講座「建築が語る世界の都市」〜建築史家が自らの写真で海外の建築を物語る
「日本の建築を理解するためには、世界の建築を知る必要がある」と話すのは、建築史家の倉方俊輔さん(大阪市立大学准教授)。少なくとも年に3回は海外に出掛けることを自らに課しているという。これまでに訪れた都市は32か国71都市に及ぶ。
その倉方さんが、自ら撮影した写真とともに、独自の視点で各地の建築に切り込む講義が、大阪のClub Tap主催で開かれている。全16回、足かけ3年を予定するロングランのセミナーだ。第1回のテーマはロンドン。「日本近代建築の父」と呼ばれるジョサイア・コンドルが建築を学び、経験を積んだ街である。
1852年生まれのコンドルは、明治政府の招聘によって1877年に弱冠25歳で来日。東京大学工学部の前身、工部大学校で教え、門下から東京駅を設計した辰野金吾や、迎賓館赤坂離宮の設計者として知られる片山東熊などを輩出した。そのコンドルが仰ぎ見たであろう19世紀ロンドンの建築から、講義は始まった。
社会の理想を中世のゴシック様式に求めた19世紀ロンドンの建築家たち
ロンドンの象徴、ビッグ・ベンを擁するウェストミンスター宮殿(国会議事堂)は、1840年から1874年まで、およそ四半世紀を費やして建設された。
なぜ議事堂が「宮殿」なのか。かつてこの場所に11世紀に建てられた宮殿があり、そこで次第に裁判や議会が開かれるようになったのが始まりだ。
「つまり、宮殿がなし崩し的に議会に変わっていった。イギリスは、フランスのように革命を誇るのではなく、国王を戴いたまま漸進的に民主化した国といえます。宮殿と呼ばれる国会議事堂が、そんなイギリスの経緯を物語っているのですね」と倉方さん。
11世紀の宮殿は、1834年に火災で焼失した。国会議事堂の再建に向けて開かれた設計コンペの条件は「ゴシック様式またはエリザベス朝様式であること」。選ばれたのは、ゴシック・リヴァイヴァルを提唱する建築家、チャールズ・バリーの案だった。バリーはオーガスタス・ピュージンとともに設計に当たる。
「19世紀の国会議事堂が、どうして中世のゴシック様式を採用したのでしょうか。まず、当時はゴシックがイギリス発祥の様式と考えられていたこと(現在の定説ではフランス発祥)。そして、建築家たちが共同体の理想を中世に求めたことにあります」。
ウェストミンスター宮殿の共同設計者ピュージンは、著書『対比(Contrasts)』の中で、19世紀当時の建築と15世紀のゴシック建築を図解で比較し、後者の荘厳さを讃えた。特に「貧者の住まいの対比」と題した図解では、貧しい者が非人間的に扱われる近代に対し、教会が手厚く保護する中世を描いている。ピュージンは、ゴシック様式こそが、民主的な国会の器にふさわしいと考えたのだ。
「建築によって、理想の社会を実現する。その際、物理的な機能と並んで、理想を表す形態も大事だと考えられました。これは文明開化以前の日本の考え方とは、だいぶ異なります。コンドルは、煉瓦造などの新しい建設技術だけでなく、こうした思想も教え子たちに伝えました。ですから、日本における新しい概念、近代『建築』の父といえるのです」。
ゴシック様式の国会議事堂に対し、大英博物館(1847年完成)は古代ギリシア神殿のようなスタイルを採用している。「古典様式は『永久に変わらない価値を保存する』という建物の目的に適っていました」。
中世の手仕事への回帰を唱えつつ、モダンデザインの基礎を築いたウイリアム・モリス
産業革命後のイギリスで、中世に理想を求めたのはピュージンに限らない。
ピュージンより22歳下の思想家にして美術工芸家、ウイリアム・モリスは、機械による大量生産を否定し、中世風の手仕事と芸術的創造の一致を目指して「アーツ・アンド・クラフツ運動」を主導した。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館には、モリスがデザインした「モリス・ルーム」(1867年)が残されている。
工業化を嫌った一方で、モリスは使う目的に適ったデザインを提唱しており、「モダンデザインの父」と称されてもいる。その壁紙やテキスタイルは今も人気だ。
産業革命によって生まれた新しい建築“駅”。エンジニアと建築家が共作
一方で、産業革命を経たからこそ生まれた、新しい種類の建築もある。その代表が「駅」だ。イギリスは、世界に先駆けて大規模な駅舎を建築した国でもある。
ロンドン西部にあるパディントン駅は、エンジニアのイザムバード・キングダム・ブルネルが設計したものだ。ブルネルは駅舎のほか、橋梁やトンネル、大型蒸気船も手掛けた。2002年にBBCが行った「100名の最も偉大な英国人」ではチャーチルに次ぐ第2位に選ばれた国民的英雄だ。パディントン駅の構内に銅像が飾られている。
「鉄とガラスでこれほどの大空間がつくれるようになったのは、産業革命によって部材が規格化され、大量生産が可能になったからです」と倉方さんは解説する。「けれども、合理主義一辺倒ではなく、ちゃんと装飾も施されているのが19世紀的ですね。イスラム風のデザインは、異国情緒を漂わせ、旅情を誘う狙いでしょうか。ここでも、駅という目的に合った様式が選ばれているようです」
