街の繁栄を記憶する、17世紀・19世紀末の壮麗なレンガ建築

建築史家・倉方俊輔さん(大阪市立大学准教授)が建築を通して世界の都市を語る、全16回のロングランセミナー(Club Tap主催)。第8回はオランダ、アムステルダムを取り上げる。

「オランダは国土の大部分が海抜0メートルの低地で、人々は古くから堤防を築き、風車で水を汲み上げて街や農地をつくってきました。国土そのものが人工物といえるのがオランダです。“世界は神がつくったが、オランダはオランダ人がつくった”という常套句があるほど。それだけに、オランダは都市計画の先進地でもあります。土地から標識に至るまで、あらゆるものが計画的にデザインされている、デザイン大国です」。

オランダはまた、近世日本と深い関わりを持つ国でもある。鎖国していた江戸時代、日本はオランダとのみ交易し、オランダ語を介して西洋の科学を学んだ。
「現在のオランダはこぢんまりした国というイメージですが、鎖国当時の17世紀には貿易大国として、イギリスと並ぶ世界の覇者でした」と倉方さん。アムステルダムにはその“黄金時代”の建物が今も残る。

「東インド会社といえばイギリスが有名ですが、オランダも東インド会社をつくりました。1606年に建てられた本社の建物が今も残っています。また、現在の国立海洋博物館は、もと海軍倉庫(1656年)です。倉庫といっても、いかにも貿易の国らしく大規模で、しかも美しいですね」。

有名なダム広場に面した王宮は、はじめ市庁舎として1665年に建てられた。
「王宮が市庁舎に変わった例はよくありますが、アムステルダムでは逆です。17世紀オランダの繁栄は、市民が支えました。オランダの東インド会社も民間の力を生かし、世界最古の株式会社と言われます」。

1700年頃に大交易時代が終焉を迎えたとき、イギリスは植民地開発に成功して世界帝国にのし上がっていくが、オランダは一時衰退する。再び盛り返すのは、19世紀末になってからだ。
「産業革命の波がオランダにも伝わり、アムステルダムの港湾が工業都市として重要になっていきます。同じ世界史の潮流において、以前取り上げたバルセロナとよく似た経過をたどりました」。

19世紀末に建てられたアムステルダム国立美術館(1885年)やアムステルダム中央駅(1889年)、現在はショッピングセンターにコンバージョンされている中央郵便局(1899年)は、いずれも壮麗なレンガ造建築だ。
「レンガを露出して使うのはオランダやイギリスの建築の特徴です。フランスやイタリアでは、レンガは構造材として扱われ、表面に見せることはまずない。ちなみに、日本はイギリスから建築を学んだので、赤レンガの建築物が好まれるわけです」。
20世紀に入っても、オランダではレンガが多用される。

上左:旧オランダ東インド会社本社(1606年)、上右:市庁舎/王宮(1665年)、中:海軍倉庫/国立海洋博物館(1656年/1973年)、下左上:アムステルダム国立美術館(ピエール・カイパース、1885年)、下左下:アムステルダム中央駅(ピエール・カイパース+A.L.ファン・ヘント、1889年)、下右:中央郵便局/マフナプラザ(コーネリス・ピーターズ、1899年)</br>以下、写真はすべて撮影/倉方俊輔上左:旧オランダ東インド会社本社(1606年)、上右:市庁舎/王宮(1665年)、中:海軍倉庫/国立海洋博物館(1656年/1973年)、下左上:アムステルダム国立美術館(ピエール・カイパース、1885年)、下左下:アムステルダム中央駅(ピエール・カイパース+A.L.ファン・ヘント、1889年)、下右:中央郵便局/マフナプラザ(コーネリス・ピーターズ、1899年)
以下、写真はすべて撮影/倉方俊輔

モダニズムの誕生前夜に足跡を残した巨匠、ベルラーへ

ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘは、オランダの近代建築の父と呼ばれ、その名を冠した大学もあるほどの巨匠だ。

「ベルラーへをはじめとするオランダの建築家は、モダニズムの誕生に至る近代建築の歴史の上で、重要な役割を果たしました。ちょうど20世紀が始まった頃に建てられた旧証券取引所(1903年)は、ベルラーへの代表作のひとつです。要所要所に細やかな装飾が施され、窓は縦長でモダニズム的ではありませんが、当時としてはとても新しいデザインです。もっと様式主義をひきずっていれば、外壁に柱を付けたり上下で表現を変えたりするはずですが、この建物は全体がひとつの塊(マッス)のように見える。幾何学的なボリュームで構成されています」。

