商店街活性化を軸に地域全体のまちづくりを目指す、松山のまちづくり会社

中小企業庁が3年に一度実施している『商店街実態調査』によると、平成30年度の調査では1商店街あたりの平均店舗数は前回調査よりも3.6店舗減少。逆にチェーン店舗数は1.6店舗増加しており、昔ながらの個人経営店が商店街のなかで商売を続けていく厳しさが見える結果となった。

また、現在商店街が抱える課題としては「経営者の高齢化による後継者問題(64.8%)」「店舗の老朽化(38.6%)」「集客力や話題性のある店舗が少ない・無い(36.9%)」等が上位に。

近年期待を集める外国人観光客の来街数に関しては一定の上昇傾向が見られたものの、「外国人観光客の受け入れへの取り組みを行っている」と答えた商店街はわずか8.7%。時代に順応する新たなアイデアを商売につなげるだけの起動力を持った商店街は、ごく一部に限られていることがこの数字からも窺える。

そうした商店街を取り巻く背景の中で、商店街活性化をひとつの軸として地域全体のまちづくりを進めている会社がある。それが2005年に設立された愛媛県松山市のまちづくり会社『まちづくり松山』だ。代表取締役社長の加戸慎太郎さん(37)にお話を聞いた。

▲松山市の中心街、伊予鉄『松山市』駅前から全長約1kmにわたり賑やかなアーケードが連なる『松山銀天街商店街』と『松山大街道商店街』。毎年6月下旬から8月上旬にかけて開催される『松山中央商店街土曜夜市』では200を超える出店がアーケードの下にズラリと並ぶ(写真)。松山の夏の風物詩として地元の人たちが毎年楽しみにしているイベントだ▲松山市の中心街、伊予鉄『松山市』駅前から全長約1kmにわたり賑やかなアーケードが連なる『松山銀天街商店街』と『松山大街道商店街』。毎年6月下旬から8月上旬にかけて開催される『松山中央商店街土曜夜市』では200を超える出店がアーケードの下にズラリと並ぶ(写真)。松山の夏の風物詩として地元の人たちが毎年楽しみにしているイベントだ

東京帰りの若きエリート金融マンが、まちづくりに携わったきっかけは…

▲『株式会社とかげや』の代表取締役社長として複数の店舗経営を行いながら、『松山銀天街商店街』の理事長を務め、2014年に『株式会社まちづくり松山』の代表取締役社長に就任した加戸慎太郎さん。現在は『全国商店街振興組合連合会』の青年部部長として全国で講演会を行うなど多くの重責を担っているが、プライベートでは4児の父。家事・育児にも積極的に参加するというパワフルな若き社長だ▲『株式会社とかげや』の代表取締役社長として複数の店舗経営を行いながら、『松山銀天街商店街』の理事長を務め、2014年に『株式会社まちづくり松山』の代表取締役社長に就任した加戸慎太郎さん。現在は『全国商店街振興組合連合会』の青年部部長として全国で講演会を行うなど多くの重責を担っているが、プライベートでは4児の父。家事・育児にも積極的に参加するというパワフルな若き社長だ

多くの人がまず注目するのは、加戸さんの輝かしい経歴だろう。松山随一の繁華街『松山銀天街商店街』にある創業73年の老舗紳士服店『とかげや』の次男として生まれ、中・高校は地元の私立一貫校へ進学。その後、慶応義塾大学で経済学を学ぶため故郷を離れて東京へ。大学卒業後はゴールドマン・サックス証券へ入社し、バックオフィスからフロントまで幅広く業務の実績を挙げてきた。

しかし、26歳のときリーマンショックが発生。時を同じくして家族の病気が発覚し、地元・松山へ戻ることを決意。『とかげや』3代目として家業を継ぐことになったという。

「松山へ戻ったときに最初に感じたのは、繁華街であったはずの商店街の衰退。前職の仕事柄、数字を見るのが得意だったこともあり、まずは家業の建て直しから行うため、すぐに『とかげや』の社長を務めることになりましたが、父に“とりあえず1年間はお前はまちに出るな”と言われて、家業に集中していました。

きっとまわりの人たちも、“東京帰りの外資系金融マン?『とかげや』の次男坊?だからって何ができるんだ”という感じで様子見だったと思います。しかし、家業の手伝いをしながら地域の人たちとのつながりが広がっていく中で少しずつ信頼してもらえるようになり、商店街のイベントや松山のまちづくりに徐々に関わる機会が増えていったのです」(以下、「」内は加戸さん談)。

ちょうどその頃松山市では、中心市街地活性化の取り組みが始まったばかり。2005年にまちづくり会社の『まちづくり松山』を設立し、2008年に『松山市中心市街地活性化基本計画』が内閣府の事業認定を受けたところだった。加戸さんも2012年から『まちづくり松山』の取締役のひとりとして事業に携わっていたが、2014年に代表取締役社長に就任。以来、周囲が驚くほどのスピード感で市街地の活性化を牽引し続けている。