ロンドンの北部には、ユーストン、セント・パンクラス、キングズ・クロスという3つの駅がある。このうちユーストン駅はかつて神殿風のゲートを持った建物だったが、1970年代に解体されて新しいビルに建て替えられてしまった。このとき批判が起きたことを反省材料としてか、後者2つの駅は19世紀の姿を留めたリノベーションが行われている。
セント・パンクラス駅は、1865年から74年にかけて、建築家のジョージ・ギルバート・スコットとエンジニアのウィリアム・バーロウの共同設計によって建設された。ゴシック様式の壮麗なホテルが付属し、竣工当時では世界最大だったという巨大な鉄骨アーチが圧巻だ。
「2007年には、かつての貨物用空間を、日本で言うところの『エキナカ』に改修。鋳鉄の柱やレンガの壁を活かした空間に仕上がっています」。
一方、キングズ・クロス駅は建築家・ルイス・キュービットの設計で1852年に完成した。プラットフォームを覆う鉄骨のアーチが駅舎のファサードにも現れている。「様式はロマネスクに近いでしょうか」。
2012年に行われた改修では、近未来的なデザインのコンコースを増築している。「オリジナルを模倣するのではなく、まったく新しいデザインを持ち込むことによって古い建物を引き立て、新旧の相乗効果を狙っています」。
建築の無料公開によって社会の営みを共有する試み、「オープンハウス・ロンドン」
講義の後半は「オープンハウス・ロンドン」がテーマとなった。毎年9月第3週の土曜・日曜に、ロンドン市内各所の建築物を同時に無料公開する建築フェスティバルだ。1992年に始まり、昨年25周年を迎えた。
同様のイベントは世界各国に伝播し、現在では5大陸にまたがる35超の都市で開催されている。日本国内で最も近いイベントは、倉方さんも実行委員を務める「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」、通称「イケフェス大阪」だ。第5回となる今年2018年は10月27日、28日を中心に開催される。
「オープンハウス・ロンドン」で公開される建築物は優に800を超える。倉方さんはこれまでに2度、2013年と2016年に参加した。
「実際に現地を訪れて分かったのは、建築が持つ魅力を大前提にしながらも、物質としての建物だけにフォーカスを当てているわけではないということでした。建物を公開する側には、それが自分たちの由来とどう関わり、現在そこで何が行われているかを多くの人に知って欲しいという動機もある」。
訪れる方も、ふだん街で目にする建物の、知られざる内部を覗いてみたくて足を運ぶ。
「オープンハウス・ロンドンは、建築を公的(public)にしていく、民主化していく試みともいえます。ひとびとは、ちょっとした好奇心を満たしに出掛けて、建築が抱える社会的背景や歴史的経緯に触れることになる。少し大げさに言えば、この建築公開イベントも、静かに市民社会を運動させてきた近代のイギリスの経緯の延長上にあるのではないか。そんな感慨を抱きました」
1913年に完成した最高裁判所(ミドルセックス・ギルドホール)は19世紀から続いたゴシック・リヴァイヴァルの最後尾に位置する建築だ。通常時も傍聴に入れないわけではないが、オープンハウス・ロンドンの機会だからこそ気軽に見学できる。「法廷には法衣が置いてあって、誰でも着て記念撮影できるようになっていました」。
第二次世界大戦後の建築も多く公開されている。例えば、1964年完成の王立医学校は、戦後のモダニズム建築を牽引した大建築家・デニス・ラスダン、いわば「イギリスの丹下健三」の設計だ。
ラスダンは1914年生まれだから、1913年生まれの丹下とは1つ違い。1964年といえば丹下の国立代々木競技場が竣工した年で、そのデザインからもモダニズムが世界共通の潮流だったことが実感できる。オープンハウス・ロンドンの際には、館内の至るところでくつろぐ家族連れやカップルの様子が微笑ましかったという。
「家族で過ごす週末を、いつもは入れない建物でゆっくり語り合う。お金をかけずに、日常から地続きの非日常を味わっている様子に、人生の豊かさを感じます」。
オープンハウス・ロンドンでは、歴史的な建物ばかりではなく、工事中の現場の見学や、屋外でのイベントもある。工場地帯を住宅地に再開発したエリアでは、かつての運河の構造物を活かして改修した親水広場に人が集まっていた。
「古い建物や構造物には、それぞれ固有の歴史や物語があります。そのことを付加価値として、現代の生活に合わせて実に巧みに再解釈している。理論から解を導く演繹法ではなく、事実から理論を組み立てる帰納法はイギリスのフランシス・ベーコンが提唱したもの。イギリス風の経験主義的な考え方が、目の前にあるものを活かす建築公開イベントやリノベーションの根底にも流れているのではないでしょうか」。
「歴史的な建築を今、どのように残したり使ったりしているか。そこにもそれぞれの都市や国の歴史が反映しています。過去と現在、建築と人間の関係を実感できるのが、現地を訪ねる面白さです」。
生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪HP https://ikenchiku.jp
取材協力:Club Tap

2018年 09月19日 11時05分