レンガはこうした表現に適した材料だ、と倉方さんは言う。
「石を使うと石の素材感が強調されますが、レンガならまるで粘土のように、ひとかたまりに見せられます。オランダの伝統的な素材を使いながら、モダンな表現に到達しているのです。塔も、装飾やアーチが付属してはいるものの、すっくと建った直方体の印象が強い。単一の素材で単一の形態をつくっても、ちゃんと象徴性を獲得できることを示しています。その先に、モダニズムの地平が拓かれていくわけです」。

旧証券取引所(ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ、1903年)旧証券取引所(ヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ、1903年)

レンガ建築の匠の技を駆使した、“アムステルダム派”の集合住宅

20世紀初頭にアムステルダムの工業都市化が進むと、郊外に集合住宅がつくられるようになる。
「アムステルダムに労働者や技師が集まり、住宅の需要が高まりました。20世紀の都心は空気が汚染され治安も悪かったので、よりよい環境を求めて郊外に住宅地が発達します。集合住宅は、20世紀らしい建築のテーマです」。
そこで活躍したのが、“アムステルダム派”と呼ばれる建築家たちだ。

そのアムステルダム派の中心的な人物が、ミケル・デ・クラーク。クラークが手掛けたエイエンハールト集合住宅(1920年)は文化財であり、今も現役で人が住んでいる。
「ここには、ベルラーヘが提示した、全体をマッスのようにつくる手法が継承されています。塊の一部を削ったり盛り上げたりして全体がかたちづくられている。中庭に面して塔があり、それがここに住む人たちの共同体のシンボルになっています」。

レンガや瓦の使い方も独特だ。さまざまな色合いのレンガをいろんな向きに積み、壁の一部に凹凸があるばかりか、彫刻を施していたりする。瓦は屋根だけでなく、垂直な壁面にも貼られている。
「工業化への反動から生まれた19世紀末のアーツアンドクラフツ運動を経て、20世紀初頭には、クラフトマンシップを建築にどう活かすかが一つの課題になりました。この集合住宅も一見すると温厚な印象ですが、よく見ると独特なデザインが施されています」。

同じくクラークと、ピエト・L・クラメルによるロデ・ダヘラート集合住宅 (1923年)も、レンガと瓦の使い方に特徴がある。
「レンガの壁が曲面を描いていたり、何重にも盛り上がるように見せていたり。古くから立派な建築もレンガで築いてきたオランダの伝統を背景に、デザインが成立しています」。
ここでも、屋根から外壁まで、くるむように瓦を使っている部分がある。
「屋根と壁の区別なく、建物を焼きもの素材で包むのは、アムステルダム派独特の手法ですね。素材が持つ一体感を、集合住宅としての一体感に結び付けていることが分かります。ここでは、建築単体ではなく、広場も含めた集合体としての空間を考え、共同の場をつくっています」。

上2点:エイエンハールト集合住宅(ミケル・デ・クラーク、1920年)</br>下2点:ロデ・ダヘラート集合住宅(ミケル・デ・クラーク+ピエト・L・クラメル、1923年)上2点:エイエンハールト集合住宅(ミケル・デ・クラーク、1920年)
下2点:ロデ・ダヘラート集合住宅(ミケル・デ・クラーク+ピエト・L・クラメル、1923年)

衰退した港湾地帯が、再開発で魅力的な住宅街に生まれ変わる

20世紀後半、1970年代以降の先進国では、港湾が徐々に重要性を失っていく。工業生産の拠点がアジアやアフリカに移って、先進国には巨大なコンビナートが要らなくなったからだ。アムステルダムも例外ではなかった。
「衰退した港湾地区をどうやって復活させるか。1980年代以降、世界中の都市で港湾の再開発が課題になります。その最前線に立ったのがオランダでした。アムステルダムでは、かつて埠頭だった人工島を住宅地につくり変えており、世界の再開発モデルの一つになっています」。

