アニメの世界観を彷彿とさせる工場跡

江戸時代から昭和にかけて、日本最大の金銀山として栄えた佐渡金銀山。この遺構が注目を集めているのをご存じだろうか?

金銀山の遺構といえば、いわゆる手掘りの間歩(まぶ)と呼ばれる坑道をイメージしがちだ。確かにそれも貴重な文化遺産として保存されているが、ここで言う遺構は昭和の時代に建設された工場を指している。

まずは、写真を見ていただきたい。これが「北沢浮遊選鉱場」と呼ばれる工場跡だ。日本というよりは海外の古代遺跡のようにも見える。一部の観光客からは、「天空の城ラピュタの世界観を醸し出している」と話題になり、足を運ぶ人も増えているという。近年では夏にライトアップもされるため、星空の下に映し出される幻想的な姿は、まさに「インスタ映え」の絶好の聖地としても人気があるそうだ。

古代遺跡と錯覚させる姿だが、あくまでもこちらは工場の遺構。それほど頑丈なつくりをしていないため保存の難しさもあるという。

今回は、世界遺産登録を目指す佐渡金銀山の歴史と、遺構保存の取り組みについてご紹介しよう。

佐渡金銀山の最盛期を支えた「北沢浮遊選鉱場」跡(写真提供:ゴールデン佐渡)佐渡金銀山の最盛期を支えた「北沢浮遊選鉱場」跡(写真提供:ゴールデン佐渡)

東洋一の金銀山を支えた最新設備

当時の町割りが残る「京町通り」。道の位置は江戸時代後期の文政期とほぼ変わらず、当時の雰囲気を保ちながら建物は修復が行われている(上)。昭和10年代の最盛期を支えた工場町の様子。坑道から大間港までの生産ラインが敷かれていた(下:写真提供「佐渡市」)当時の町割りが残る「京町通り」。道の位置は江戸時代後期の文政期とほぼ変わらず、当時の雰囲気を保ちながら建物は修復が行われている(上)。昭和10年代の最盛期を支えた工場町の様子。坑道から大間港までの生産ラインが敷かれていた(下:写真提供「佐渡市」)

佐渡は「今昔物語集」にも砂金が採れる島と名が挙がるほど、古くから金の島として知られていた。しかし本格的に開発が始まったのは安土桃山時代に、越後の戦国大名・上杉景勝が佐渡全島を統治してからのことだ。

佐渡は島全体に金銀鉱山が点在し、規模の大きな相川、鶴子、西三川の3つを総称して佐渡金銀山と呼んでいる。中でも最も大規模な鉱山として栄えたのが、今現在、見学用に整備された間歩や北沢浮遊選鉱場などが残る相川金銀山だ。

江戸時代の初めに、相川で良質な鉱脈が見つかると幕府はすぐさま佐渡を直轄地にし、大規模な開発を進めてきた。当時名を馳せた石見銀山を筆頭に全国から山師や鉱夫、その家族などが集まり、江戸の最盛期には相川の地に5万人が居住したという。平成27年の相川の人口が6,789人であることから、空前の賑わいだったことが分かる。

だからだろう、佐渡のまち並みを見渡してみると今でも民家と民家は隙間なく建てられている。長屋ではなかろうかというほどに隣同士がくっついているのだ。特に相川地区の町割りは江戸の頃から変わらず明治以降も残ってきたという。中でも「京町通り」と呼ばれる地域は、古い町割りのまま住宅が残る。通りには、珍しい木造の拘置所なども現存しノスタルジックな雰囲気を味わえる。

話を鉱山の歴史に戻そう。幕府の財源を支えた佐渡金銀山は、その後、明治に入ると官営の鉱山となり、西洋人技術者を招いて近代化・機械化が進んでいく。そして一時は宮内庁御料局管轄の皇室財産にもなり、明治29年に三菱合資会社に払い下げられた。機械化の最盛期を迎えた昭和15年には、1ケ月で7万トンの金銀鉱石の処理能力を誇った。これを支えたのが、「北沢浮遊選鉱場」や「シックナー」と呼ばれる当時の最新鋭の工場設備だ。