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1998年に『中心市街地活性化法』が制定されて以降、全国各地で多くのまちづくり会社が発足し、ハード・ソフトの両面で様々な取り組みを行っているが、加戸さん率いる『まちづくり松山』の事業が実にユニークなのは「そもそも“まち“とはどういう場所か?」という軸に基づいてその後の取り組みの幅を広げている点だ。そう言われてみれば、“まち”とはいったい何なのか。

そもそも“まち”とは何か?「思い出」の集積する場所こそが“まち”となる

「まちづくり、という言葉はものすごく便利な言葉なんですが、実は地域の人たちみんながイメージする“まち”が必ずしも一致して同じ場所を指しているとは限りません。

では“まち”ってどこなのか?…結論は、人々の共通言語として通じる場所であり、人々の思い出が集積している場所のこと。誰かが“今日はまちへ行こうよ”と言ったときに、“ああ、あそこね”と同じ風景をイメージできる場所であること。これが僕が考える“まち”の定義です。

僕の子どもの頃は、松山の人たちにとって“まち”といえば『銀天街』や『大街道』などの中心市街地の商店街でした。学校帰りに遊びに行く、デートで待ち合わせをする、夜市へ家族と出かける…そんなたくさんの思い出が詰まった場所が、商店街であり中心市街地だったはずなんです。

しかし、小型ワンボックスカーがブームになって、郊外に大型ショッピングセンターができはじめると、多くの人たちは車に乗って家族や友達・恋人と郊外へ遊びに行くようになりました。ショッピングセンターを「まち」と呼ぶ人は少ないと思いますが、何年か先にはそうなってしまうかもしれません。

実際に若い世代にアンケートをとってみると、“商店街で遊んだ記憶がない。商店街にどんなお店があるのか知らない。だから、別に商店街が無くなってもいい”という回答がありました。これでは中心市街地の活性化やまちづくりは成り立ちませんから、地域の人たちの思い出を商店街に取り戻すことが、まちづくりの第一歩だと考えました」

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この“まち”の定義については、加戸さん自身の子どもの頃の経験が大きく影響しているようだ。小学校から国立校に通っていたため、一般的な公立校の「学区・校区」といった“小さなまち”を体験したことがない。そのため、加戸さんにとっては子どもの頃から松山の中心市街地全体が自分にとって思い出の集積地、つまり“まち”だった。だからこそ、商店街や市街地を中心に、各拠点の特色を活かして地域全体の賑わいを取り戻したいという気持ちも人一倍強い。

「ひとことで『まちづくり』と言っても、地域の人たちみんなが同じ方向を目指して進まないと何をしているのかわからなくなります。まずは『まちづくり』の“まち”を共通言語として認識するところからはじめて、まちに対する想いをつなげ、みんなで一丸となって取り組んでいくことに意味があります。

『まち』が“思い出の集積”ならば、中心市街地を活性化し、次の世代につないでいくためには、このまちで“どうやって思い出を作ってもらうか?”をみんなで考えれば良いんです。『土曜夜市』のような地域行事のほかにも、思い出をつくるには人と人とが触れ合うことが大切ですから、人同士をつなげる取り組みも行う。まちづくり会社は“人と人がつながる舞台をつくる”地域のプロデューサーのような役割だと考えています」

▲「今まちで起こっていることを“ジブンゴト化”するのもまちづくりのひとつ」と加戸さん。『まちづくり松山』では一般社団法人『お城下松山』と協力して、土曜日の朝に中心市街地一帯の“お城下エリア”で清掃活動を実施。自分たちでゴミ拾いを行うことで、まちへの愛着が増し“ジブンゴト”として捉えられるようになるという。<br />「ゴミ拾いをはじめると、その場所を“自分のまち”としてより良くしていこうという意識が芽生えます。するとその人がリーダーシップを取るようになり、それが派生していくと“みんなでまちづくり”ができるようになります。強いリーダーが一人いるだけではダメ。“みんなでジブンゴト化していく”ということが大切です」▲「今まちで起こっていることを“ジブンゴト化”するのもまちづくりのひとつ」と加戸さん。『まちづくり松山』では一般社団法人『お城下松山』と協力して、土曜日の朝に中心市街地一帯の“お城下エリア”で清掃活動を実施。自分たちでゴミ拾いを行うことで、まちへの愛着が増し“ジブンゴト”として捉えられるようになるという。
「ゴミ拾いをはじめると、その場所を“自分のまち”としてより良くしていこうという意識が芽生えます。するとその人がリーダーシップを取るようになり、それが派生していくと“みんなでまちづくり”ができるようになります。強いリーダーが一人いるだけではダメ。“みんなでジブンゴト化していく”ということが大切です」

まちを経営する…今の取組みが“100年後の未来のまち”をつくる

もちろん、『まちづくり松山』が取り組んでいるのは“思い出づくり”だけではない。「まちを経営する」をテーマに、マンション・駐車場開発を含めた都市基盤整備事業、商店街の街頭ビジョン等を使った映像・広告事業、松山の歴史散策をはじめとするイベント企画・制作に加え、市内の加盟店約300店舗で使えるオリジナル電子マネー『マチカ』を開発するなど、その事業内容は多岐にわたる。

