オランダに商業主義のルーツを持つ特別な街、ニューヨーク
建築史家・倉方俊輔さん(大阪市立大学准教授)が建築を通して世界の都市を語る、全16回のロングランセミナー(Club Tap主催)。第6回はアメリカ・ニューヨーク。今も昔も、栄華を誇り続ける先進都市だ。
「19世紀末のニューヨークは、その建設の量において、すでに世界のトップランナーでした。20世紀になっても、繁栄する世界の光と影を、この街は最も象徴しました。そして21世紀に入った今も、ニューヨークのライフスタイルは世界に真似されています。一時代に栄華を極めた場所であるほど、後に時代遅れになりそうなもの。ニューヨークが足掛け3世紀もの“継続する栄華”を誇っているのは驚くべきことです」と倉方さん。
「社会構造が目まぐるしく変化した19世紀、20世紀、21世紀を通じて、ニューヨークは常に世界の最先端であり続けました。したがって、それぞれがどんな時代で、建築に何が求められていたのかを示す一流の証拠物件が蓄積されています。ニューヨークは激動する近代の建築の優れた教科書なのです」。
変わり続け、注目され続けるニューヨーク。その素地となっているのが、アメリカ合衆国の中でも特殊な場所としての性格であると、倉方さんは言う。
ニューヨークは17世紀にオランダ人がマンハッタン島南端に入植したことに始まり、最初「ニューアムステルダム」と名付けられた。
「イギリスが侵攻して地名がニューヨークに変わっても、オランダ的な商業主義は残りました。個人の自由を重んじ、起業精神や社会的上昇志向を評価する。異なる宗教にも寛容であるなど、多様性に富んだ空気が今も息づいています。アメリカ合衆国の他地域では、信仰などの理念、家族や自治を大切にするところが多いですから、ニューヨークにはそれとは異なる特殊性があります」。
ヨーロッパに学んだ様式建築を、大衆化・巨大化していった19世紀
ニューヨークに本格的な公共建築が建てられ始めたのは19世紀初めだ。発祥の地であるマンハッタン島南部には、1812年に建設された市庁舎が残っている。
「外観はフレンチ・ルネサンス様式。17世紀のフランスの城館や王宮のデザインを参照しています。なぜ、19世紀アメリカの市民社会のシンボルが、ヨーロッパの絶対王政のスタイルで築かれているのか。それは当時、“様式”というものが世界の建築の共通言語だったからです。この頃の建築の設計は、ヨーロッパの様々な時代の姿を“様式”として整理し、それぞれの建物の性格に合わせてアレンジするのが基本でした。その方法をアメリカの建築家が理解し、使いこなして、独自の表現に昇華する力を身に付けたのが19世紀。この市庁舎は、“われわれはヨーロッパと同じ言語を話し、対等に対話ができる相手なのだ”と宣言しているかのようです」。
19世紀アメリカの一流建築家たちは、フランスのエコール・ド・ボザールで学んだ。その代表的な3人がつくった設計事務所がマッキム・ミード&ホワイトだ。彼らの出世作・ヴィラード邸(1884年)は、イタリアのフィレンツェにあるようなパラッツォ(邸宅)の形式を踏まえている。
「1階の外壁は石積み風として重厚さを感じさせ、上階に行くほど窓が軽快に装飾されていく。初期ルネサンス建築らしい規律あるデザインですが、スケールが大きいんですね。現地に行ってみると、予想の倍ぐらい巨大に感じられます」。
同じくマッキム・ミード&ホワイトが設計した1914年竣工の4代目市庁舎は40階建てで、当時としてはかなりの高層だ。
「建物の低層部を道路が貫通し、エントランスに直接に自動車が着けられるようになっている。デザインは凱旋門を思わせますが、そこにラテン語ではなく英語でマンハッタンと書かれているのもおもしろいですね。誰もが読める言葉を使うところが、市民社会にふさわしく大衆的です」。