昭和13年、国策として金・銀・銅などの重要鉱物の採掘増強が求められると、三菱では、国内ではこれまで銅の選鉱技術であった「浮遊選鉱法」を金鉱石にも転用し、何度もテストを繰り返しながら昭和15年に完成させたという。

この施設が全体の生産ラインの中でどんな役割を担っていたのか、工場の全体像を簡単に説明しておこう。まず、竪坑から何本も伸びる水平坑道でダイナマイトを使って鉱石を採掘すると、それを蓄電池式の機関車トロッコに載せ鉱石を破砕する「粗砕場(そさいば)」に運ばれた。

その後、隣の貯蔵施設にベルトコンベアで運ばれ一定期間貯蔵。ある程度たまったところで今度は「北沢浮遊選鉱場」にトロッコで運び、ここで不要な鉱石を取り除くと同時に金が含まれる鉱石を細かくすりつぶし、浮遊剤を用いて金銀分を回収する。その際に必要な工業用水の確保のために作られたのが「シックナー」である。工場で使用された工業用水は「シックナー」で再処理され、再び工業用水に使用された。

回収された金は、大間港から瀬戸内海に運ばれ最終的に金にされたという。約3kmにわたる生産ラインが、当時の最高峰の技術で整備されていたのだ。

実はゴルフの打ちっぱなし場に隠れていた過去も

現在も「北沢浮遊選鉱場」「シックナー」ほか佐渡金銀山の遺構は三菱の所有だ。実際の維持管理や観光施設としての運営はグループ会社の株式会社ゴールデン佐渡が請け負う。「北沢浮遊選鉱場」や「シックナー」はいわば昭和時代の工場の跡地。よくぞ残っていたと思う。
もちろん、取り壊すにしても多大な費用がかかるということもあっただろう。

しかし、そこには三菱の根幹事業を成した佐渡金銀山に対するプライドがあったと語るのは、佐渡市 産業観光部 世界遺産推進課 調査係 学芸員の相羽重徳氏だ。
「今でこそ大切な遺構として、北沢浮遊選鉱場やシックナーも見学できるように整備されていますが、実は戦後ある時までは遺構は草むらに隠れ、地元の人でもこうした建造物が価値あるものとして残っていることを意識していませんでした」

なんと、北沢浮遊選鉱場の前にはゴルフの打ちっぱなし施設が造られ、高いフェンスが張られていたという。施設と同化しているが、建物の前方にある凸型のコンクリートはその時のフェンスの基礎の名残だそうだ。

「ゴルフ場の基礎自体は文化財ではないので、夏のライトアップの際の台座として利用しています(笑)。シックナーの前にもかつては地元の高校のプールがありまして、こちらも遺構に同化していますが、左手に見える階段はシックナーの一部ではなくて、プールの観覧席の名残なんです」(相羽氏)

木々や草むら、フェンスやプールに隠され地元の人にさえ気づかれなくなっていたこの遺構を当時のゴールデン佐渡の社長が嘆き、「我々の誇りのシンボルを取りもどそう」と整備したことが現在につながっている。まさに、草むらから発掘するような作業を経て姿を現しているのだ。

北沢浮遊選鉱場の前面に見える凸型のコンクリートはなんとゴルフの打ちっぱなしフェンスの基礎の名残(上)。コロッセオを彷彿とさせるシックナー。こちらも前面の空き地にはかつて高校のプールがあり、ちらりと見える階段はその観覧席跡だという(左下)。北沢浮遊選鉱場が現役だった頃の写真。階段状の屋根がついていた。現在はその建屋がなくなり基礎のコンクリート部分が残っている(右下:写真提供「ゴールデン佐渡」)北沢浮遊選鉱場の前面に見える凸型のコンクリートはなんとゴルフの打ちっぱなしフェンスの基礎の名残(上)。コロッセオを彷彿とさせるシックナー。こちらも前面の空き地にはかつて高校のプールがあり、ちらりと見える階段はその観覧席跡だという(左下)。北沢浮遊選鉱場が現役だった頃の写真。階段状の屋根がついていた。現在はその建屋がなくなり基礎のコンクリート部分が残っている(右下:写真提供「ゴールデン佐渡」)

