“伝説の大工さん”が建てた、
地域でただ一軒、津波の威力に負けなかった家

最大浸水高約19.3mという大きな津波被害を受けた宮城県気仙沼市。その気仙沼湾に面した階上(はしかみ)地区・最知で“唯一津波に流されなかった家を建てた伝説の大工さん”が地元の評判になっているという噂を聞いて現地を訪れた。

その“伝説の大工さん”の名は、佐藤仁(ひとし)さん。残念ながらすでに他界されていてご本人にお話を聞くことは叶わなかったが、同地区には仁さんと同じ師匠(仁さんの父)の下で大工の技を学び、師匠からの教えを手本として昔ながらの家づくりをおこなっている弟子たちがいることを知った。そこで今回は、その弟子の一人である佐藤謙太郎さん(68)に、仁さんが建てた“唯一津波に流されなかった家”を案内していただくことにした。

▲JR気仙沼線(津波により壊滅的被害を受け現在はBRTが運行)の『最知』駅のほど近く、<br />“地域で唯一津波に流されなかった家”と評判のH邸は、海から50mほどの海岸沿いに建つ豪華・入母屋作りの邸宅だ。<br />東日本大震災当日は、巨大津波が高さ約4.0mの防波堤をやすやすと乗り越え周辺の建物を飲み込んでいったが、<br />H邸だけは、1階天井部分まで浸水しガラス窓や障子等が破られたものの、<br />家屋自体は傾くことなく津波の威力に耐え残ったという▲JR気仙沼線(津波により壊滅的被害を受け現在はBRTが運行)の『最知』駅のほど近く、
“地域で唯一津波に流されなかった家”と評判のH邸は、海から50mほどの海岸沿いに建つ豪華・入母屋作りの邸宅だ。
東日本大震災当日は、巨大津波が高さ約4.0mの防波堤をやすやすと乗り越え周辺の建物を飲み込んでいったが、
H邸だけは、1階天井部分まで浸水しガラス窓や障子等が破られたものの、
家屋自体は傾くことなく津波の威力に耐え残ったという

構造計算がなかった時代、“大工さんの腕”だけが頼りの家づくり

▲H邸を案内してくださった大工の佐藤謙太郎さん。現在は、工務店に勤務しながら若い大工さんたちの指導をおこなっている▲H邸を案内してくださった大工の佐藤謙太郎さん。現在は、工務店に勤務しながら若い大工さんたちの指導をおこなっている

「今どきのハウスメーカーは、地質調査だの構造計算だのってコンピューターを使っていろんな細かい下調べをしてるけど、私が師匠についていた頃は“構造計算”なんて言葉はなかった時代ですからね。家作りは、経験と勘に基づく“大工の腕”だけが頼りでしたよ」。


佐藤謙太郎さんは、中学卒業と同時に師匠の下へ弟子入りした。“伝説の大工さん”と呼ばれる仁さんと共に師匠の家で暮らし、ひとつ屋根の下で5年間寝食を共にしながら“大工としての独立”を夢見て師匠の技を学んできたのだという。

「師匠からの教えで一番心に残っているのは『材料は絶対に無駄にするな』という言葉ですね。当時は、今みたいに合板や集成材がなかったから、杉も檜も地元の山から切り出した無垢材を使っていました。高価な素材だからこそ、ちょっとした端材が残るとすぐに“何か使い道はないかな?”と考えてましたよ。その師匠の教えは、弟子の仁さんが作ったこのHさんの家にも生かされているんでしょうね。

軒下を見てみると、軒桁(のきげた)や丸桁(がんぎょう)に、まっすぐではない斜めに曲がった木材が使われています。今の若い大工さんたちに『ほら、これを使って』と言ったら混乱してしまうだろうけど(笑)、昔の大工は木が育った場所やその形を見て直感で“これをどこにどう使ったら、家が強くなる”ということが判断できたんですね」(謙太郎さん談)。

教本や方程式があるわけではないから、とにかく師匠のやっていることを見よう見まねで吸収していく。いくつもの現場へ出て、師匠の下で経験を積み重ねながら、“木の材質と組み方次第で木はとても強くなる”ということを、謙太郎さんは修行時代に学んだと語る。

複雑な入母屋作りを得意とする『気仙大工』の存在

▲「今の大工は、鉋(かんな)のかけ方も知らない人が増えたからね…」と寂しそうに笑う謙太郎さん。H邸の間口一間半の広い玄関に使われていた柱は12cm×18cmの長方形に製材された檜。柱部分で余った檜材はフローリング用にカットされ、ひとつひとつ手作業で床に張り合わされていた。ちなみに、H邸のような入母屋作りの家は、屋根だけでも相当な重量がある。そのため屋根を支える家の構造自体がもともと頑丈に作られているという▲「今の大工は、鉋(かんな)のかけ方も知らない人が増えたからね…」と寂しそうに笑う謙太郎さん。H邸の間口一間半の広い玄関に使われていた柱は12cm×18cmの長方形に製材された檜。柱部分で余った檜材はフローリング用にカットされ、ひとつひとつ手作業で床に張り合わされていた。ちなみに、H邸のような入母屋作りの家は、屋根だけでも相当な重量がある。そのため屋根を支える家の構造自体がもともと頑丈に作られているという

ところで、みなさんは『気仙大工』という言葉をご存知だろうか?

