松陰神社前駅、世田谷線の小さな駅に起こった変化

東京都世田谷区、三軒茶屋駅と下高井戸駅間を走る車両2両だけの小さな路面電車、世田谷線。そのちょうど真ん中あたりにある「松陰神社前駅(しょういんじんじゃまええき)」が、今ひそかに注目を集めている。

松陰神社前には「吉田松陰」が祀られている松陰神社があり、松陰神社通りに沿って南北に続く商店街には、生鮮食料品店や美容院など、地元に根付いた個人商店が軒を並べている。商店の数はおよそ150店舗ほど。ぶらぶらと散歩するのに丁度良いサイズ感の街だ。
落ち着いた雰囲気を持つ松陰神社前だが、その小さな街に今、センスの良いカフェや個性的な古書店、売れ切れ必至のケーキ屋さんなどが集まり、街に変化を見せている。

若い感性と古くからの下町の良さがうまく融合した街だが、駅前にまた一つ「松陰PLAT(しょういんぷらっと)」という新たな建物が生まれた。
線路に沿ってベンチを兼用した階段が広がる気持ちの良い建物は、アトリエやカフェ、雑貨店など小商いのお店が8店舗入っている。
何故この場所に「松陰PLAT」を造ったのか、取り組みをしている地元で不動産業などを営む「松陰会舘」を取材してみた。

松陰PLATのbefore(左下)After(左上)/線路沿いのベンチになる階段(右)松陰PLATのbefore(左下)After(左上)/線路沿いのベンチになる階段(右)

この街に「住みたい人を増やしたい」松陰会舘の取り組み

松陰会舘の佐藤芳秋さん。松陰PLATの窓からは走る電車を眺めることができる松陰会舘の佐藤芳秋さん。松陰PLATの窓からは走る電車を眺めることができる

松陰会舘の常務取締役の佐藤芳秋さんは生まれた時からこの街で過ごし、この街とともに成長してきた。
松陰会舘は昭和35年に芳秋さんの祖父が「この地域に人が集まるようなことがしたい」という想いのもと会社を立ち上げたという。
LPガスの供給と不動産業がメインの事業だが、会社が50周年を迎えた6年ほど前、今一度当初の想いに立ち返り、人が集まれるスペースを作ろうとコミュニティスペースを作った。また2015年6月には「せたがやンソン」という地域情報サイトをスタートさせるなど、街に関わることに割く時間も少なくない。「せたがやンソン」広報担当の伊藤さんは、松陰会舘のそんな活動に共感し、2015年11月に入社。年が明けてすぐに松陰神社前に移住してきたそうだ。

何故いち企業が街づくりに取り組むのか?
この街でもやはり「空き家」が課題としてあった。それも「困っていない空き家」。芳秋さんはそこに危機感を抱いていた。
原因の一つは世代交代だ。初代、二代目が商売をやめた後に後継者がおらず、そのまま閉じてしまい、数年前からシャッターがちらほらと見られるようになった。経済的に困っているわけでもなく、手放す気もない。建物をなくすと税金があがる。それらの理由でそのまま残っている。
さらに、最近このエリアが注目されたことで家賃帯が上がってきており、家賃収入を見込んでの建替が起こっている。
それによって、かつては職人や八百屋さんなど街に根ざした商売が多かったが、今はその仕事内容も変わってきている。これからの世代を作っていく子供達にとって、街に多様性がなくなることを危惧していた。

「ソフト面が大事」「この街の良さは人のつながり」と取材中、何度も芳秋さんは繰り返した。
古くなった建物を単純に建て替えるといったハードの改修はコストが高くなり、街の機能も変わっていく。ハード面だけではなく、街にどんな機能が必要か、どんな人に働いてもらいたいか、どんな人に暮らしてもらいたいか、というソフト面、その両面で考える必要があるのだと。
だから、大家さんのリテラシー向上も必要だと言う。個人商店を経営して、自分が引退した後もまた若い人を応援してあげられる、そんな気概をこの街の良さとして引き継いでいきたい。

これらの課題を解決するためにも、松陰神社前にはテーマが必要ではないかと「まだ固まっていないけど」と前置きして「その一つが"商売"や"小商い"なんじゃないかな。それができると面白いな」と話す。
アイデアの一つとして「困っていない空き家」に対して、この街で商売したい人のリストを作り、空いている店舗とマッチングしていく。空き家バンクの逆バージョンだ。そしてそれは単純な店舗のマッチングではなく、元々あった商売を変えずにその商店を継ぐようにする。
商店街として「どんな機能=人」が必要なのか。空き家という建物を継ぐのではなく、機能を継いでくれる人が必要だ。機能と人を結びつけながら小商いの街としてこの街を活かしていきたいと、芳秋さんは考えている。
実際に、人気の焼き菓子屋さん「MERCI BAKE(メルシーベイク)」は和菓子屋さんの跡地に、街の機能を継ぐという形でその場所で始めることにしたエピソードもある。

