住宅政策から消えた「最低居住面積水準」とは
一部報道が伝えたとおり、5年に一度改定される国の住生活基本計画から「最低居住面積水準」が削除される。「ライフスタイルや住まいの選び方の多様化などで、必要性が薄れたと判断して計画から削除した」と国土交通省はコメントするものの、これは、日本の住宅政策の思想を映す小さくない変更である。単なる指標整理として片付けるには、この論点は重いと考える。
最低居住面積水準とは、戦後日本の住宅政策が「量から質へ」と転換していく中、1976年(昭和51年)に閣議決定された「第三期住宅建設五箇年計画」において定められた基準で、2006年(平成18年)に制定された住生活基本法に基づく住生活基本計画へ受け継がれたものである。この基準の意図するところは、「健康で文化的な住生活を営む基礎として必要不可欠な住宅の面積」である。具体的には、単身者25m2、2人世帯30m2、3人世帯40m2、4人世帯50m2など、世帯人数に応じて設定されている。これは建築基準法のように「この広さ未満は違法」と規制するものではなく、市場に対する強制力はないが、国が最低基準を定めたことの意味は小さくない。最低居住面積水準は、公営住宅の設計や各種支援制度の参考指標であり、住宅ストックの質的向上を測る統計上の物差しとしても機能していた。そして、市場に対しては「住まいには最低限必要な面積がある」というシグナリング効果を持つメッセージでもあった。
住宅政策における"広さ”の理念
面積は根拠なく決められたわけではない。単身者の最低居住面積水準25m2は、「就寝・学習等」5m2、「食事・団らん」2.5m2、「調理」2.7m2、「排泄」1.8m2、「入浴」2.3m2、「洗濯」0.9m2、「収納」2.0m2、など、機能に必要な面積を積み上げて算出したものだ。外食やコインランドリー、トランクルームなどの利用で居住機能の外部化が可能な現代で、25m2という数値が妥当かどうかは議論の余地があるとしても、「一定の面積は人間の住空間に必要不可欠である」という考え方は普遍的な理念である。いくら価値観が多様化したとはいえ、居住空間に求められる基本機能まで消えるわけではない。
忘れてはならないのは、一定の面積確保は、近代都市計画や建築が時間をかけて獲得してきた人権と公衆衛生の成果でもあるという点だ。いち早く産業革命を達成した19世紀のロンドンやパリでは、過密居住、日照不足、換気不良、一室同居など劣悪な住宅環境が社会問題となり、それを克服すべく20世紀の住宅改良運動、建築規制、都市計画が発展した。人が健康に尊厳を保って住める最低限の空間を確保することは、近代国家の住宅政策の出発点だったのだ。
高地価と多様化が生んだ「狭小物件」
今回、国土交通省がこの基準を削除した背景には、価値観の多様化と高騰する都心不動産市場の現実がある。単身世帯の増加、都心近接志向、外食やシェア空間の普及などにより、「広さ」だけで住まいの質を測れなくなったという主張には一定の合理性がある。9m2ワンルームマンションの人気を「狭小賢者」などと能天気に伝える報道もあるくらいだ。
確かに東京のような高地価都市では、25m2以上の面積を確保すれば賃料は10万円を超え、住宅確保や居住継続を難しくする面もある。家は寝るためだけの場所として割り切り、狭くても便利な都心を選ぶ人も少なくない。実際、「LIFULL HOME'S」に登録された賃貸物件への反響率は狭い面積帯ほど高い傾向があり、10m2未満の物件の反響率は25m2以上の物件の3倍以上になる。もっとも10m2未満の物件数は全登録物件数の0.1%、10m2〜15m2未満の物件数は2%と、市場全体ではごくまれな特殊な物件であることは強調しておかなければならないが。
極小物件へのお墨付きではない
しかし、それでもなお違和感が残るのは、今回の「最低居住面積水準」の削除が「一定の面積の確保は必要不可欠ではなくなった」という市場に対する誤ったメッセージのようにも読めてしまうからだ。しかも、現行の住生活基本計画(2026年)には、供給・流通を促していく住宅の規模として、「2050 年に向けて増加が見込まれる単身世帯が都市居住に当たってゆとりのある住生活を営むことができる規模及び、2人世帯、3人世帯若しくは夫婦と2人の未就学児等からなる世帯が生活を営むことができる規模を考慮して、40m2程度を上回る住宅とする」と明記されている。つまり、政策全体としてはむしろ「より広く、幅広い世帯にも使いやすい住宅ストックを増やす」方向性を堅持しているのである。
この点で、今回の削除が、住生活基本計画が掲げる「良質な住宅ストック形成」という基本的な立場とは緊張関係にあることは指摘できるだろう。最低居住面積水準の削除は何でもありの免罪符ではないし、決して極小物件へのお墨付きではないことは理解されたい。
問われる令和の住宅の「良質さ」
今後、市場はどう反応するか。短期的には、大都市圏で狭小住戸の供給拡大を後押しする可能性も高い。9m2ワンルームのような狭小物件や投資用コンパクト住戸には追い風となるだろう。だが中長期的には、評価されにくい狭小住戸が中古市場に積み上がり、転用や流通もしにくいストック問題へ転化するリスクもある。住宅政策が目指すべきは、単に今売れる住宅を増やすことではなく、時代の変化に応じて長く社会の中で循環する社会的公共財としての住宅ストックを形成することだと考えれば、市場へのメッセージ効果には慎重になるべきだったのではないだろうか。
ライフスタイルの多様化や家賃が高騰する市場の趨勢を考慮すれば、9m2ワンルームのような狭小住宅を単純に断罪することはできないし、ましてやそこに住む人を嘲笑するようなこともすべきではない。その点で面積基準の削除自体が直ちに誤りとまでは言えない。住宅政策が「広さ」を語れなくなった、ということなのだ。だが、自ら「必要不可欠の最低限」とまで言ってきた面積と引き換えにできるだけの「良質さ」とは何か。令和時代の「良質な住宅」とはどういうものか。その再定義について、国にはもう少し丁寧な説明が求められるだろう。そうした理念なき削除であれば、それは柔軟な対応ではなく、単なる市場への迎合と受け取られても仕方ないのではないか。








