電気・ガスなどの2次エネルギーを使わない“不自由な暮らし”を楽しむ宿

佐賀県西部、長崎との県境に位置する西松浦郡有田町は、日本三大陶磁器のひとつに数えられる『有田焼』の産地としてお馴染みの山間のまちだ。その玄関口である『有田』駅から第三セクターのローカル線・松浦鉄道に乗り3駅目の『蔵宿』駅で降りると、徒歩10分ほどの集落に一日一組限定で宿泊客を受け入れるオーベルジュ『TIMER(タイマー)の宿』がある。

ここは単なる“お洒落なオーベルジュ”ではない。カリフォルニアで修業を重ねたシェフが地元の野菜を使ってオーガニックな薪料理を振る舞い、“不自由な暮らし”をあえて体験するための宿なのだ。近年、オフグリッド(電力会社の電力に頼ることなく、自然エネルギーを電力に変え、使用すること)という言葉を聞くようになったが、その先のさらに電気・ガスなどの2次エネルギーを使用しない取り組みをしている宿だという。

宿のオーナーである高岡盛志郎さん・博子さんご夫妻は、何をきっかけにしてこのような暮らしをはじめたのか?
現地を訪れてお話を聞いた。

▲もともと佐賀市中心街でレストランを経営していた高岡さんご夫妻が、2人の娘さんと共にここ『有田』へ移り住んだのは2018年のこと。地域の人たちが“聖地”と呼ぶこの場所を地元建設会社から紹介してもらい、自宅兼宿泊施設の『TIMERの宿』を建てた。元々みかん山だったという段々畑の傾斜地に立つ登り窯のような個性的な外観デザイン。「ちょうど目の前が国見岳から吹き下りてくる風の通り道になっているようで、夏はこの風の涼しさに助けられています」と博子さん。駅からも国道からも近いのに“非日常感のすごさ”に魅力を感じてこの土地を選んだそうだ▲もともと佐賀市中心街でレストランを経営していた高岡さんご夫妻が、2人の娘さんと共にここ『有田』へ移り住んだのは2018年のこと。地域の人たちが“聖地”と呼ぶこの場所を地元建設会社から紹介してもらい、自宅兼宿泊施設の『TIMERの宿』を建てた。元々みかん山だったという段々畑の傾斜地に立つ登り窯のような個性的な外観デザイン。「ちょうど目の前が国見岳から吹き下りてくる風の通り道になっているようで、夏はこの風の涼しさに助けられています」と博子さん。駅からも国道からも近いのに“非日常感のすごさ”に魅力を感じてこの土地を選んだそうだ

カリフォルニアで出会った人たちの幸せそうな暮らしぶりがヒントに

▲ヤギの一家と共にアンプラグドな生活を送っている高岡盛志郎さん・博子さんご夫妻(42)。カリフォルニアで6年、佐賀市内で6年生活し、2018年3月、ここ有田に『TIMERの宿』をオープンした。宿名の『TIMER』は佐賀市内で経営していたレストランの店名に由来している。「ここは“自然の音”を感じる場所。段々畑の中腹に位置しているんですが、ものすごい高台で暮らしている感じ。木や鳥が飛ぶ様子を上から見下ろすこともできるんです」と博子さん。宿泊は5人まで可能。ヤギたちは庭の“草取り係”として活躍している▲ヤギの一家と共にアンプラグドな生活を送っている高岡盛志郎さん・博子さんご夫妻(42)。カリフォルニアで6年、佐賀市内で6年生活し、2018年3月、ここ有田に『TIMERの宿』をオープンした。宿名の『TIMER』は佐賀市内で経営していたレストランの店名に由来している。「ここは“自然の音”を感じる場所。段々畑の中腹に位置しているんですが、ものすごい高台で暮らしている感じ。木や鳥が飛ぶ様子を上から見下ろすこともできるんです」と博子さん。宿泊は5人まで可能。ヤギたちは庭の“草取り係”として活躍している