『気仙大工』というのは、岩手県・陸前高田市が発祥とされている大工集団の呼称。もともとは江戸時代、農閑期の農民たちが冬場の生活を支えるために大工の手伝いを始めたことがきっかけで独自の技術が発展し、東北の周辺地域へと継承されていったのだという。

『気仙大工』が手がけるのは民家だけでなく、神社・仏閣などの建物や、仏壇・神棚といった家具・建具類にまで至り、その精巧な仕上がりは“芸術品”とも讃えられるほど。特に気仙沼では『気仙大工』が建てた入母屋作りの家は別名『唐桑御殿(からくわごてん)』と呼ばれ、地元の水産漁業に携わる男たちにとっては“自分に贈る最高の勲章”として、また“富の象徴”として、その佇まいが周囲から羨望の眼差しを集め続けてきたそうだ。

あの大津波の威力にも耐え抜くことができたのは、
“木の力”とそれを知りぬいた“大工さんの知恵”の賜物

▲栗の木で作られた下見張りの羽目板、杉材を使った軒下の現しなど、大工の伝統技術がそこかしこに生きるH邸。写真には写っていないが、和室に設置された見事な神棚や漆塗りの欅の仏壇などはすべて無垢材による手作りで、津波の浸水を受けたものの、震災前の姿形をしっかりととどめていた。H邸では破損箇所の修復を検討しているが、現在では手に入らない素材も多く修復保留となっているという▲栗の木で作られた下見張りの羽目板、杉材を使った軒下の現しなど、大工の伝統技術がそこかしこに生きるH邸。写真には写っていないが、和室に設置された見事な神棚や漆塗りの欅の仏壇などはすべて無垢材による手作りで、津波の浸水を受けたものの、震災前の姿形をしっかりととどめていた。H邸では破損箇所の修復を検討しているが、現在では手に入らない素材も多く修復保留となっているという

「現代のハウスメーカーが作る家は、工場でプレカットされた構造パネルと金具で支えられていますが、『気仙大工』が作る家は、まず木材を見て、それをひとつひとつ手作業で組み立てながら家を支えていきます。

手作業をおこなうということは当然作業時間がかかりますから、一棟を建ちあげるのに早くて6ヶ月、通常なら1年程度の工期が必要です。一般的なハウスメーカーや工務店と比べると、倍以上の時間がかかるわけですから、最近は“家作りを大工に頼もう”という施主も減ってきました。

Hさんの家のように、大きく反り返った複雑な屋根構造の入母屋作りの家は『気仙大工』が建てる家の代表作ですが、この技術を受け継ぐ若い人たちが育っていないという課題もあります。

今回H邸が“唯一津波で流されなかった家”として評判を集めたことで、『気仙大工の技』がもう一度見直されると良いんだけどね…」(謙太郎さん談)。

東日本大震災の津波被害をきっかけに注目を集めた技術の数々、
この地で育まれた気仙大工の技を後世へと結びたい

「今も昔も変わらず、大工も施主も、家を建てるときに知っておかなくてはいけないものは、建物の構造のこと、材料のこと。そして、過去にどんな災害が起こったかなどの、その土地が持っている歴史ですね。

大工と施主がじっくりと家について話し合い、その土地に合った建て方、その土地に合った素材を選ぶことで、自然の脅威にも負けない頑丈な家を作ることができるんでしょう。

Hさんの家は、まさにそれを証明してくれたようなもの。私も自信を持って、師匠から受け継いだ技術と経験を、次世代の大工へ結びたいと思っています」と謙太郎さん。

長年の経験と勘と技術の集大成ともいえる“伝説の大工”が建てた家…津波の爪あとの中に唯一残されたH邸は、規格化・短工期・低価格重視の現代の家作りの在り方に対して、見直すべき課題を投げかけているのかもしれない。

▲写真左手に見えるのがH邸、右端に見えるのが気仙沼湾の海面。<br />震災以前、H邸の周辺には多数の民家が建っていたそうだが、H邸だけを残してそのほとんどが津波の被害に遭った。<br />今は震災後に建てられたという倉庫数棟のまわりに更地が広がっている▲写真左手に見えるのがH邸、右端に見えるのが気仙沼湾の海面。
震災以前、H邸の周辺には多数の民家が建っていたそうだが、H邸だけを残してそのほとんどが津波の被害に遭った。
今は震災後に建てられたという倉庫数棟のまわりに更地が広がっている

2014年 08月01日 11時00分