オランダの植民地だったインドネシアの島の名を取り「ジャワ島」と呼ばれる人工島では、細長い島を横断するように水路を引き、水辺に面して長屋のような住宅を並べている。
「隣同士、境界の壁は共有しているものの、外観のデザインや素材は多様なパターンを組み合わせ、一軒ずつ異なる表情を持たせています。昔ながらのアムステルダムの街並みを思わせて、クラフトマンシップも感じさせる。デザインの統一と変化のバランスが絶妙です」。

ジャワ島から運河を渡る通りの正面に位置するのが、巨大な集合住宅「ザ・ホエール」(2001年)だ。上から見ると中庭を囲むシンプルなロの字型の建物だが、全体は三次元に入り組んだ独特の形態になっている。
「この形は数学的なプログラムによって導き出されているそうです。すべての住戸に一定時間の日照が確保できるように計算している。データに基づいて合理的に設計した結果が、このユニークな形態なんですね。さきほどの長屋のような住宅群と、この無機的な巨大建築が併存しているところが面白い。オランダならではの多様性、実験精神が現れているようです」。

「ザ・ホエールは周辺の通りのアイストップでもあり、街並みを形成する重要な要素になっています。都市計画と建築が一体に考えられている。こうした例は、アムステルダムの再開発地区の随所に見て取れます。国土全体をデザインしてきた自負を持つオランダならではの、レベルの高い都市計画です」。

上2点:ジャワ島のキャナル・ハウス(2000年)、下2点:ザ・ホエール(ディ・アーキテクテン・シー、2001年)上2点:ジャワ島のキャナル・ハウス(2000年)、下2点:ザ・ホエール(ディ・アーキテクテン・シー、2001年)

古い倉庫や工場、オフィスビルも改修し用途を変えて活用する

オランダはまた、リノベーションやコンバージョンの先進国でもある。由緒のある建物に限らず、20世紀の倉庫や工場、オフィスビルなども、斬新な発想で改修し、用途を変えて使い続けている。

「1934年に建設されたこの倉庫(下の写真)は、道路を通すために解体される予定でした。しかし、オランダ初期の鉄筋コンクリート建築として重要だ、として保存することになったそうです。とはいえ道路も必要なので、建物を地面から切り取って持ち上げ、その下に道路を通している。保存ともリノベーションともつかない大胆な改修で、実にオランダらしい割り切り方です」。

港湾の別の場所では、19世紀の穀物貯蔵庫をリノベーションした住宅と、オランダの著名な設計事務所MVRDVによる、21世紀の新築集合住宅が並ぶ。
「MVRDVのシロダム(2002年)は、カラフルなコンテナを積み上げたようなユニークなデザインで有名になりました。古い建物を使い変える一方で、気鋭の建築家の斬新な発想で新しい建築をつくらせる。それも、緻密な都市計画に基づいています。結果、街の魅力が更新され続けて、人気が衰えることがありません」。

巨大な船舶工場の廃墟は、アーティストたちに場所貸しし、自由に使わせている。「大型船がすっぽり入るスケールなので、アーティストたちはその中に新しく鉄骨を組んで小屋を建てたり、車を走らせたりしている。あらゆることが許容されていて、いかにもクリエイティブな、自由闊達な空間です」。
1971年に建てられたロイヤル・ダッチ・シェル社の本社ビルは、2016年に観光施設「アダムタワー」としてリニューアルオープンしている。

「合理主義の国と言われるオランダの精神は、変化や多様性を許容します。時代が変われば、合理も変わる。検証と実験を繰り返すことで、常に新しい国、新しい街であり続けています。貿易が衰退しても工業で盛り返し、工業が外に移っても、デザインなどで時代の先頭に立つ。オランダ、アムステルダムの都市・建築は、“いかに継承するか”を思考することがクリエイティビティを生む、という事実を教えてくれます」。

取材協力:ClubTap
https://www.facebook.com/CLUB-TAP-896976620692306/

左上:港湾地区の倉庫の再開発(1934年/2006年)、右上:穀物貯蔵庫/集合住宅(1896年/2001年)とシロダム(MVRDV、2002年)、左下:アーティストスペースに転用された船舶工場、右下:シェル・タワー/アダムタワー(1971年/2016年)左上:港湾地区の倉庫の再開発(1934年/2006年)、右上:穀物貯蔵庫/集合住宅(1896年/2001年)とシロダム(MVRDV、2002年)、左下:アーティストスペースに転用された船舶工場、右下:シェル・タワー/アダムタワー(1971年/2016年)

2019年 12月17日 11時05分