実は取材に訪れる前、筆者は勝手に「超ストイックなナチュラリストご夫妻」の姿を想像していたのだが、出迎えてくれたお二人の優しい笑顔を見て一気に緊張がほぐれた。

盛志郎さんは地元・佐賀の出身。博子さんは愛知の出身。盛志郎さんが名古屋のイタリアンの名店で修行をしていた時代に出会ったという。

「名古屋にいたときはナチュラリストでもなんでもなくて、ごくごく普通の生活を送っていました。ただ、昔から市販薬を使うのが苦手で、民間療法を試したりしていましたから、どちらかというと自然派志向ではありましたね。

生活を変えた大きなきっかけは、主人の仕事でカリフォルニアでの暮らしを体験したことでした。

サンフランシスコやシリコンバレーはカリフォルニアの中でもオーガニックやエコ文化が盛んなエリア。お店のお客さんたちと接していると、お気に入りのジーパンを何十年も大切に穿きつづけている方がいたり、何十キロという遠く離れた場所でも車を使わず電車で毎日通っている芸術家の方がいたり…現代生活の利便性からあえて遠ざかり、幸せそうに暮らしている人たちの様子に触れて考え方が変わったんです」(以下「」内は博子さん談)

6年間の米国修業を終えて盛志郎さんの地元・佐賀へ戻り、カリフォルニア料理のレストランをオープンしてからは、佐賀市内に“ごく普通の一軒家”を購入し“ごく普通の生活”を送っていたという高岡さんご夫妻。

しかし、時間に追われる慌しい日常の中でふと思い出したのが、カリフォルニアで出会った人たちの丁寧な暮らしぶりだった。博子さんは“現代生活から遠ざかるための第一歩”として、まずは「自宅の冷蔵庫の電源を抜くこと=アンプラグド」を決意した。

「冷蔵庫の電源を抜いてみたら、数日でどんどん腐っていくものもあれば、実は腐らないものも多いことに気づいたんです。今はみんな冷蔵庫を“食品庫”として使っているのでつい何でも入れてしまいがちですけど、例えば、ケチャップとかマヨネーズって常温でも腐らないんですよね。

むしろ、冷蔵庫の扉を開け閉めする温度差でモノが腐っていく…これって冷房の効いた部屋から出たり入ったりしている人間も同じじゃないかな?と思ったんです(笑)。主人は何でも応援してくれるので“電気もガスも使わずに、自然の中で暮らしてみたい”と伝えた時も特に反対はありませんでした。むしろ、“それ、おもしろいね”と言ってくれました」

こうして高岡さんご夫妻は、冷蔵庫も、エアコンも、テレビも、パソコンも、クルマも、「現代生活の必需品」の多くを手放すことを決断し、アンプラグドな暮らしにチャレンジする『TIMERの宿』の建設計画がスタートした。

クーラーもクルマも無い暮らし、突き詰めていったら自然にこの形になった

アンプラグドな暮らしを追求するためには、そもそも生活拠点となる建物自体にも工夫が必要だ。高岡さんご夫妻が“自分たちの理想の暮らし”について設計士に伝えると、設計士からは「登り窯のような形状の自然エネルギーを活用する建物」が提案された。

ご存知の通り、登り窯というのは斜面の高低差を利用してガス熱の対流を下から上へ促し、炉内の温度を一定に保つことができる陶磁器の焼き窯だ。『TIMERの宿』も段々畑の斜面を利用し、下段の『宿泊スペース』から上段の『自宅スペース』へと風が心地良く通り抜け、真夏の熱い空気を上へ逃す設計になっている。とはいえ、クーラーや扇風機といった電化製品を一切使わないため、外気が35度を超えるような真夏の猛暑日となればさすがに室内も暑い。そこで、建物の次は『衣服』について工夫をするようになった。

「昨年の猛暑を体験して“この夏の暑さを耐え抜くには服を変えるしかないな”と(笑)。化学繊維のものを着ていると暑くて仕方ないんですが、自然素材の服を身につけると不思議と涼しく過ごせます。そこから衣類の素材についても学ぶようになったんです。エアコンを使わないと虫食いがすごいので、防虫効果の高い藍染を着るようになりました。でも、藍染は高価なアイテムですから、より長く大切に使うために自分で草木染を試してみたりして。いろいろなものを突き詰めていったら、生活がどんどん変わっていったんです」