環境整備の世代交代も視野に

「まるで古代の遺跡」と見ている者は感動すればよいのだが、保存の努力はもちろん並大抵ではない。

「そもそも、金を生産する工場は、生産量を増やしていくために常に最新技術を導入しバージョンアップしていかなければなりません。そのため、工場の建屋自体には何十年も持たせようという発想自体がありません。しかも、この北沢浮遊選鉱場が完成したのは昭和15年。世界中で軍靴の足音が聞こえつつあった時代です。コンクリートなども徐々に配給制となり質も悪くなっていったはずです」(相羽氏)

だから、「シックナー」にしても「北沢浮遊選鉱場」にしても、コンクリートはボロボロとはがれ、鉄骨があらわになる場所も多い。

「補強だけを考えたら、新しいコンクリートを塗りなおし、強化していけばよいのですが、それではこの施設の魅力の“廃墟感”も損なわれてしまうでしょう。せっかく、大変な思いをして先人が残してくれた創業当時の素材も失われてしまうかもしれません。この素晴らしい文化財を壊すことなくどのように現状の魅力を未来に残していくか、現在保存の仕方については調査を重ね慎重に検討しているところ」だと相羽氏は教えてくれた。

先ほど説明したように、広大なエリアにそれぞれの工場施設が点在するため、草刈りなど環境美化だけでも苦労を要するという。住民や観光客を巻き込んで草刈りのボランティア活動も展開されているが、それもあくまでも施設の周りだけだ。「北沢浮遊選鉱場」など階段状の施設の上に立ち、除草作業ができるのは運営会社のスタッフだけ。遺構内の構造をきちんと把握し、危険性がない場所を歩ける者しかその整備ができない。

もともとは、鉱山で働いていた方がスタッフとして廃坑後の整備にも携わっていたが、当然高齢化が進んでいる。現在では、工場設備の構造など必要な知識を運営会社の若手スタッフへ伝える教育にも力を入れているそうだ。

夏には、ライトアップで美しく彩られる。</br>「プロジェクションマッピングを利用したイベントなども行っています」と、相羽氏は話す(写真提供:ゴールデン佐渡)夏には、ライトアップで美しく彩られる。
「プロジェクションマッピングを利用したイベントなども行っています」と、相羽氏は話す(写真提供:ゴールデン佐渡)

遺構単体ではなく、まちの全体像を感じさせたい

お話をうかがった佐渡市 産業観光部 世界遺産推進課 調査係 学芸員の相羽重徳氏お話をうかがった佐渡市 産業観光部 世界遺産推進課 調査係 学芸員の相羽重徳氏

2019年4月20日、新たな佐渡金銀山の観光拠点として「きらりうむ佐渡」が誕生した。鉱山の中にある観光坑道や見学施設では、これまで江戸時代や近世の鉱山操業の様子は再現されていたが、鉱山全体の仕組みは説明されていなかった。

「きらりうむ佐渡」では、「北沢浮遊選鉱場」や「シックナー」といった施設がどのような役割を担っていたのか、また鉱山全体の近代史が把握できる展示や動画が揃っている。相羽氏は「この施設は、点在する遺構や鉱山として栄えたまち並みの歴史的背景を理解してもらうための施設。点を線にしたうえで、実際の遺構を見て感じてほしい」と言う。

東洋一と謳われた金銀の生産工場。ただフォトジェニックな存在としてだけでなく、その歴史や保存に携わる人々にも想いを馳せると、また違った景色が見えてくるのではないだろうか。

2019年 06月10日 11時00分