縁日は人が集まる大イベント、八百屋お七が火刑に処された日も縁日だった

八百屋お七の悲恋物語は、芝居や文楽作品の演目として人気となり、多くの文芸作品にも取り上げられた八百屋お七の悲恋物語は、芝居や文楽作品の演目として人気となり、多くの文芸作品にも取り上げられた

縁日に思い出をお持ちの方は多いことだろう。春は桜祭り、夏は盆踊りに花火大会、そして秋祭りや酉の市と、日本では四季折々の祭りで縁日を見ることができる。筆者も子どもの頃は、祭りとなると出店を巡り、風鈴やお面、ヨーヨーなどを買ってもらった思い出がある。色とりどりに飾られた出店が立ち並ぶ様は、子ども心に日常の世界とは異なる艶美な空気を感じていた記憶がある。

それにしてもなぜ祭りの出店が並ぶ様子を縁日と呼ぶのだろうか。出店は屋台や露店とも呼ばれ、屋台は移動式の屋根付き簡易店舗、露店は屋外販売店という意味である。

縁日はというと、有縁の日という意味であり、すなわち仏縁が有った日を指している。例えば開山や建立、開祖の永眠のように、仏教寺院やその宗門に関わる大事な出来ごとが起きた日を縁日と呼んでいた。つまり、もともとは出店とは何の関係もない仏教用語であった。

縁日の記録は、江戸時代の庶民の様々な年中行事を記した「東都歳時記」の中に見ることができる。例えば日蓮宗の欄を見ると、「慶長十六年六月二十四日、加藤肥後守清正卒す」、「寛永十一年、品川妙国寺本堂、五重塔、二王門再建」などと記載されていて、これらの日が日蓮宗の縁日であることがわかる。加藤清正は日蓮宗と縁が深く、大寺院の本堂や五重塔、二王門の再建落成ともなれば、さぞ盛大なお披露目が行われたことであろう。

また同書の「天和三年三月二十九日」の項には、「駒込片町八百屋久兵衛の娘お七、火刑に行はる 今年十六歳といふ」という記載もあり、墳墓は駒込円乗寺にあって、歌舞伎関係者によって再建されたものであるとも記されている。つまり八百屋お七が火刑に処された3月29日も縁日とされていた。

これら史料を見る限り、仏縁につながり、世人の関心を呼ぶ大事件が起きた日を縁日としていたことが分かる。歌舞伎の人気演目ともなった八百屋お七の処刑も、どれ程の見物人が群がり、大勢の人出でごった返したことだろうか。江戸初期は娯楽も少ないため、ことが起きれば見物しようと人々は我先に群がった。

記録に残されているだけでも、江戸の三大祭りである天下祭や、両国川開きの花火、浅草寺の四万六千日などのイベントには、江戸の各町から数万人単位で人の大移動が起こり、神田明神や浅草寺、両国橋近辺に大群衆が詰めかけたと記されている。

人が集まる場所は商売人にとって見逃せないチャンスである。縁日という大イベントに群衆が集まるたびに、商売人たちも集まってくるようになったのである。

人が集まるイベントには商売人も集まる、江戸初期には利権を争い騒動が多発

江戸の町は軍事都市であったため、堀と城壁は敵の進行を防ぐため幾重にも巡らされ、水運を考慮して螺旋状にも遡れるよう工夫がなされていた江戸の町は軍事都市であったため、堀と城壁は敵の進行を防ぐため幾重にも巡らされ、水運を考慮して螺旋状にも遡れるよう工夫がなされていた

現代社会においても、人が集まる場所には店舗が集まる。しかし当時は店舗を構えることができる場所は、町人地でのみ許可されていて、人出が見込める神社仏閣の参道や、川開きの花火が行われる河原や橋上では店を出すことが禁止されていた。そこで移動可能なスタイルで商売を始めたのが、当時の露店商人たちである。

そもそも江戸というまちは本質的には軍事都市であり、徳川家を守るための戦闘集団である武家と、その生活を支える商人・職人は、城の外濠の内側で生活していた。寛永8年(1631年)の記録から類推するに、江戸時代初期の外濠の内側の人口は武家地、町人地合わせて約28万人ほどであったと考えられる。

この外濠の内側だけで都市機構が賄えていた時期は、江戸の市中には露店商人は存在しなかった。何故なら商人や職人は、徳川家に仕える武家の生活を支えるためだけの存在であり、許されているのは拝領屋敷での商売や仕事のみ。自由な経済活動が認められていなかったからである。

しかし参勤交代が始まった寛永12年(1635年)頃より、各所の大名のための江戸屋敷が建設され始めると、江戸の人口の爆発的増加により外濠の内側だけでは賄いきれなくなっていく。まちは急激に外側へと広がり、市井の商業活動に大きな変化を生んだ。

店舗は外濠の外側にも広がり、町人地と武家地の町割りも乱れていった。また江戸という町の急速な肥大化により商業網の構築が追い付かず、簡易な商業スタイルとしての露店商人が黙認され、各地で見られるようになっていった。彼らは濠の内側と外側の交通の要衝である見附と呼ばれる門前の広場で簡易な市を開いたり、縁日などがあれば出かけたりして商売をしていた。

しかし商売が繁盛すれば、そこに利権も生まれる。江戸に新たに集まってきた人達の中には歓楽街を根城にする悪党者たちも居て、詐欺まがいの商売をしたり、露店の利権を争ったり、元から居た人たちは権利を主張して小競り合いが起きたりなど、犯罪や騒動が多発し治安が悪化する原因となった。

