名だたる文豪の逗留地「常磐館」をルーツにもつ「蒲郡クラシックホテル」
愛知県は東三河地区、渥美半島、知多半島に囲まれた三河湾に臨み、国の天然記念物・竹島を有する蒲郡市。温暖な気候で風光明媚な地は多くの文人に愛されてきた。
菊池寛が長編小説「火華」で蒲郡を舞台にしたのが1922(大正11)年。以降、志賀直哉、川端康成、三島由紀夫など、その作品に登場することで蒲郡は保養地として広く知られることとなった。こうした蒲郡を愛する文豪たちの逗留地となっていたのが「料理旅館 常磐館」である。
「常磐館」は、名古屋の織物商社である株式会社タキヒヨーの5代目瀧信四郎氏が1912(明治45)年に創業。1934(昭和9)年には新たに洋風の別館「蒲郡ホテル」を敷地内に完成させた。「常磐館」は残念ながら1982(昭和57)年に取り壊されてしまったが、「蒲郡ホテル」は現在「蒲郡クラシックホテル」として当時の姿を留めている。
「蒲郡ホテル」から「蒲郡プリンスホテル」、そして「蒲郡クラシックホテル」と名前が変わったものの、建物自体はほぼ当時のまま残されている。城郭風の外観、アールデコ様式で統一された館内。外から見ても中に入ってみても、何ともクラシカルで伝統を感じさせる建物だ。戦前に建てられ今もその姿を留めているホテルは数少ないため、貴重な存在だ。
外国人観光客向けに設計された「蒲郡ホテル」
2階のテラスからの景色。銅板屋根の向こうに見えるのが竹島だ。島独自の生態系をもつことから天然記念物に指定され、蒲郡のシンボルとなっている。「常磐館」の創設者、瀧氏の助言のもと、この竹島一帯の観光地化が進められたといわれている丘の上に建てられた地下1階、地上3階建ての蒲郡クラシックホテル。敷地内の散策路や客室からは国の天然記念物・竹島を眺めることができる。一番の眺望は2階のテラスだ。銅板で葺いた屋根越しに見る竹島はなんとも風情がある。
「昭和初期は国の政策で、外貨獲得を目的として外国人観光客を誘致するホテルが多く建設されました。蒲郡ホテルもそのうちの1つ。訪日外国人の方向けに、外観は日本風、館内は洋風の建物として造られました」と話すのは、「蒲郡クラシックホテル」統括支配人の安川貴也氏。
建築・設計を担当したのは元鉄道省の建築家・久野節(みさお)氏と建築技師の村瀬国之助氏。
「日本建築学会計画系論文集」に寄せられた砂本文彦氏の論文(※)によると
「主体構造はRC造で、地下1階建ておよび地上3階建、塔屋2階、屋根は入母屋童板葺、中間層に千鳥破風、車寄せ唐破風を持ち、多大な表情を見せる。常磐館とは120間の渡り廊下で結ばれた」(原文まま)とある。
「文献によると奈良ホテルさんを参考に造られたとされています。鉄筋コンクリートのホテルというのも当時はまだそんなに普及していなかったと思います。建築関係の方がいうには、鉄筋コンクリート造りの上に鉄骨の骨組みと屋根を載せた構造というのも珍しいそうです」(安川氏)。
当時、和風の旅館としてはすでに「常磐館」があったが、外国人にとって不慣れな畳や布団ではなくベッドでくつろげるホテルをと考えたのだろう。
入母屋造りの木造屋根を載せた外観は、お城のようにも見える。きっと当時の外国人にも好まれたに違いない。
(※)「蒲郡ホテルと国際リゾート地開発」砂本文彦
日本建築学会計画系論文集第520号297-304(1999年6月)
空白の7年の歴史を取り戻すために「歴史を探る会」が発足
「常磐館」を起源として数えると100年を超える歴史をもつ「蒲郡クラシックホテル」。しかし、当時の資料や写真など残されているものはごくわずかなのだとか。というのも、ホテルとしての歴史に空白の7年間があるから。
まず、おおまかな歴史をおさらいしてみよう。
◆1912(明治45)年/ホテルの前身「料理旅館 常磐館」創業
◆1934(昭和9)年/洋風別館として「蒲郡ホテル」開業。鉄道省国際観光局より、第1回国際観光ホテルに認定
◆1939(昭和14)年~1945(昭和20)年/第二次世界大戦
◆1980(昭和55)年/蒲郡市へ売却
◆1987(昭和62)年/「蒲郡プリンスホテル」として営業再開
◆2007(平成19年)/経済産業省より、近代化産業遺産に認定
◆2012(平成24年)/「蒲郡クラシックホテル」へ名称変更
1980(昭和55)年に蒲郡市に売却されたのちは、建物が利用されることなく7年の時が過ぎた。1987(昭和62)年に「蒲郡プリンスホテル」として営業を再開するまでのこの7年間に、ホテルとしての歴史が分断されたことは、「痛手だった」(安川氏)という。
「蒲郡ホテルが廃業になった時点で、当時の従業員のみなさんが備品や資料などを持ち帰ってしまったとも伝えられていて、私たちの手元には何も残っていないんです。空白の7年間がなければ、おそらく宿帳や備品などは残っていたでしょう」と安川氏。