「大都市と違って、地方都市に共通する課題は、人とお金の流動性が枯渇していること。そのため『コンパクトタウンとしての省エネ都市構造を構築すること』『市外・県外からの外貨を獲得すること』『人・モノ・お金を地域内で循環促進すること』がまちの経営に欠かせない三本の柱となります。

幸いなことに、松山の場合は駅も空港も港にも近いコンパクトタウンで、『道後温泉』や『坊っちゃん』をはじめとする観光資源も豊かに揃っているため、人も外貨も獲得しやすい。そうしたまちの特性を際立たせ、まちの魅力に変えていくような取り組みを行うことが『まちづくり松山』の役目であり、100年後の松山のまちの未来づくりにつながると考えています」

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そういえば、道後湯之町の初代町長・伊佐庭如矢が『道後温泉本館』をつくったのは今から125年前の明治27(1894)年のこと。伊佐庭町長は当時反対する周囲に向かって「これは100年後の道後のまちをつくる事業だ」と説得したと伝えられているが、その言葉通り『道後温泉本館』はいまや松山のまちの宝となり、世界にその存在を顕している。

まちづくりの取り組みというのは、すぐに成果が見えるものではない。100年もの月日が経ってこそ、その歩みや偉業に対しての評価が与えられるものなのだろう。

▲『商店街実態調査』で「外国人観光客の受け入れへの取り組みを行っている」と答えた商店街はわずか8.7%だったが、『銀天街』『大街道』では多言語翻訳対応のタッチパネル式案内ボードを各所に設置。外国人観光客向けに店舗情報を発信している。他にも、多機能トイレやキッズ・授乳スペースを設けた休憩所『きらりん』『てくるん』の運営のほか、地域独自の電子マネーやポイントをカード・アプリで使うことができる地域決済サービス『マチカ』事業が2018年12月からスタート。1ポイント1円。買い物のしやすさを向上させるだけでなく、商店街でポイントを貯め、ポイントを使うことで、人・モノ・お金の地域循環性を高める狙いがある▲『商店街実態調査』で「外国人観光客の受け入れへの取り組みを行っている」と答えた商店街はわずか8.7%だったが、『銀天街』『大街道』では多言語翻訳対応のタッチパネル式案内ボードを各所に設置。外国人観光客向けに店舗情報を発信している。他にも、多機能トイレやキッズ・授乳スペースを設けた休憩所『きらりん』『てくるん』の運営のほか、地域独自の電子マネーやポイントをカード・アプリで使うことができる地域決済サービス『マチカ』事業が2018年12月からスタート。1ポイント1円。買い物のしやすさを向上させるだけでなく、商店街でポイントを貯め、ポイントを使うことで、人・モノ・お金の地域循環性を高める狙いがある

トップダウンで物事を動かす時代ではない、求められるのは円卓の連帯感

▲『まちづくり松山』のロゴマークは“松山”のMであり、“まちづくり”のMであり、“みんなのため”のM。そしてよく見ると人と人が触れ合っており“思い出づくり”が表現されている▲『まちづくり松山』のロゴマークは“松山”のMであり、“まちづくり”のMであり、“みんなのため”のM。そしてよく見ると人と人が触れ合っており“思い出づくり”が表現されている

最後に、いま中心市街地活性化事業に取り組んでいる全国のまちづくり会社関係者・商店街関係者にとって、今後の活動のヒントになりそうなキーワードを加戸さんから聞いた。

「実は、僕は1982年生まれの初期ミレニアル世代。大学ではひとり一台パソコンが支給されていて、ワードやエクセルを習得した上で社会人1年生になりましたが、当時の上司はまだパソコンの使い方がわからない人も多かったので、明らかな世代の違い・感性の違いを感じました。

しかし、僕らミレニアル世代がパソコンを当たり前として社会に出てきたのと同じように、これからはスマホやSNS、AIを当たり前として育ってきた新世代が社会に出てくることになりますから、世の中の世代はさらに多様化していきます。まちの中にいろいろな世代が増えてくると、昭和・平成の時代のように“トップダウン方式”で人々を動かそうと思っても無理。これからはみんな平等の“円卓方式”の組織づくりが求められるのです。

もう強いリーダーだけに期待してはいけません。それぞれがリーダー、ファシリテーターとなって『円卓の連帯感』で一緒に進んでいくことが、次世代のまちづくりを推進するための秘訣だと思いますね」

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筆者が加戸さんにインタビューを行う前、事前資料で確認したその経歴などから、てっきりトップダウンタイプの強いリーダーの姿を想像していた。しかし実際には「まわりに人がいてくれるからいま自分がここにいる。だからこそ、まちづくりができる」と地元愛を熱く語る円卓連帯方式のリーダーだった。加戸さんが地元松山へ戻って早10年。今後まちがどのように賑わいを創出していくのか。みんなの“思い出の集積地”となった「松山のまち」の未来の姿を楽しみにしたい。

■取材協力/まちづくり松山
http://machi-matsuyama.com/

2019年 06月18日 11時00分