現在も広島市内に80箇所以上残る被爆建物

原子爆弾の投下によって被害を受けた建物のことを『被爆(被曝)建物』と呼ぶ。

その代表的な存在となっているのが広島市中区にある『原爆ドーム』(旧:広島県産業奨励館)だが、実は広島市内には原爆ドームのほかにも旧日本銀行広島支店や福屋百貨店など80箇所を超える被爆建物が現在も残されている。

人類史上初の原爆投下から71年。原爆ドームは、核兵器破壊の悲惨さを物語る戦争遺構であり、世界平和と核廃絶の象徴的存在として大切に保存されてきたが、建物の経年劣化により今後の保存対策が課題となっている。

今後どのように『原爆ドーム』は保存されて行くのか?
原爆ドームと平和記念公園の整備を担う広島市の担当者に話を聞いた。

▲昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、アメリカ軍による世界で初めての原子爆弾が広島市街に投下された。<br />大正4(1915)年の開業当初、広島県の産業を広くPRする“アンテナショップ”のような存在だった広島県産業奨励館は、<br />爆心地からわずか160mの場所に位置し、建物のほぼ真上で原爆が炸裂。<br />チェコ人建築家によって設計された西洋風の建物は<br />最大秒速440メートルという強烈な爆風に耐え、『原爆ドーム』としてその姿を今に残している▲昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、アメリカ軍による世界で初めての原子爆弾が広島市街に投下された。
大正4(1915)年の開業当初、広島県の産業を広くPRする“アンテナショップ”のような存在だった広島県産業奨励館は、
爆心地からわずか160mの場所に位置し、建物のほぼ真上で原爆が炸裂。
チェコ人建築家によって設計された西洋風の建物は
最大秒速440メートルという強烈な爆風に耐え、『原爆ドーム』としてその姿を今に残している

奇跡的に爆風が垂直に当たったことで倒壊を免れた原爆ドーム

▲広島市役所で原爆ドームの改修や保存に関する業務を担当するようになって3年。「建築や改修については私の専門分野ではないため、定期的に専門家の方や大学の研究者の方々のアドバイスを受けながら改修計画を練っています」と和泉さん(広島市役所にて)▲広島市役所で原爆ドームの改修や保存に関する業務を担当するようになって3年。「建築や改修については私の専門分野ではないため、定期的に専門家の方や大学の研究者の方々のアドバイスを受けながら改修計画を練っています」と和泉さん(広島市役所にて)

「昭和20年8月6日の原爆投下のとき、原爆ドームのほぼ真上で原爆が炸裂しました。爆風が真上から垂直に建物に当たったことから、奇跡的に建物の鉄骨や壁などの骨格が残されたと分析されています」

広島市都市整備局 緑化推進部 公園整備課の主任技師である和泉淳之さん(46)は、学生時代から造園を学んできた公園整備の専門家だ。「両親が広島出身ということもあって広島市役所に入りましたが、まさか自分が“原爆ドームの保存”という重責を担うことになるとは想像もしていませんでした」と和泉さん。

広島市では、原子爆弾による被爆の惨禍を伝える歴史の証人として、平和記念公園整備の一環で原爆ドームの保存活動を行っている。

「広島県産業奨励館が『原爆ドーム』と呼ばれるようになったのは戦後からですが、いつ誰がどのように名前を決めたのかはわかっていません。どうやら自然発生的に原爆投下の記憶を留める建物として『原爆ドーム』と呼ばれるようになったようです。

当初、原爆ドームの保存については地元の中でも賛否が分かれ、“あの建物を見るたびに戦時中の記憶を思い出すから早く撤去してほしい”という市民からの意見も少なからずありました。しかし、戦後復興の過程で被爆建物が少しずつ姿を消していく中、保存を求める声が高まったことを受けて、広島市議会が昭和41(1966)年に原爆ドームの保存を決議したのです。戦後の混乱や市民の皆さんの心の整理の時間を考えると、保存決定までの21年という歳月は必要だったのだと思います」(和泉さん談)。

原爆ドームの保存が正式に決定した翌年、昭和42(1967)年度に第1回保存工事が実施され、壁面の亀裂接着や補強鉄骨の設置、鉄骨の塗装などが行われた。以降、平成元(1989)年度にはコンクリート劣化補強、平成14(2002)年度には雨水対策、平成27(2015)年度には地震対策工事を行い、これまでに合計4回の保存工事が実施されてきた。

すでに建築物ではない…破壊された建物をそのままの状態で残す難しさ

原爆ドームの保存方法については、学識経験者らで組織される史跡原爆ドーム保存技術指導委員会から指導を受けているが、「非常に難しい課題がある」と和泉さんは語る。

「どうして難しいのか?それは、原爆ドームがすでに破壊された建物であって『建築物』ではないからです。健全な建築物を保存するのであれば、先進技術を駆使して様々な方法を考えることができます。しかし、原爆ドームの保存に際しては、“可能な限り破壊された当時の状態を保つこと”という特殊な課題があるのです」(和泉さん談)。

