1888年に完成した南禅寺水路閣は、今なお現役の水路橋

「絶景かな、絶景かな」。歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の中で、南禅寺三門から満開の桜を眺めていた大盗賊・石川五右衛門が発する有名なセリフだ。

京都市左京区に位置する南禅寺には、この三門以外に多くの人が立ち寄る場所がある。それが、境内の南東にある水路閣。全長93.2m、高さ最大13mのレンガ造りのアーチ橋で、1291年(正応4年)に建立された南禅寺の風景に洋のエッセンスが不思議となじみ、その景観から写真スポットとしても人気が高い。

建築美に目を奪われがちではあるが、1888年(明治21年)に完成したこの建造物は、琵琶湖(滋賀県)から京都市内へと続く琵琶湖疏水の分線としての役割を担っている。今なお現役で使用されているのだ。

南禅寺界隈を歩くと、琵琶湖疏水に関わる多くのレンガ造りの建造物に出合える。今回は、歴史的価値も高いそんな建物を琵琶湖疏水の歴史とともに紹介してみよう。奇しくも、今年2020年は、1890年(明治23年)の琵琶湖疏水(第1疏水)の竣工から130周年という記念の年。この機会に、京都の近代化への歩みと、歴史が紡ぎだす美を感じてみたい。

南禅寺水路閣。レンガ造りの建物が珍しかった建設当時、南禅寺三門の上から工事の様子を見ようと多くの人が詰めかけたそうだ南禅寺水路閣。レンガ造りの建物が珍しかった建設当時、南禅寺三門の上から工事の様子を見ようと多くの人が詰めかけたそうだ

明治維新後、衰退した京都の復興策として計画。日本初の事業用水力発電所も誕生

まずは、琵琶湖疏水の歴史を振り返ってみよう。

「琵琶湖疏水とは、滋賀県大津市観音寺から京都市伏見区堀詰町までの全長約20㎞の第1疏水、第1疏水に並行して流れる全長約7.4㎞の第2疏水、そして南禅寺水路閣もある全長約3.3㎞の疏水分線などから構成されています」
そう話すのは、琵琶湖疏水記念館資料研究専門員の久岡道武さん。琵琶湖疏水建設の目的についても聞いてみた。

「明治維新後、東京遷都により衰退した京都を憂いた第3代京都府知事の北垣国道が復興策として琵琶湖から水を引き、その水の力で産業振興を図ろうと建設を計画したのが始まりです。4年8ケ月の歳月をかけて、1890年(明治23年)に第1疏水が完成し、日本で最初の事業用水力発電所として蹴上発電所も建設されました。疏水分線ができたのもこの時期です」

第1疏水を活用した水力発電や水車電力によって京都の産業は大きく発展。また、舟運により人や物の行き来も盛んになった。

「その約20年後の1912年(明治45年)にできたのが第2疏水です。この建設により、大正時代には新たに3ケ所の発電所ができ、発電量はそれまでの約4倍に増加。この電気を用いて開業したのが市営電車。琵琶湖疏水によって、今日の京都のまちづくりの基礎ができたといえるでしょう」

琵琶湖疏水の歴史的価値が注目されるようになったのは昭和の後半のころからだ。南禅寺水路閣が京都市の史跡に指定されたのもその一例である。

平成に入ると、琵琶湖疏水はインフラ、歴史的価値という要素に加えて観光資源としての役割も担うようになってきた。特に話題になったのは、2018年(平成30年)の「びわ湖疏水船事業」だろう。1951年(昭和26年)にいったん途絶えていた舟運が67年ぶりに復活し、観光船として大津市~京都市蹴上間、約7.8㎞の区間を走行するようになったのだ。

130年にわたって京都の水を守る琵琶湖疏水。令和の時代も変わることなく、脈々と流れることだろう。

京都市蹴上にある琵琶湖疏水記念館の資料研究専門員・久岡道武さん。館内では、琵琶湖疏水の歴史に関わる多くの展示を見学できる(入場無料)京都市蹴上にある琵琶湖疏水記念館の資料研究専門員・久岡道武さん。館内では、琵琶湖疏水の歴史に関わる多くの展示を見学できる(入場無料)

レンガが渦を巻くように積まれた「ねじりまんぽ」に、ネオ・ルネサンス様式のポンプ室

久岡さんの話を聞いた後、南禅寺水路閣からもほど近い、レンガ建築が美しい施設を何ケ所か訪ねてみた(施設は外観のみ見学)。参考にしたのは、琵琶湖疏水記念館のホームページで紹介されている「岡崎・蹴上さんぽ」のコースだ。

最初に向かったのは、旧御所水道ポンプ室。京都市営地下鉄東西線「蹴上」駅から徒歩数分の場所にある。

駅から旧御所水道ポンプ室への道すがら、渦を巻くようにレンガが積み上げられた不思議なトンネル「ねじりまんぽ」がある。南禅寺へと続くトンネルで、上にはインクライン(傾斜鉄道)が通っているのだが、よく見るとトンネルはインクラインとは直角に交差していない。少し斜めに通っているのだ。その理由は、インクラインを移動する舟の荷重でトンネルが崩壊しないようにするため、また、特徴的なレンガの組み方も荷重を支えるために考えられたと言われている。