大岡越前守が作った香具師の組合制度、秩父に残された十三香具之沙汰

そこで当時の南町奉行であった大岡越前守が、それまでは闇市状態であった露店商人たちを合法的な生業の集団とするべく法整備を行った。それが「十三香具之沙汰(じゅうさんやしのさた)」と呼ばれる新法である。

十三香具之沙汰とは、見附市などで商売する露店商人を、製薬売り、居合抜きの傷薬売り、入れ歯師、独楽回し類、軽業師、手技療法の類、膏薬売り、曲鞠、艾売り、火口売り、歯磨き粉売り、小間物売り、見世物という13の職業に限って認めるというもので、いわば香具師組合制度である。この法整備により、江戸市中の治安は安定していく。

この香具師組合の許可証ともいえる「十三香具之沙汰」という文書は、秩父市に本拠を構える秩父商栄組合という露店商集団に今も残されている。これは文化11年(1814年)の商人人別控の史料中に存在するもので、近世後期の風俗を知る貴重な文書である。その中には、由緒書きや掟などが記されたものも存在し、当時の香具師商人仲間の実態を探る上でも貴重なものといえる。

江戸時代の秩父は江戸から大きく離れた小さな村であった。このような地域にまで許可証を発行するまでに、露店商人が広がっていたというのが驚きだ。なぜこれほどまでに発展していったのだろうか。

大岡裁きの逸話が残されている葛飾区の南蔵院にあるしばられ地蔵尊。この寺の門前で呉服商の荷物が大量に盗まれる事件が起きた。名奉行は「窃盗を黙って見過ごすとは同罪である」として石地蔵を捕らえさせた。その騒動を聞きつけ集まった大勢の見物人も不届きだとして、一人一反の反物を差し出させたところ、その中から盗品が見つかり当時の江戸を騒がす大泥棒を一網打尽に捕まえた大岡裁きの逸話が残されている葛飾区の南蔵院にあるしばられ地蔵尊。この寺の門前で呉服商の荷物が大量に盗まれる事件が起きた。名奉行は「窃盗を黙って見過ごすとは同罪である」として石地蔵を捕らえさせた。その騒動を聞きつけ集まった大勢の見物人も不届きだとして、一人一反の反物を差し出させたところ、その中から盗品が見つかり当時の江戸を騒がす大泥棒を一網打尽に捕まえた

コミュニティ単位での行事が発展、縁日は露店市メインのイベントへ

露店商人がここまで広がりを見せたのは、縁日が寺院から離れ、民間の一行事化したことが大きいと考える。それを促したのが地蔵盆の流行である。

地蔵盆とは辻々に祀られているお地蔵様と呼ばれる石仏に感謝をする行事をいう。道端にあるお地蔵様は、村の守り神としての道祖神的な要素と、子どもの守り神の性格を同時に持つ独特なものであった。それ故、中世期以降には寺社との関係性が徐々に薄まり、地蔵盆の流行が起こった近世では町行事として確立した。

この様に村落や町というコミュニティ単位での行事が発展したことにより、縁日から宗教色が徐々に消え、まさに出店が並ぶさまを縁日と呼ぶようになっていったのである。

この様な変化は露店商人の営業品目にも変化をもたらした。縁日がまだ宗教色が色濃かった頃は、縁起物や薬、火口といった生活必需品などが多かったが、徐々に玩具や装身具などの品目が増え、娯楽的な色彩が強まることとなった。

村々の辻に祀られる野地蔵は、まちの守り神として、子どもたちの成長を見守ってくれる有難い仏さまとして信仰された村々の辻に祀られる野地蔵は、まちの守り神として、子どもたちの成長を見守ってくれる有難い仏さまとして信仰された

今や縁日はフリースタイルのイベント、まちおこしの救世主に

さて明治維新後の近代化の流れにより、縁日の宗教色は更に薄くなっていく。文化庁の宗教関連統計に関する資料集に収録されている「日本人の意識」という現代人の宗教感を調査したデータでも、「あなたは何に宗教的なものを感じますか」という問いに対し、易や占いと回答した人は存在したが、縁日と答えた人はいなかった。

この様に信仰のかせから離れて、純粋な商業活動の場となった縁日は、開催日も開催理由も開催場所も自由なフリースタイルのイベントへと進化し続けている。B級グルメ選手権や骨董市、陶器市、フリーマーケットなどの縁日的なイベントは、各地で数多く行われていて、まちおこし事業には欠かせないものとして定着した。

主催者側からすると、箱が不要で大きな広場さえあれば、低予算で一定の集客が見込めるイベントができ、出店者側は廉価な準備金で効率よく宣伝できるというメリットがある。昔の縁日は人が集まる場所、集まる時に商人たちが出向いて開催したが、今の時代の縁日はそれ自体が人を集める力を持つイベントとなったのである。

毎年4月の中旬に茅ヶ崎市で行われる大岡越前祭には武者行列やパレードなどが開催され、市内のあちこちに多くの露店が建ち並ぶ。草葉の陰で見守る名奉行もさぞや満足なことだろう。

世界各地で露店イベントは大人気である。最近は個人参加型のフリーマーケットなども町おこしに一役買っている世界各地で露店イベントは大人気である。最近は個人参加型のフリーマーケットなども町おこしに一役買っている

2018年 11月06日 11時05分