原爆ドームは『必要な劣化対策だけを行い現状のまま保存する』という基本方針によって保存活動が進められている。現状の原爆ドームの視覚上の外観変更は原則行わず、可逆的手法を用いるとともに、原爆ドームのオリジナル部分には可能な限り保存の手を直接入れないことがルールになっているのだ。
※可逆性があること=万一の場合に元の状態に戻せることも修繕の条件となっている。

「過去4回の保存工事の中で一番大変だったのは昭和42年に実施された1回目の工事でした。原爆によるダメージを受けてから戦後21年間ずっと放置されていたので、鉄骨は腐食が進み、壁が傾いて、大きな台風でも来たら崩落しそうな危険な状態だったと聞いています。そのため“とにかく崩れないように”という目標を立てて大掛かりな工事が実施されました。

しかし、平成7(1995)年に国の史跡として文化財に指定されたことによって、その前と後では保存工事に対する考え方が全く変わりました。文化財保護法によって、地面に穴をひとつ掘るにも国の許可が必要になるため、広島市の意向だけで工事を行うことができなくなりました」(和泉さん談)。

▲国の史跡に指定される前に実施された第1回・第2回の保存工事で補強鋼材が設置されたため、<br />平成7(1995)年の阪神淡路大震災や平成13(2001)年の芸予地震の際には、大きな被害は認められなかった▲国の史跡に指定される前に実施された第1回・第2回の保存工事で補強鋼材が設置されたため、
平成7(1995)年の阪神淡路大震災や平成13(2001)年の芸予地震の際には、大きな被害は認められなかった

後世まで残すべき原爆ドームの姿は“被爆直後の状態”

文化財に指定された建物の場合、修繕や保全工事に関しては様々な制約が発生する。

「原爆ドームの耐震工事といったら、ものすごい先進技術を使って行われているようなイメージがあると思いますが、実際には補強鋼材を追加するだけにとどまっています。“地下に免震装置を配置する工事を行ってみては?”といったご意見もいただくのですが、国の史跡は地盤も含めて文化財となりますから、原爆ドームを地盤から切り離す工事はありえません」(和泉さん談)。

仮に、今後技術の進歩によって革新的な補修材が発見されたとしても、その素材がすぐに使用されることはない。古くから使用実績がある素材や技術と比較しながら、文化財への影響が最小限となるよう、慎重に選定を行っているためだ。

「後世に残すべき原爆ドームの姿は、“被爆直後の状態”です。保存のためだからといってどんどん手をかけるのは好ましくありません。文化財としての配慮を行いながら補修工事を進めていく…今後の保存活動はもっと難しくなっていくと思います」(和泉さん談)。

▲昭和40年代までは、周囲に柵が設置されておらず市民が自由に出入りしていたという原爆ドーム。<br />3年に一度健全度調査を実施し、劣化が認められた部分は極力オリジナルに近づける形で目立たないように補修を行ってきた。<br />ちなみに、工事費用は1回目が約5100万円、2回目が約2億円、3回目が約7200万円、4回目は約3000万円。<br />工事費用の多くは一般からの募金によってまかなわれたという(史跡指定以降の工事では国庫補助金も充当)▲昭和40年代までは、周囲に柵が設置されておらず市民が自由に出入りしていたという原爆ドーム。
3年に一度健全度調査を実施し、劣化が認められた部分は極力オリジナルに近づける形で目立たないように補修を行ってきた。
ちなみに、工事費用は1回目が約5100万円、2回目が約2億円、3回目が約7200万円、4回目は約3000万円。
工事費用の多くは一般からの募金によってまかなわれたという(史跡指定以降の工事では国庫補助金も充当)

経年劣化は止められない、1年でも長く残すために保存方法の見直しを

▲原爆ドームの周りにはいつも、平和を祈念する外国人観光客や修学旅行生たちの姿が。インバウンド政策の効果もありここ数年は広島市を訪れる外国人(特に欧米人)が急増しているという▲原爆ドームの周りにはいつも、平和を祈念する外国人観光客や修学旅行生たちの姿が。インバウンド政策の効果もありここ数年は広島市を訪れる外国人(特に欧米人)が急増しているという

最後に、『原爆ドーム』はあと何年保存できるのか?愚問ながら和泉さんに聞いてみた。

「それは全くわかりません。経年劣化は止められないので、劣化速度をなるべく遅く弱めてあげること。そして、今の姿でより長く保存することが目標になっていますが、100年後もこのままの状態を保存できるかというとそれはとても難しい。今後はドーム全体に覆屋をするなど、保存方法について見直しを検討しなくてはいけない時期が来るでしょうね」(和泉さん談)。

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「正直にお話しますと、広島市の担当者としてものすごいプレッシャーを感じています。原爆ドームの保存は広島だけの問題ではありませんから」と和泉さん。

世界平和と核廃絶の象徴であり、メッセージ性の高い戦争遺構である『原爆ドーム』を1年でも長く後世に残していくこと、そして声を上げることを忘れずにその存在について世界へ発信し続けることは、今を生きているわたしたち日本人に課せられた使命なのかもしれない。

■取材協力/広島市役所
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/genre/1001000002088/index.html
■原爆ドーム保存のための募金活動(広島市)
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/dome/contents/1005000000014/index.html

2016年 10月14日 11時00分