある度に歓迎会が開かれるのはもちろん、毎月1回はミナトバラックス住民の会、略したミナ会という夕食を持ち寄る集いが開かれており、それ以外にもクリスマス会その他季節のイベントがある。なんと、結婚披露パーティーまで開かれたというから、ご近所づきあい以上の親しさである。

「卵をもらったからドアノブにかけておくね」といった食べ物のやりとり、子どもの面倒を見あったりという日常的な付き合いもあり、聞いていると実に楽しそう。特に子ども達はそんな毎日を面白がっており、「今日もミナ会をやろうよ」と言い出すこともあるとか。ご近所に年代を超えた友達が多数いる、そんな暮らしなのだろう。

結婚式やクリスマス、餅つきなどスペシャルなイベントはもちろん、日常的にもさまざまな付き合いがあるそうだ結婚式やクリスマス、餅つきなどスペシャルなイベントはもちろん、日常的にもさまざまな付き合いがあるそうだ

1階に共用スペース、住戸はDIY可、原状回復無し

建物内を見せていただいた。1階の一番端の部屋はキッチン、ソファセットなどを備えた共用スペースで、人が集まるのはこの部屋。バルコニーから外に出ることもできる開放的な部屋で、ヴィンテージアメリカンの家具、ストーブ、看板などが飾られており、まるでショールームのよう。それ以外の1階の部屋は雑貨ショップ、図書コーナーなどの多目的スペースとして使うことを考えているものの、現時点ではすべて準備中。漆原氏がこのところ、他の活動(後述)に忙しいためだ。

住戸は63.36m2の3DK9室(うち1室はゲストルーム)、48.60m2の3K4室があり、現在は4階の広い部屋2室が空室。それ以外はファミリーや単身者が入居している。元々の3DKの仕切りを撤去、DK・Kと一部屋、残りの2部屋をそれぞれ繋げた広い1LDKとなっている部屋が大半だが、それぞれに使い方は異なっている様子。取材時に在宅されていた一室を見せていただいたが、玄関脇の壁に窓を作られ、収納内に棚が設置されるなど自分たちにとっての使いやすさを追求したDIYが行われていた。

「DIYは初めてという方も多く、最初は不安そうですが、そのうちにだんだん自信が付いてくるのでしょう、実に生き生きと楽しそうに部屋をいじるようになります。特に男性ははまってしまう方が多いですね」。

現在空いている部屋のうちには床を剥がしてコンクリートの土間にした大胆な部屋も。面白そうではあるが、個性的過ぎるのが敬遠されているようだ。使いこなしてやる!という猛者がいらっしゃるなら、ぜひ、チャレンジしていただきたい。

左上から時計回りに現在空室になっている部屋。収納が多く、水回りが広い、日当たりが良いのが印象的だった。左下はコンクリートがむき出しになっている部屋左上から時計回りに現在空室になっている部屋。収納が多く、水回りが広い、日当たりが良いのが印象的だった。左下はコンクリートがむき出しになっている部屋

住民になって知った地元の課題にチャレンジ

現在改装中のクリニック、トゥクトゥクと漆原氏。以前は結婚式場の送迎に使われていたものらしい現在改装中のクリニック、トゥクトゥクと漆原氏。以前は結婚式場の送迎に使われていたものらしい

ミナトバラックス購入を機に館山市に移住した漆原氏。住民として暮らすようになって地域の見え方が変わった。「来訪者だった約8年間は単なるお客さん。ところが、子どもが地元の学校に行き、毎日の買い物をするようになって急速に地元の人たちとの付き合いが増え、面白い人たちがいることに気づきました。一方で駅前にはシャッター街があり、移住したいまちとしての人気も低下中。住み続けてその風景に慣れてしまわないうちに、まちに関わろうと思うようになりました」。

現在手掛けているのは駅東口にある廃業したクリニックを利用した宿泊施設。館山駅周辺には100年続く古い旅館とビジネスホテルが1軒あるだけ。若い人たちに気軽に来てもらえるようにするためには手軽に泊まれる宿が必要。そこで1980年築、1階がクリニック、2階が院長の自宅だった建物を改装、カフェを備えたゲストハウスにしようとしているのだ。

もうひとつの試みがアジアの街角などでよく見かける乗り合い自動車トゥクトゥク。「鉄道、高速バスで館山に来ると、その後の足がなく不便。そこで最初はカーシェアを考え、ビートルのカブリオレを買って始めたものの、半年で1人しか利用者がなく失敗。そこで違うものをと考えたのがトゥクトゥクでした」。

残念ながらカーシェアとしてはまだまだ使われているとは言えないものの、地元のマルシェ、イベントでの試乗体験は大人気。いずれゲストハウスの送迎にも使うつもりで「常にトゥクトゥクが走っているまちが日本にあったら面白いでしょ」と漆原氏。賛同して、自分でももう1台買った人もおり、夢物語のようで夢ではないのかもしれない。漆原氏、通称うるさんの笑顔を見ているとそんな期待をしたくなる。

2019年 01月18日 11時05分