▲三角屋根の中央にある窓を開けると、外から入ってきた風が下から上へと流れていく。この“登り窯式”の構造により冬場は薪ストーブだけでもかなりの暖が取れるそうだ。宿泊スペースには古道具屋さんからもらったという蚊帳が。「本物の麻には体感温度をマイナス1度下げる効果があると言われていますし、この蚊帳は下の部分だけ藍染になっていて虫の侵入を防ぐ効果があるんですよ。昔のモノって本当に良く考えられているなと感心します」と博子さん。宿泊客には博子さん手縫いの藍染の寝巻きを用意。盛志郎さんが提供する料理の火入れはすべて薪や火鉢を使っており、ガスコンロよりも美味しくパリッと仕上がるという▲三角屋根の中央にある窓を開けると、外から入ってきた風が下から上へと流れていく。この“登り窯式”の構造により冬場は薪ストーブだけでもかなりの暖が取れるそうだ。宿泊スペースには古道具屋さんからもらったという蚊帳が。「本物の麻には体感温度をマイナス1度下げる効果があると言われていますし、この蚊帳は下の部分だけ藍染になっていて虫の侵入を防ぐ効果があるんですよ。昔のモノって本当に良く考えられているなと感心します」と博子さん。宿泊客には博子さん手縫いの藍染の寝巻きを用意。盛志郎さんが提供する料理の火入れはすべて薪や火鉢を使っており、ガスコンロよりも美味しくパリッと仕上がるという

デジタルデトックスな生活をはじめてわかった様々な気づき

「下の子の幼稚園のお迎え時間があるので時計ぐらいは見ますけど、今の生活をはじめてからカレンダーや時間をあまり気にしなくなって一日が長くなりました」と話す博子さん。しかし、子どもたちにとっては、友達と盛り上がるはずのテレビの話やゲームの話から遠ざかった生活を送っていることになる。2人のお嬢さんたちに何か変化はあったのだろうか?

「子どもってやっぱり順応性が高いので“これが家だよ”って言ったらすんなり受け入れてくれましたね。前の家ではアニメのネット動画を観たりしていましたが、今はスマホもない、テレビもない。どうしてもインターネットを使いたいときは、役場まで下りていってパソコンを使わせてもらっています。

たまに子どもたちからは、“友達が話している歌や踊りの内容がよくわからない”と言われることもありますが、そういうときは子どもと向き合って徹底的に話し合います。テレビやネットの楽しさや中毒性についてはわたしも理解できるんですが、子どもたちの関心をもっと他のことへ向ける努力をすることが、私たち家族にとって大事なことだと気づいたんです」

ちなみに、高岡さんご夫妻は地元の人たちからしてみると“他の地域からの移住者”でもある。地元の人たちとのコミュニケーションはどのようになっているのか聞いてみると「とても良好」との答えが返ってきた。

「クルマを手放したので、基本的に移動をするときは徒歩か自転車か電車になります。そのぶん日常生活の行動範囲はとても狭くなるんですけど、徒歩や自転車だと地元の人とすれ違ったときに立ち話ができます。だからすぐに仲良くなれるんですね。だって、クルマだとさっと通り過ぎてしまって、なかなかゆっくりお話できないでしょう(笑)」

▲こちらが高岡さんご一家が暮らす自宅スペース。「予算の都合で建物は基礎だけで引き渡してもらい、内装などはすべて教えてもらいながら自分たちでつくりました。直し方も教えてもらったから、壊れても怖くない(笑)」。廃棄予定の畳を畳店から分けてもらい、土間はワークショップを開催して参加者みんなで叩いて作った。なんと壁面の断熱材にも廃棄畳を使っているそうで、冬はとても暖かく快適に過ごせるという。「冷凍庫はあったら便利かなとは思いますが、氷を詰めたクーラボックスで代用しています。野菜は外の菜園で自給自足、マヨネーズやケチャップなどは基本的に手作りです」と博子さん。宿泊スペースでは照明を一切使用せずランプの炎だけが光源となるが、子どもたちの勉強時にはどうしても明りが必要になるため『自宅スペース』では太陽光パネルの自家発電で裸電球を灯している。お風呂は昔懐かしい五右衛門風呂だ▲こちらが高岡さんご一家が暮らす自宅スペース。「予算の都合で建物は基礎だけで引き渡してもらい、内装などはすべて教えてもらいながら自分たちでつくりました。直し方も教えてもらったから、壊れても怖くない(笑)」。廃棄予定の畳を畳店から分けてもらい、土間はワークショップを開催して参加者みんなで叩いて作った。なんと壁面の断熱材にも廃棄畳を使っているそうで、冬はとても暖かく快適に過ごせるという。「冷凍庫はあったら便利かなとは思いますが、氷を詰めたクーラボックスで代用しています。野菜は外の菜園で自給自足、マヨネーズやケチャップなどは基本的に手作りです」と博子さん。宿泊スペースでは照明を一切使用せずランプの炎だけが光源となるが、子どもたちの勉強時にはどうしても明りが必要になるため『自宅スペース』では太陽光パネルの自家発電で裸電球を灯している。お風呂は昔懐かしい五右衛門風呂だ