都心駅から少し離れているところには、昔コミュニティがあり、商店街があった。そんな地域は今どこも同じ問題を抱えている。
"より一層ローカル化していき、その街にしかない良さを作ることで、昔みたいに活性化した街になることがあるかもしれない"と、芳秋さんは考えている。

街の人とコミュニケーションを取る仕掛けは「黒板」

前述のような想いを抱きつつ、2016年の4月、松陰会舘は線路沿いにあった築50年の古い木造アパートをリノベーションで再生し、小商いの店舗を入れた「松陰PLAT(プラット)」をオープンした。駅からほど近い場所にあるこの建物は、通常の駅で言えばまだプラットフォームがある場所だからという意味と「プラッと寄ってほしい」という意味が込められている。

「人とのつながり」を重視すると語る通り、松陰PLATができるまでの道のりもユニークな試みをしている。
まず松陰PLATに入るテナント募集は、一般の媒体は一切使わず建物の前にある大きな黒板で募集した。それ以外は小さいチラシを作って街のお店に置かせてもらうことと松陰PLATのホームページ上のみ。この近辺に住んでいる人から黒板を見て問合せがきたり、お店の人に聞いてそこから応募がきたり。街に住んでいる人や、住んでいる人の知り合いなどを通じて波及していった。
今でこそ、この街は注目されてきているけど、元々は昼間人口が多く、夜はとても寂しい街だ。松陰PLATという人が集まりやすい立地にお店は出せるが、人と人との関係性を構築できないとこの地域では絶対にうまくはいかない。街を一緒に作っていってくれることができる「人」を重視してテナントを選び、そして8つの小商いがこの建物に生まれた。

さらに芳秋さんは街の人とつながるために「僕らから街に開いていくことを意識しておこなった」と語る。床塗りワークショップやミニ黒板を作れるワークショップ開催など、現場の大工さんも率先して協力してくれた。これらも街の人とのコミュニケーションの一環だ。
黒板はテナント募集以外にも活躍している。街の人たちに「どんなテナントがほしいですか?」と黒板に書くと返事が返ってくる。街の人と双方向なコミュニケーションが成立した。さらに工事現場の工程表を分かりやすく説明する時にもこの黒板が活躍した。
駅の掲示板をイメージして設置したこの黒板は、今も松陰PLATの目印としてそこにある。

建設中から街の人も自由に書き込みができ、中には入籍報告という嬉しい書き込みもあった黒板建設中から街の人も自由に書き込みができ、中には入籍報告という嬉しい書き込みもあった黒板

松陰PLATから広がる街の構想

芳秋さんの構想は「松陰PLAT」だけに留まらず、通り沿いにある、公園、松陰会舘が入っているビルまでを通して、面での開発も考えているそうだ。
「松陰PLATが駅中で、公園が中庭で、松陰会舘がある建物をコワーキングスペースが入る駅ビル、みたいなイメージで開発したいと思っている」と芳秋さんは話す。松陰PLATの設計を担当したHandiHouse Project(ハンディハウスプロジェクト)の加藤さんは「最小駅前開発」と言っているらしい。

神社があって、小さな路面電車が走る世田谷線があって、小さな駅があって、おしゃれな小商いが生まれてきている街。昔から住んでいる人たちと、新しく住みはじめた人たちがうまく交わりながら暮らしている。今でこそ恵まれた要素を持つ街に見えるが、少し前まではそれら全て逆だった。
「環七と環八があって、太い道に分断されて、超ローカルな世田谷線に乗らないと来れない。すごく住みづらいというのが昔の印象。陸の孤島と呼んでいた」それが4~5年前の話と、芳秋さんは語る。
「今は注目されているけど、また何年かしたらすごく不便な場所だ、と言われるもしれない。その時に大事にしたいのはやはり、人と人がつながっているということ。そこだけはずっと大事にし続けるというのがこの街の大前提。そして、僕らがそこにいることでそのつながりが深くなったり、新たに生まれていくということをやっていきたいと思っている」と芳秋さん。

まだまだこの場所も変化し続けると考えている。
「今までの常識を覆せるような可能性があって。徐々にそうなっていく景色を見るのが今は一番の楽しみ」と語る。
街の遊休資産の不動産をハードだけで変えるのではなく、機能や人をつないでいくことで活用していく。
松陰神社前がこれからも面白くなっていきそうだ。

松陰PLATのテナント。写真左上から時計周りに国内外の生活雑貨を扱う「onando」/革小物のアトリエ「CIDER」/セレクトショップ「fridge setagaya 別館二階」/眺めの良いカフェ「tabiraco」松陰PLATのテナント。写真左上から時計周りに国内外の生活雑貨を扱う「onando」/革小物のアトリエ「CIDER」/セレクトショップ「fridge setagaya 別館二階」/眺めの良いカフェ「tabiraco」

2016年 07月21日 10時58分