“大津百町”と称された旧町名が今も暮らしに生き、江戸以来の町家が多く残る

滋賀県の県庁所在地、大津。
江戸時代には、東海道五十三次の五十三番目にして最大級の宿場町として栄えた。旅人たちは京都入りを目前に、胸を高鳴らせて滞在したことだろう。最盛期の町割りは100を数え、そのことから「大津百町(おおつひゃくちょう)」と称された。

100の町名は戦後の住居表示によって変わってしまったが、町のひとびとの意識の中には、今も旧町名の地図が刻み込まれているようだ。

大津百町の中心、旧東海道沿いの町家に住む建築士・柴山直子さんは、大阪・千里ニュータウンの出身。夫の故郷である大津に来て、はじめ戸惑うことが多かったという。
「夫の両親は旧町名を使って会話するんですよ。今の地図には載っていないし、私にはどこのことか分からなくて」。近隣の町内会は、今も旧町名の単位で組織されているそうだ。

往時の名残は、町の名前だけではない。大津は戦火や災害による被害が少なかったため、江戸から明治、昭和初期に建てられた町家が数多く残る。京都に近く、大工技術も洗練された伝統木造だ。ただ、昭和初期の道路拡幅で建物前面が切り取られ、さらに店によっては昭和30年代に洋風のファサードが貼り付けられて、いわゆる“看板建築”と化した。表からは町家に見えない町家が並び、町の歴史は各家の奥に閉じ込められてしまった。

その大津の町が今、少しずつ、伝統的な景観を取り戻しつつある。

旧東海道の風景。格子戸に犬矢来、軒灯看板など、伝統的な町家の特徴を備えた商家が並ぶ(写真提供:柴山建築研究所)旧東海道の風景。格子戸に犬矢来、軒灯看板など、伝統的な町家の特徴を備えた商家が並ぶ(写真提供:柴山建築研究所)

大津町家再生の先鞭を付けた柴山商店。築130年の町家を3年がかりで大改修

柴山さんが夫とともに大津に移り住んだのは2000年のこと。夫の実家は享保元年(1716年)創業という老舗の傘・提灯店だ。店舗兼住居は明治5年(1872年)に建てたものという。長年にわたって改修を繰り返し、昭和7年(1932年)には道路拡幅に合わせて建物前面を約1m分撤去している。“看板建築”とまではいかなかったが、軒は短く切られ、開口部にはアルミサッシがはめられた。

2世帯同居にあたり、一家は当然のように建て替えを考えていたが、ニュータウン育ちの柴山さんの目に、古き良き町家はこのうえなく貴重に見えた。両親にとっても、代々引き継いできた大事な家だ。話し合いを進めるうち、家族全員の意見が保存改修に傾いていった。

とはいえ図面が残っているわけではない。建物の実測から始めて、改修設計、工事完了まで、ともに設計者である柴山さん夫妻が2人がかりで、3年近くかかったそうだ。

通り土間のある昔ながらの間取りを活かしながら、2世帯の同居スタイルに合わせた空間にリノベーションし、断熱改修とOMソーラーで暑さ寒さを解消。外壁には色漆喰を施し、アルミサッシを木製建具に入れ替えて、“現代版町家”の新しくも懐かしい表情をつくりあげた。

柴山商店。上の写真は改修前、下は改修後。アルミサッシはペアガラスを入れた木製建具に取り替え、外壁に昔ながらの色漆喰を施した。右は“ミセ”。既存の建具を生かしている(撮影:石黒 守)柴山商店。上の写真は改修前、下は改修後。アルミサッシはペアガラスを入れた木製建具に取り替え、外壁に昔ながらの色漆喰を施した。右は“ミセ”。既存の建具を生かしている(撮影:石黒 守)

大津市も町家の保存改修を推進。旧町名が町を彩る看板として復活

柴山商店の改修は、同じく町家に暮らす近隣の人々の関心を引いたようだ。工事中から見物人が引きも切らなかったという。壊さなくても美しく住みやすくつくりかえられる、という事実が、住み慣れた町家への愛着を呼び覚ましたのかもしれない。

ちょうど大津市も、町家の保存活用について検討を始めていたところだった。柴山商店改修の評判を聞き、市の職員が意見を求めて訪ねてきてくれた。

柴山さんには、市に伝えたいことがたくさんあった。旧町名を復活させてほしいこと、建物探訪のまちあるきマップがほしいこと、町家の価値を共有するため文化財登録を進めてはどうか……、などなど。柴山さん自身も「大津百町の町家再生研究会」に参加し、本格的に活動することになった。

残念ながら、旧町名の復活には費用その他の影響が大きすぎ、実現は困難だ。しかし、代わりに今、大津百町には旧町名の看板が設置されつつある。中京町、上京町、松幡町、後在家町、葭原町、元会所町、下百石町、上東八町……、地名の由来を想像しながら歩くのも楽しい。

