「世界で最も住みやすい都市」7年連続1位。大自然が間近でほどよい規模
建築史家・倉方俊輔さん(大阪市立大学准教授)が建築を通して世界の都市を語る、全15回のロングランセミナー(Club Tap主催)。第9回はオーストラリア第二の都市でヴィクトリア州の州都、メルボルンを紹介する。英エコノミスト誌の「世界で最も住みやすい都市ランキング」において、2011年~17年の7年連続でナンバーワンに選ばれた街だ(18年、19年はウイーンに次いで2位)。
「メルボルンは、オーストラリア大陸東南のヤラ川河口に位置しており、地球で一番南にある世界都市ともいわれます。かといって巨大ではなく、人間味が感じられる規模。中心部には無料のトラム(路面電車)が走り、その内側が旧市街にあたります。都心の程近くをヤラ川が流れ、自然が身近に感じられる環境です」(倉方さん)
第5回で取り上げたシドニーと同様、メルボルンも18世紀末にイギリスの流刑地として都市化が始まった。ただ、シドニーと違い、1820~30年頃にはすでに囚人が送り込まれなくなっている。1839年にはヴィクトリア植民地の最初の知事であるチャールズ・ジョセフ・ラ・トローブが着任。彼がロンドンから部材を持ち込んで建てたコテージが、今もロイヤル植物園の近くに残っている。
19世紀初頭の入植、後半のゴールドラッシュの歴史が建築に反映される
メルボルンを大きく発展させる契機となったのは、1851年に近郊で発見された金の鉱脈だ。同じ年に、ヴィクトリア植民地政府が置かれている。以後、ゴールドラッシュは約30年間続き、その間に大聖堂や議事堂、大学などの壮麗な建物が建設された。「シドニーと同様、メルボルンも古い建物を大事に継承しています。19世紀初めからの街の発展を、建築でたどることができるのです」
1853年には、早くもメルボルン大学が創設されている。日本ではペリーが浦賀に来航した年だ。「本国イギリスから遠く離れた植民地でありながら、メルボルンでは文化に相当力を注いでいたことが分かります。メルボルン大学は、さながら中世の修道院のような重厚な建築。その建築の力によって、この場が文化的な領域であることが了解されます。ここが南半球であることを考えれば、なおさら建築の持つ意味が実感できます」
1858年から97年にかけて建設されたセント・パトリック大聖堂は、同時代のイギリスで提唱されたゴシック・リヴァイバル様式だ。ロンドンでウェストミンスター宮殿(1840-74年)が建てられた時期と重なっている。「セント・パトリック大聖堂の外壁は石の手触りが感じられる素朴な印象ですが、内部は豪華です。天井はハンマービームと呼ばれる木の構造体を現しており、工芸的な感じがします。ジョン・ラスキンやウィリアム・モリスによる“中世主義”の影響でしょう。誠実さや倫理を重んじる哲学に基づいて、建物の成り立ちや素材の性質、人の手の痕跡を、覆い隠すことなく見せています」
ゴシック、新古典主義、ルネサンス様式と19世紀の多彩な様式建築が残る
ゴシックのセント・パトリック大聖堂に対し、ヴィクトリア州議事堂(1860-88年)は新古典主義、旧財務省(1862年)はルネサンス様式を採用している。いずれも、ゴールドラッシュで得られた資金を投じて建てられた、広壮で豪華な様式建築だ。「入植からわずか100年で、これほどの文化を定着させたというのは驚くべきことです」
19世紀後半は、世界の先進都市が競って万国博覧会を開いた時代だ。オーストラリアでは1901年の連邦成立より早く、1879年にシドニーで、1888年にメルボルンで万博を開催している。その会場として建設されたのが王立展示館(1880年)だ。19世紀の万博パヴィリオンとしては唯一現存するもので、庭園と合わせて世界遺産に登録されている。
歴史ある建物を大事に近代化。19世紀のアーケードや路地の散策が楽しい
ゴールドラッシュが終わったあとも、そのとき築いた都市基盤の上に、メルボルンはゆっくりと成長を続けた。「スクラップ・アンド・ビルドでもなく、郊外に新都心を建設するのでもなく、歴史ある建物の保存と再開発のバランスを取りながら、古い市街地を高層化しているのがメルボルンの特徴です」
