関西に現存するフランク・ロイド・ライト設計、ヨドコウ迎賓館

ヨドコウ迎賓館の館長、山元勝彦氏ヨドコウ迎賓館の館長、山元勝彦氏

20世紀のアメリカ合衆国が生んだ近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライト。その名はアメリカ国内のみならず、日本でも、帝国ホテル設計者として知られている。現代においてもライトと言えば、有機的建築で知られ、特に住宅作品において数多くの傑作を残している。

そんなフランク・ロイド・ライト設計の建物は、関西にも存在する。芦屋川から望む南斜面に自然と調和するように建てられた「ヨドコウ迎賓館」である。国指定重要文化財であるこの「ヨドコウ迎賓館」を訪ね、同館館長である山元勝彦氏と共に、彼が目指した有機的建築を知り、長く住み続けられる家づくりの秘訣について考えてみたい。

ヨドコウ迎賓館とフランク・ロイド・ライト

六甲山の麓、緩やかな傾斜に馴染むように建てられたヨドコウ迎賓館。自然との調和が美しい六甲山の麓、緩やかな傾斜に馴染むように建てられたヨドコウ迎賓館。自然との調和が美しい

ヨドコウ迎賓館とはもともと、灘の酒造家の8代目、山邑太左衛門の依頼を受けて、1918年に別邸としてライトが設計したものだ。設計から着工までには少し時間がかかり、ライトが帰国後の1924年に、遠藤新や同じく弟子の南信らによって建設された。

もともと夏場の避暑を目的として建てられた別荘だったが、やがて山邑氏の手を離れ、所有者が変わることとなる。1947年に3代目の所有者となった株式会社淀川製鋼所(ヨドコウ)は、社長邸として購入し、お客様をもてなす場としても使用したため、「迎賓館」と呼ばれるようになるが、時代の移ろいとともに役割を終える。一時期は、アメリカ人一家に借家として提供したり、社員の独身寮として使用したが、老朽化のため1971年には取り壊してマンションを建てる計画が立てられた。

「当時は文化財などを選定する学者であってもライトの名を知らない人がいたような時代でしたから、ヨドコウがそれほどの価値のある建物と認識していなかったのも無理はありません。ある意味、ライト同様、彼の建築物にとっても“暗黒の時代”が続いていたと言えますが、唯一、アメリカ人一家が10年以上の長きにわたって住まわれていたときは“良い時代”だったと言えるでしょう。どんな住まいも、人の暮らしがあってこその息吹き、輝きも生まれるというもの。地域の人にとっても大変シンボリックだったこの建物に毎日のように灯りが灯り、暖炉が使われていたこのとき、人の気配があることは安心感に繋がったようですから」(山元氏)

その後、有識者たちがヨドコウを説得に当たる。日本全体が高度成長期の最中にあった当時、マンションに建替えていればおそらく即日完売となったであろうが、ヨドコウは会社の利益よりも建物の保存を優先させ、マンション計画は中止。建物を残す方向で話が進んでいった。

「残すにしても廃墟のような状態でしたからね。補修は必須でしたし、維持費も相当なものでした。ライト建築の特徴づけている素材・大谷石を多用していましたので、それも問題でした。自然石ですから月日の経過とともに相当傷んでいました」と山元氏は語る。

こうした動きは地域の人々の想いにも拍車をかけることになった。フランク・ロイド・ライト建築を守ろう!という意識が高まり、そうした想いが伝わったであろうか、昭和49年に、異例の早さとも言えるスピードで国の重要文化財に指定されることになるのである。大正年間の建物として、またコンクリート建造物(RC造)としても第1号の認定である 。

工事費については国や地方自治体からの補助が受けられることとなり、保存修理工事は進められた。当時について、山元氏は
「およそ3年に及ぶ保存修理工事が終わり、ヨドコウ迎賓館として一般公開が始まったのが平成元年のこと。斜面に切り立ったこの建物はその景観こそ素晴らしいものでしたが、建物は斜めに傾いていましたし、経年による老朽化はひどいものでした。また、内装も所有者が変わるたびに手が加わり、間取り変更も行われていましたので、ライトが意図した設計とは必ずしも言えない状態でした。ジャッキアップで傾いた建物を水平に戻し、ライト建築の主旨に沿った形で内装を復元していくのは骨の折れる作業だったと言います。平成7年に起きた阪神・淡路大震災でも被害を受けましたが倒壊せずに済んだのは、このとき保存修理工事が行われていたおかげと言えるでしょう」と語った。

このヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)の設計はライトにとってもターニングポイントであったようだ。その後、ライトはかのカフウマン邸であり自身の最高傑作と評されることになる「落水荘」を発表し、建築家として第二の黄金時代を迎えたのである。

フランク・ロイド・ライト設計の特長である「有機的建築」

大谷石の壁面や柱によって切り取られた風景はまるで絵画。美しい情景が、訪問客を出迎える大谷石の壁面や柱によって切り取られた風景はまるで絵画。美しい情景が、訪問客を出迎える

建築家フランク・ロイド・ライトの特長と言えば、「自然と建築との融合」である。常に自然をテーマとし、土地と建物との一体化や周辺環境との融和を目指したことで知られている。
その魅力は、ただ単に自然を生かして建築しただけではなく、もっと深く、住まいや暮らしに「自然に学ぶ」精神まで吹き込んだからだと言える。だからこそ彼は、建物の外観だけでなく内装もすべて自然をお手本とし、自然と共存することにこだわり、壁や窓、照明器具に至るまですべてに“意味”を与えて設計したのだ。
ライト自身、「自然界に存在するものは、生きるために必要な部分だけでできており、建築するというのは自然から教えられたものを大自然の中に返す行為なのだ」と語っていたことからも明らかである。

「ヨドコウ迎賓館」にもこうした彼の想いが宿っている。例えば、外観。丘の稜線を損なわず、自然の傾斜に沿って建っていることは一目瞭然。さらに、山の手の高台ならではの眺望の良さを生かし、館内でも自然を主役にしたドラマチックな空間構成が成されている。
その1つが、「額縁効果」の発想だ。門から玄関へ向かうと車寄せがあるのだが、ここに立ってバルコニーを見やると、そこに広がる景色はまるで大谷石の壁や柱が額縁となった、風景画のよう。四季折々の自然が美しく切り取られ、見る者の心を奪う。
さらに室内へと歩を進めれば、従来の日本の建築ではまずあり得ないのだが、外装であるはずの大谷石が室内にも顔を出す。この「内外一体」の発想もライトならでは。自然をうまく室内に取り込みながら、見事に調和させている。ヨドコウ迎賓館のシンボルと言うべき窓や欄間などに据えられた銅板もライトらしい。自然との調和を目指したライトが自然のグリーンに近づけるために、葉をモチーフとしたデザインに緑青というサビを人工的に発生させたのだ。
換気用の小窓が多いのも特長であり、六甲山の風が西から東へと抜けることも上手に利用して、“自然のクーラー”さながらの快適さを実現している。

長く愛され、住み続けられる「家づくり」の参考に

かの帝国ホテルしかり、この「ヨドコウ迎賓館」しかり。ライトが建物の完成を待たずして帰国していることはただただ「残念」の一言に尽きるが、彼が確かにこの地に愛着を感じていたことは弟子たちの手記や回想録より明らかだ。ライトは、設計前に現地視察に訪れた際、芦屋川と芦屋浜の見えるこの地に大変興味を持ち、理想の建築ができると依頼を引き受けたと考えられる。

世界中に残されたライトの住宅建築は、築後100年近くが経た今なお、大切に手入れが行われ、住み続けられている。今回伺った「ヨドコウ迎賓館」は住む目的ではなく一般公開された建築物ではあるものの、家を建てる際の参考になりそうなポイントは多い。
例えば、随所にしつらえられた収納庫や納戸、飾り棚。現在でもデッドスペースの有効利用として活用されている設計術だが、当時すでにライトは「部屋には最低限のものしか置かない」として、当時としては非常に新しい発想で設計を行っている。敷地の高低差を利用して建物を階段状に設計し、空間に立体感を与えながらも地面から遠く離れていない感じを与える手法も、「土地と建物の一体化」という建築思想を表現したものだ。

ライトの設計術は、今日でも十分に魅力的であり、高い価値を感じさせてくれている。気鋭の建築家や住宅メーカーが商品開発の参考にと今なお「ヨドコウ迎賓館」に足を運ぶのには、そうした理由があるからだと言えるだろう。

ヨドコウ迎賓館:http://www.yodoko.co.jp/geihinkan/

「内外一体」「自然との調和」といったライト建築の魅力が余すところなく盛り込まれた応接間「内外一体」「自然との調和」といったライト建築の魅力が余すところなく盛り込まれた応接間

2015年 04月01日 09時35分