大津町家探訪地図「大津百町まち遺産マップ」は2010年に完成、現在5版を数えている。版を重ねるごとに、国登録有形文化財としてマッピングされる町家も増えてきた。

大津百町のあちこちで見かける旧町名の看板。中には上の写真のように、旧町名と現在の住居表示が並んでいる場所もある</br>(写真提供:柴山建築研究所)大津百町のあちこちで見かける旧町名の看板。中には上の写真のように、旧町名と現在の住居表示が並んでいる場所もある
(写真提供:柴山建築研究所)

マンションの建設計画が景観づくりのルールを法制化する契機に

2010年10月、柴山さんのご町内に工事用バリケードが現れた。旧東海道に面した一角に、マンションの建設計画が持ち上がったのだ。2階建ての町家が並ぶ通りに、いきなり12階建てのマンションがそびえ立つというのは、古くからの住人には受け入れ難い。

これに先立つ2008年、旧東海道では、有志による「まちなみ協定」が結ばれていた。地元の大事なお祭り「大津祭」の「祭りちょうちんが似合うまちなみ」を目指す協定だ。地域住人はこのルールに基づいて、マンション事業主と交渉を持つことにした。大津市のアドバイスのもと、協定の一部を「地区計画」とし、法的拘束力を持たせる。「地区計画」とは、一定のエリア内で建築物の用途、壁面の位置、高さ、色やデザインなどについてのルールを定め、新築や外観改装の際に届け出を義務づけるものだ。

これを知ったマンション事業主も、事業を一時中断。地元住人と話し合いを持ち、まちなみ協定の趣旨に賛同してくれた。その結果、マンションの高層部を道路から8m後退させ、道路面に町家風のエントランスと集会所が設けられることになった。

ちなみに、まちなみ協定に加わり、ルールに則って建物を改修するときは、市の「大津百町の祭りちょうちんが似合うまちなみ形成補助金」が利用できる(2021年3月までの予定)。この補助金による修景事業は2018年10月時点で16件に及び、町家の再生・活用が進んでいる。

町家の改修事業と並行して、市は2011年度に地域住民と「旧東海道まちなみ整備検討委員会」を発足し、電線の地中化を進めてきた。道路の地下にケーブルを埋設し、石畳風に舗装し直して電柱・電線を撤去する、およそ5年がかりの大工事だ。それもまもなく完成を迎え、2018年度中には、旧東海道の中心部から電線が姿を消す。来年の大津祭曳山巡行は、例年に増して、すっきりと華やかな眺めが楽しめるはずだ。

2016年3月に国の重要無形民俗文化財に指定された大津祭。ハイライトは旧東海道を行く曳山巡行(上の写真)で、町家では2階の窓を外し、そこから毛氈を垂らして見物する習わしだ。本祭前日の宵宮(下の写真)には、通りいっぱいに大吊り提灯が飾られ、曳山を美しく照らし出す。(写真提供:柴山建築研究所)2016年3月に国の重要無形民俗文化財に指定された大津祭。ハイライトは旧東海道を行く曳山巡行(上の写真)で、町家では2階の窓を外し、そこから毛氈を垂らして見物する習わしだ。本祭前日の宵宮(下の写真)には、通りいっぱいに大吊り提灯が飾られ、曳山を美しく照らし出す。(写真提供:柴山建築研究所)

大津百町のまちなかに、町家7棟を改修した商店街ホテルが開業

2018年6月、旧東海道沿いに町家を改修した宿が3棟開業した。手掛けたのは滋賀県竜王町に本拠を置く「木の家専門店 谷口工務店」。木造住宅の第一人者である建築家・竹原義二さんによる設計と、職人たちの熟練の技術で、内外ともに妥協なく仕上げている。3棟が近くにまとまっているうえ、奥まった1棟に続く路地もお色直しして、街並みの美観向上に一役買った。

谷口工務店は、この3棟に加え、商店街に散らばる町家と合わせて合計7棟を改修し、ひとつのホテルにまとめている。1組1棟貸しが基本の贅沢な宿で、正式名称は「商店街HOTEL 講 大津百町」。谷口工務店社長の谷口弘和さんは「7棟も一度に改修できたのは、地元で長く町家活用に尽力してきた柴山さんの協力があったからこそ」と語る。この「商店街HOTEL 講 大津百町」ができるまでの物語については、別稿を立てて紹介したい。

「商店街HOTEL 講 大津百町」の開業を弾みとして、大津市の越直美市長は「大津宿場町構想」を発表した。この構想をもとに官民混合の実行委員会が組織され、「リノベーションスクール@大津」や「大津まちなか大学大津百町おもてなし学部」が開講している。大津百町の再生は、新しいフェーズに入ったようだ。

「商店街HOTEL 講 大津百町」の1棟、旧東海道に面した「近江屋」の前で、柴山建築研究所代表の柴山直子さんと谷口工務店代表取締役の谷口弘和さん「商店街HOTEL 講 大津百町」の1棟、旧東海道に面した「近江屋」の前で、柴山建築研究所代表の柴山直子さんと谷口工務店代表取締役の谷口弘和さん

2018年 11月27日 11時05分