強迫的にこの生活を続けるつもりはない、子どもたちの故郷を残したい

「この場所の空気がキレイだからかな。地元の人たちがみなさん優しいんですよね。おじいちゃん・おばあちゃんとお孫さんたち、多世代が一緒に暮らしてるので、子育てをしている親御さんたちにも余裕があるんです。だから、みんな心のバランスがとれているのかも」。そう語る博子さんの表情は実に幸せそうで、日焼けした笑顔がとても美しい。

「幸せかな…でも、必死ですよ。まだまだ2年目ですし、これから年月を経るごとにいろんな課題は出てくると思います。実は、この生活を変えずに“ずっと突き通す”つもりはなくて、今は冷蔵庫を使ってないけれど、やっぱり必要だなと思ったら増やすかもしれない。強迫的に“アンプラグドな暮らし”を続けようとしているわけではないんです。

ただ、子どもたちの故郷というのはこういう場所であるべきだなと思っているので、このまま私たちはできる限り今の暮らしをここで続けて、子どもたちが独立した後も、ここを“子どもたちの帰ってくる場所”にしたいですね」

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高岡さんご夫妻によると、『TIMERの宿』のベストシーズンは薪風呂や薪ストーブの温もりが感じられる冬、または、ホタルが飛び交う初夏のシーズンとのこと。あまりに暑すぎる夏場は宿を休業とし、家族で全国のシェフ仲間たちの店を訪ねる“料理旅”に出るそうだ。

現代人が忘れかけていた「ひと本来の丁寧な営み」がこの場所にはある。みなさんも“不自由な暮らし”を体験しに『TIMERの宿』を訪れてみてはいかがだろうか?

■取材協力/薪料理とアンプラグド TIMERの宿
https://timer-no-yado.weebly.com/
住所/佐賀県西松浦郡有田町下内野字中通丙 2440-4
予約・問合せ/080-2697-2288

▲「薪のお風呂は温もりが違う」と評判の宿泊客用露天風呂と、センダンの木が日よけがわりになるウッドテラス。風呂やストーブに使う薪は大工さんから端材を譲り受けたり、台風で折れた木をもらったりと、地元の人から提供されることも多いそうだ。電力会社とは契約をしておらず、合併浄化装置などの最低限必要となる電力については3つの太陽光パネルの自家発電でまかなっている。約1200坪の敷地には未開拓のエリアも。「冷蔵庫やクルマを使わないぶん自給自足が原則なので、今後は庭にもっと果樹を増やしたい。ハゼノキから落ちた実を使ってロウソクやワックスを作るのもいいですね」と博子さん▲「薪のお風呂は温もりが違う」と評判の宿泊客用露天風呂と、センダンの木が日よけがわりになるウッドテラス。風呂やストーブに使う薪は大工さんから端材を譲り受けたり、台風で折れた木をもらったりと、地元の人から提供されることも多いそうだ。電力会社とは契約をしておらず、合併浄化装置などの最低限必要となる電力については3つの太陽光パネルの自家発電でまかなっている。約1200坪の敷地には未開拓のエリアも。「冷蔵庫やクルマを使わないぶん自給自足が原則なので、今後は庭にもっと果樹を増やしたい。ハゼノキから落ちた実を使ってロウソクやワックスを作るのもいいですね」と博子さん

2019年 09月08日 11時00分