田園調布駅駅舎にも似た、築100年近いお屋敷が売却されることになった

東京を代表するお屋敷街である田園調布で分譲が開始されたのは1923年8月(大正12年)。関東大震災の1カ月前である。それ以来90年余、街並みは変わらないように見えているが、当時建てられた住宅のほとんどは建替えられており、当時をしのばせる住宅はごくわずか。1925年(大正14年)に建てられた大川邸のように、小金井市にある江戸東京たてもの園に移築、展示されている住宅もあり、当初からの面影を残す住宅は貴重な存在なのである。

だが、そんな貴重な建物のうちの1軒が2014年12月に売却された。今後、おそらくは解体予定である。設計者、正確な築年数は分からないと言うものの、おそらくは田園調布そのものと同じくらいの歴史があるはず。江戸東京たてもの園の大川邸より古いかもしれない建物で、2000年2月には登録有形文化財(建造物)になっている。

文化庁の文化遺産オンラインにある文化遺産データベース上で該当物件の情報を見ると、

「渋沢栄一の田園都市構想に基づいて開発された田園調布住宅街に建つ木造モルタル塗り、2階建の洋館で、ベイウインドーを用い,数多くの上げ下げ窓を配す。2階は切妻造腰屋根付、段違いとし、1階は2階から葺き下ろして寄棟とする複雑な屋根の構成に特色」

とあり、凝った造りの建物と評価されていたことが分かる。

実際の建物は、田園調布駅のシンボルである旧駅舎に似たドイツ風のかわいらしい洋館で、陳腐な言い方だが、まるで映画のワンシーンのように見えるほど。コマーシャルなどでも使われたことがあるそうなので、見覚えがあるという方もいらっしゃるのではないかと思う。だが、所有者の女性が3月に亡くなり、相続税支払いのため、遺族が土地、建物を売却することになった。その売却を控えた一夜、建物内部が公開された。

庭から見た鈴木邸。敷地の8割ほどが庭だったそうで、保護樹木も含め、様々な植物が植えられていた庭から見た鈴木邸。敷地の8割ほどが庭だったそうで、保護樹木も含め、様々な植物が植えられていた

大事な人とかけがえのない時間を過ごす場所、それがこの家だった

丁寧に作られたことが分かる室内。手の込んだ寄木細工の床がある部屋などもあった丁寧に作られたことが分かる室内。手の込んだ寄木細工の床がある部屋などもあった

この洋館の主は「次の週末に取り入れたい理想のライフスタイルを提案するウェブマガジン『NEXTWEEKEND』」を主宰するライフスタイルプロデューサー、村上萌さんの祖母にあたる人。村上さんは子どもの頃からこの家の、敷地の半分以上を占める庭を遊び場とし、植物に親しんで育った。

「祖父が海軍に出征する際、無事に帰ってくることを祈念して曽祖父がこの家を買ったと聞きました。以前に住んでいたのはドイツ人のご夫婦だったそうで、昔は母屋と同じ造りの屋根のある車庫もあったそうです。車が一般的ではない時代ですから、非常に珍しかっただろうと思います。その後、2階を和室にしたり、洋風のバスタブを和風にする、雨漏りを修理するなどの手は入れていますが、基本はその当時のまま。キッチンやトイレのミントグリーン基調のインテリアも当初からのものです」。

キッチンに続くリビングダイニングはもてなし上手だった祖母と折にふれ集まる親族の語らいの場で、20人くらいが集まることもしょっちゅうだったとか。「祖父母には子ども3人、孫6人にひ孫4人がいて、みんな、この家が大好きでした。従姉はこの家で結婚式をしましたし、祖父の葬式はこの家で行われました。今の時代、家は疲れて帰ってきて寝るだけの場となっていることも多いようですが、この家はかけがえのない人と大事な時間を過ごす場所でした」。親族の輪の真ん中にあった家、そんな言葉が浮かぶ。