その象徴のひとつを、日本の建築家・黒川紀章が手掛けた。「『メルボルン・セントラル』(1991年改修)は、19世紀の火薬工場を丸ごと円錐形のガラス屋根で覆った商業施設です。塔を納めるための建築のフォルムに説得力があり、古いものと新しいものをうまく並立させています。黒川はこの後も、円錐形を多用していますね。晩年の作品である国立新美術館(東京、2006年)にも類似の形態が見られます」
グランド・ポスト・オフィス、「GPO」と呼ばれる旧メルボルン中央郵便局(1867年)も、現在は商業施設に改装されている。「郵便局は、都市の近代化を象徴する建築です。なぜなら、鉄道が敷かれ、伝達手段が整って、初めて成立する施設ですから。時計塔を戴いた堂々たる姿は、さながら市庁舎のようにシンボリックです」。隣には約半世紀後に建てられた「マイヤー百貨店」(1921年)がある。鉄筋コンクリート造で7~8階建ての建築が可能になり、エレベーターが実用化した頃の建物だ。「百貨店が大衆化し、広い面積を必要とするようになった時代背景を表してもいます」
ロンドンから持ち込まれ、メルボルン独自の発展を遂げたのが、「アーケード」と「レーンウェイ」だ。大通りと大通りをつなぐ小径のことで、うち「アーケード」は屋根を架け、屋内化したものを指し、19世紀後半からつくられている。「空間全体は古典的なデザインですが、屋根は当時最新の素材である鉄とガラスでつくられています。硬質な質感を見せつつ、装飾的なデザインの鋳鉄が特徴的です」
イギリスの文化を継承しながらも、気候風土に合わせた独自の発展を遂げる
「アーケードやレーンウェイが象徴するように、メルボルンは歩いて楽しい街です。過度に観光化された印象がなく、旅行者もすんなり街に溶け込めます。看板や照明のデザインにもバラエティーがあって楽しい。しかしこの街並みは自然に出来たわけではなく、背後には明確なまちづくりの意図が働いているのです」。メルボルンは、1990年代にデンマークの著名な都市計画家、ヤン・ゲールを招聘し、中心市街地を自動車中心から歩行者中心に転換してきた。
「経済原理に任せていたら、街並みはかえって画一的になってしまうものです。路上にカフェの椅子が置かれているのも、レーンの両側がストリートアートに埋め尽くされているのも、巧妙な都市戦略によるものです」
個性的なレストランやバー、カジュアルウェアやカスタムバイクの専門店など、さまざまな店が並ぶアーケードやレーンウェイは、メルボルンの大きな魅力だ。「建物の中も、大抵は通り抜けられるようになっているのがメルボルンの伝統です。建物の中と外の区別がないかのように感じられる。イギリスの文化を継承しながらも、イギリスとは異なる温暖な気候が、内外を峻別しない独自の都市形態を生み出したのでしょう」
新しい建築も、こうした街の個性を踏まえてつくられている。「2002年に、中央駅であるフリンダーズ・ストリート駅の隣接地を再開発して『フェデレーション・スクエア』が完成しました。様式建築の駅舎に比して、一見突拍子がないようにも思える建築ですが、実際に現地に行って体感してみると、ちゃんと“メルボルンらしさ”を踏まえていることが分かります」
外壁は、部分と全体が相似形の“フラクタル”なパネルで構成されている。それが相互に様々な角度で組み合わさって、巨大な膜のように広場を覆っている。地面にも建物にも凹凸があり、内外がゆるやかに連続する。
「箱のような建物だと内外がきっぱりと分かれますが、ここではグラデーションになっています。内側から見ると、外部とつながっていながらも、包まれているように感じられます」
「河畔からレーンウェイへ、アーケードから建物へ。自然と人工、内と外が切れ目なく連続するように感じられるのがメルボルンの面白いところです。温暖でからりとした気候、歩きやすい街並み、他民族国家ならではの多彩で洗練された食。独自のコーヒー文化も人気を集めています。これからもますます注目されていく都市のひとつでしょう」
取材協力:ClubTap
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2020年 04月16日 11時05分