「建築における“アメリカらしさ”が姿を現わすのは、マッキム・ミード&ホワイトらが活躍した19世紀末からです。様式というヨーロッパの言語を用いながらも、巨大で大衆的で、最新技術を誇示している。これに似たスタイルの建築が、ソビエト連邦時代のモスクワにいくつも建設されたと聞くと、少し意外に思われるかもしれません。当時の指導者だったスターリンが、ニューヨークの4代目市庁舎に憧れて建てさせたとされます。物量で人びとを巻き込む力は、社会主義の新興国にもふさわしい資質です。建築の“20世紀らしさ”は、イデオロギーを越えて、ニューヨークから開始されたわけです」。
20世紀初頭ニューヨークの象徴、華麗で巨大なグランド・セントラル駅
20世紀初頭ニューヨークの様式建築の黄金期を代表する建物が、グランド・セントラル駅(1913年)だ。
「この建物も、古代ローマ風。世襲の王制を敷かず、多様な民族を抱えていた点で、古代のローマ帝国とアメリカは似ているといえなくもありません。カラカラ浴場のように、大衆のための巨大な公共建築が建設された稀有な時代でもありました。こうした類似点から、19世紀末から20世紀初めのアメリカでは、公共的な建築に古代ローマの様式が応用されます」。
グランド・セントラル駅は、外見の華麗さだけでなく、動線や構造計画の先進性も高く評価されている。
「この駅は、旅客鉄道だけでなく、貨物や地下鉄も入線する複合施設です。人の流れ、貨物の流れ、鉄道と地下鉄の連絡など、複雑な動線を巧みに整理し、コンコースや待合、切符売り場などを配置している。大衆受けするきらびやかな見た目の裏に、冷徹な計算に基づいた合理性・機能性がある」。
設計はリード&ステム、装飾はウォーレン&ウェットモアが手掛けた。
「クライアントは鉄道王のウィリアム・ヴァンダービルトです。だから、古代ローマ風の装飾に混じって、ヴァンダービルト家の家紋であるオークの葉の柄があしらわれています。建築の中にクライアントの顔が覗くのが、いかにも商業主義のニューヨーク的です」。
第二次世界大戦前夜、高さと美しさを競い合った摩天楼群
ニューヨークの街を象徴する摩天楼も、商業主義の産物といえる。その走りが、ニューヨーク市庁舎の近くにあるウールワース・ビルだ。高さ241m。グランド・セントラル駅と同じ1913年に完成し、1930年にクライスラー・ビルが竣工するまで世界最高を誇った。そのクライスラー・ビルも、翌年にはエンパイア・ステート・ビル(1931年)に抜かれている。
1910年代、ヨーロッパではすでにモダニズムが萌芽していたが、同時代のウールワース・ビルは、中世の教会建築の様式であるゴシックの意匠をまとっている。
「古典主義の建築は横長のデザインが基調ですので、超高層にはなじまない。そこで、尖塔を持ち、垂直性が強調されるゴシック様式を応用しています。ウールワースとは施主の名前。田舎から出てきて、ファイブアンドダイムス(5セントと10セント)という、百均ショップのような商売から始めて豪商にのし上がった人です。このビルは“商業の大聖堂”とあだ名されました」。
17年後にできたクライスラー・ビル(1930年)は、過去の様式を離れ、当時流行のアール・デコを採用している。エンパイア・ステート・ビル(1931年)は装飾が少なくシンプルなデザインだ。1939年に完成したロックフェラー・センターは、広大なエリア開発で、中心に70階建ての摩天楼がそびえる。
「1930年代までの摩天楼の特徴は、低層階から上層階に向かって階段状に細くなっていくフォルムにあります。斜線制限をクリアするための方法でもありますが、上昇感があって美しい。建築家レイモンド・フッドによるロックフェラー・センターは、角度によって異なる姿を見せ、セットバックを巧みに活かして設計していることが分かります」。
次回は、第二次世界大戦を経て、いよいよ世界の最先端に躍り出るニューヨークの姿を見る。
■取材協力:ClubTap
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2019年 08月28日 11時05分