古くても魅力的な建物があることを知ってほしい

ゆったり作られた門から敷地内をのぞむ。日本の風景ではないようにも思えるゆったり作られた門から敷地内をのぞむ。日本の風景ではないようにも思える

祖父は早くに亡くなり、この20年ほどは祖母にあたる人が一人、暮らしてきた。「祖母は祖父を亡くしてからの20年間、親族の中心でありながらも、モノを徐々に減らすなど死に支度をしてきたのだと思います。自分が死んだらこの家もおしまい、家を守るために無理をしたり、諍いをすることは望んでいないと事あるごとに口にしていましたから、亡くなった時に売却して相続税を払うというのは、残念ですが、自然な流れでした」。

とは言うものの、思い出に満ちた家が消えてなくなることを寂しく思うところがあり、何かできることがないかと相談したのがリノベーション事業を多く手掛ける不動産会社、リビタの内山博文さんだった。「話を伺ったのが売却決済の1カ月前。それでも何かできることがないかと考え、思いついたのは使える部材を取り外し、搬出することと見学会でした。築100年近くの古い家でも十分住めること、古くなっているからこそ味わいのある家があることを知っていただくことに意義があるだろうと思ったのです」。

日本では多くの人が古い家には価値がないと考えている。だから、古い家のある土地は取壊し前提で古家ありとして売られ、更地よりも取壊し費用がかかる分、安くされたりもする。建物は邪魔者扱いなのだ。だが、一部の投資家はその邪魔者に価値がある場合があり、うまく活用できれば収益を生むことに気づいている。一般の人の中にも築年の数字だけを見るのではなく、建物そのものの良しあしで選ぶべきだと考える人も出始めてはいる。だが、絶対数としてはまだまだ古い建物の価値に目を向ける人は少ない。であれば、時間を経て魅力を増した建物を多くの人に見てもらうことで価値に気付くきっかけになればと内山さんは考えたのだ。

一部の部材は移築され、記憶を後世に伝えることに

取り外された建具類がいずれかのお宅に収まるまでプロジェクトは続く。息の長い作業になりそうだ取り外された建具類がいずれかのお宅に収まるまでプロジェクトは続く。息の長い作業になりそうだ

見学会はリビタの会委員組織であるClubReNOVATION会員を中心に告知、リノベーション、建築、住宅に関心のある人たちに加え、ご近所の人たちも集まった。「古くから住んでいらっしゃる方の中には街の風景が変わることを残念に思っていらっしゃる方も少なくありません。だから、最後にもう一度見て、記憶にとどめておきたいと、お別れに来てくださったのだろうと思います」。おそらくは家だけでなく、そこに暮らした人への別れという意味もあったのだろう、多くの人が集まり、村上さんの語る、この家での暮らしの記憶に耳を傾けた。

見学会の翌日には使える建具などを取り外し、搬出する作業が行なわれ、その次の日、家は家族のものではなくなった。近いうちには建物は姿を消し、庭の木々も伐採されることになるだろう。一部の建具類、植替え可能な木などはイベント以前に搬出されており、村上さんが新しく開くことにした店に使われるという。「私の店だけでなく、門灯、暖炉は叔父の家に移されることになりましたし、それ以外に他のお宅にもらわれていくものもあるはず。そうした品がそれぞれの場でこんな家があったことを思い出すよすがになってくれたらうれしいと思います」。

村上さんと一緒に見学会を開いたリビタではこうした形でモノやストーリーが継承されることが丁寧な暮らしにつながると考えているそうで、ここで取り外した建具は今後、同社が手掛ける物件にも使われる予定。「単にモノを引き継ぐだけでなく、建物の歴史や家族の想いなども一緒に伝えていければと考えています」。

今回の限定公開、部材利用の試みは『家糸(いえいと)プロジェクト』と名付けられている。この家の歴史を部材を介して、見学会を通じて他の家、人に引き継ぐことを糸にたとえたわけだが、村上さんは「家糸は家系という言葉にも似ていますよね」と一言。記憶を引き継ごうとする意味では確かに似ているのかもしれない。私も建物が取り壊された後も、この建物がここにあったことをずっと覚えておきたいと思う。

奇しくも見学会と同じ日、文京区では樋口一葉ゆかりの質屋の保存を巡る集まりも開かれていた。日本のあちこちで古い建物が姿を消していく。経済効率が悪いから、耐震強度がないから、維持管理にお金がかかるから……。理由はいろいろあり、何が問題かは一言では言いにくいが、街の風景が均質化していることだけは確かだ。

2015年 01月26日 11時09分