ねじりまんぽを通り過ぎ、左手に現れる細い階段を上がると旧御所水道ポンプ室が見えてくる。ネオ・ルネサンス様式とされる、石とレンガを用いて装飾が施された建造物だ。

この建造物は、京都御所専用の防火水路「御所水道」を通じて、御所で火災が起こった際に防火用水を高圧で送水するため、琵琶湖疏水から取水した水を高所にある貯水池まで汲み上げるための施設なのだ。1912年(明治45年)に現在の宮内庁によって作られたが、戦後、当時の京都の水事情を改善するために京都市に移管された。現在は役目を終えたものの、美しい姿はそのころのままである。今年4月には、貴重な産業遺産及び近代建築としての価値を評価され、国登録有形文化財(建造物)に登録された。

上/インクラインの下を通る、南禅寺に続く歩行者専用のトンネル「ねじりまんぽ」。トンネルの内部のレンガが、渦を巻いているようにらせん状に積まれている。ちなみに、まんぽとはトンネルを意味する古い言葉である 下/重厚感のある、ネオ・ルネサンス建築の「旧御所水道ポンプ室」。迎賓館赤坂離宮や京都国立博物館の建築で知られる片山東熊が設計した。びわ湖疏水船の発着地だ上/インクラインの下を通る、南禅寺に続く歩行者専用のトンネル「ねじりまんぽ」。トンネルの内部のレンガが、渦を巻いているようにらせん状に積まれている。ちなみに、まんぽとはトンネルを意味する古い言葉である 下/重厚感のある、ネオ・ルネサンス建築の「旧御所水道ポンプ室」。迎賓館赤坂離宮や京都国立博物館の建築で知られる片山東熊が設計した。びわ湖疏水船の発着地だ

蹴上発電所を眺めながら、かつて旅客や貨物を乗せた舟が陸送されたインクラインを歩く

次は、旧御所水道ポンプ室そばの蹴上船溜から南禅寺船溜までインクラインを下りてみよう。
蹴上船溜から見ると、ゆるやかな下り坂が582m続いている。両船溜の落差は30m以上。水路をつなぐのは難しいことから、レールを敷き、旅客や貨物を乗せ替えることなく舟ごと陸送できるようにした傾斜鉄道である。使われたのは、1891年(明治24年)~1948年(昭和23年)の半世紀ほど。今は線路のみが残り、どこかノスタルジックな風景が広がっている。

途中、左に見えるのが前述した蹴上発電所である。1891年(明治24年)に誕生してから、水力発電で得られた電力で工業生産や電気鉄道事業などに大きく貢献した施設だ。敷地の南側に立つレンガ造りの建物(第2期蹴上発電所)は今は使われていないが、その姿からは往時の面影を感じることができる。

インクラインを南禅寺船溜まで下り、疏水沿いに延びる歩道を歩いてみる。疏水沿いには動物園や美術館などが並び、散歩道としてもふさわしい。20分ほど歩くと、夷川発電所に到着。1914年(大正3年)に建設されて以来、現在に至るまで京都市内に電力を送電している。地元住民も観光客も行き交う場所にある小さな発電所だが、大きな役目を果たしている。

琵琶湖疏水の歴史に触れるとき、これらレンガ造りの建物は要所要所で存在感を放つ。久岡さんは、「当時、耐火性の高さから、レンガは学校や官公署など公共施設によく採用されていました。ですが建築史の観点でいうと、近代化の象徴。ヨーロッパの技術や思想を取り込んだ、時代の先端をいくシンボルだったんです」と、いう。

琵琶湖疏水事業おけるレンガ造りの建造物は、まさに京都の近代化の象徴だ。この事業で使われたレンガの数は、実に1450万個という記録が残されている。レンガを積むように重ねられてきた琵琶湖疏水の歴史。建物探訪で体感するのもおすすめである。

※取材・撮影は2020年3月下旬~4月上旬に実施

左上/貨物を乗せた舟をそのまま陸送できるインクライン。蹴上船溜(右奥)と南禅寺船溜の間、582mを結んでいた 右上/この線路を使い、インクラインは片道10~15分かけて二つの船溜を行き来していた。いまは、花見スポットとして人気が高い場所となっている 左下/蹴上インクラインの下流側にある南禅寺船溜。右側には琵琶湖疏水記念館が見える 右下/1914年(大正3年)に新設された夷川発電所。この1カ月後には伏見発電所(現在の墨染発電所)もでき、京都の電力供給量は一気に増加した 左上/貨物を乗せた舟をそのまま陸送できるインクライン。蹴上船溜(右奥)と南禅寺船溜の間、582mを結んでいた 右上/この線路を使い、インクラインは片道10~15分かけて二つの船溜を行き来していた。いまは、花見スポットとして人気が高い場所となっている 左下/蹴上インクラインの下流側にある南禅寺船溜。右側には琵琶湖疏水記念館が見える 右下/1914年(大正3年)に新設された夷川発電所。この1カ月後には伏見発電所(現在の墨染発電所)もでき、京都の電力供給量は一気に増加した 

2020年 06月13日 11時00分