ホテルとその手前に写る聚美堂(現在の六角堂)、池にかかる橋もほぼそのまま残されている。歴史的価値がある建物として2007(平成19)年には、経済産業省より近代化産業遺産に認定された(写真提供:蒲郡クラシックホテル)戦争、災害、経営難による市への売却など、時代の変遷に飲まれながらも残ってきたホテル。空白の7年を含む歴史を後世に残すため、従業員らで構成された「蒲郡クラシックホテルの歴史を探る会」(以下、「歴史を探る会」)が2018年から活動をスタートさせている。
発足のきっかけは「日本クラシックホテルの会」への加盟。同会には、日光金谷ホテル、奈良ホテル、万平ホテルなど、戦前の建物を維持し、営業を続ける9ホテルが加盟している。
「各施設とも長い歴史のあるホテルで、歴史的な人物が泊まったことやその時のメニュー、写真などが残されています。年表もまとめられていて書籍化されているところもあります。
当ホテルにも、1957(昭和32)年には天皇皇后両陛下が、前後には皇太子殿下や皇族の方たちが宿泊したという記録は残っていますが、その際に出された料理などの詳細はわかっていません。『歴史を探る会』の活動を通して、どこかに点在しているであろう資料や備品を集め、ホテルの歴史を後世に残していきたい」と安川氏は話す。
「歴史を探る会」で発見したベーブ・ルースの宿泊記録
1934(昭和9)年11月に開催された日米野球の際の部屋割り表。一番上に「ジョウジ,エッチ,ルース様及夫人様」とあり、その下には「ジュリア,ルース嬢様」とある。米軍選抜チームが「蒲郡ホテル」、日本チームは「常磐館」に宿泊した(写真提供:蒲郡クラシックホテル)「歴史を探る会」の活動開始から3年。一般の方からの情報が少しずつ寄せられているという。なかでも大きな発見は、「蒲郡ホテル」開業の1934(昭和9)年、あのベーブ・ルースが宿泊したという情報だ。
会のメンバーで広報担当の山本尚生氏によると、情報を提供してくれたのは地元の新聞で会の活動を知った隣町の女性。
「その方のお父様が元蒲郡ホテルの従業員だったそうで、当時の写真やハガキをたくさんお持ちでした。そのなかから、日米野球が開催された際、アメリカチームのメンバーが蒲郡ホテルに泊まった時のホテルの部屋割り表が出てきたんです。よく見るとジョージ・H・ルースと、ベーブ・ルースの本名が書かれていて、これには驚きました」と山本氏。
部屋割り表には「ジョウジ、エッチ、ルース様及夫人様」とあり、その下には「ジュリア、ルース嬢様」とある。夫人と娘を同伴して宿泊していたことがうかがえる。
安川氏は
「蒲郡ホテルが開業したときに18歳の従業員がいたとしても87年経った今では105歳ですよね。当時を知る人がいなくなっているなかで、こうした発見があったことはとても嬉しいこと。『歴史を探る会』を発足した甲斐がありました」と、喜ばしい発見に顔をほころばせていた。
2021年4月、六角堂で見つかった新たな発見
ホテル敷地内にある「六角堂」に関しても新たな発見があったという。
現在、鉄板焼きレストランとして営業している「六角堂」は、名前の通り六角形をした木造平屋建ての建物。当時は聚美堂という名称で陶器や菓子などを販売する土産物店として建てられたものだ。建設はホテル本館と同時、1934(昭和9)年だと思われていたが、2021年4月の新たな発見で「歴史がくつがえった」そう。
「ホテルが建った2年後、1936(昭和11)年に建てられたことを示す棟札が見つかったんです。これまでずっと、蒲郡ホテルと同じ年に建てられたと言い伝えられてきましたし、固定資産税の台帳上もホテルと同時期に建てられたことを示していたので、大変戸惑いました」と安川氏。
ホテルにとってはあまり嬉しくない発見だったそうだが「有識者の方の見識からしても、棟札が正しいという結論に至りました。調べてみると、蒲郡ホテル時代の絵ハガキに聚美堂が載っていないものが存在するんです。ですので、昭和11年に建てられたというのも納得のいく話です」(安川氏)。
100年を超える歴史をたどっていくのは簡単ではない。今後も、口伝や資料を集めるだけでなく事実に基づき検証していくとしている。
「歴史を探るブログ」で事実を検証する試みも
安川氏らは、「蒲郡クラシックホテル」の歴史に関して考察したことを記したブログも立ち上げている。ブログでは「常磐館」、「蒲郡ホテル」のパンフレットなどを手掛かりに、事実を検証していく試みが紹介されている。
古いパンフレットには、写真ではなく絵によって全景や俯瞰図などが描かれている。いつごろ作られたものか記載がないものもあり、
「竹島に鳥居がないことから大正4年以前か?」「昭和7年にかけられた竹島橋がないことから昭和6年以前、昭和4年に造られた三谷駅が描かれていることから昭和4年~6年と仮定」など、安川氏らが仮定した時代をもとに、当時の建物を検証している。
興味深かったのは、ホテルが建てられる前は城が立っていたということ。天守閣の絵が描かれた俯瞰図を元に調査していった結果、広島市立中央図書館の「浅野文庫所蔵 諸国古城之図」に描かれた不相城とホテルがあるエリアの地形が合致したという。
城があった場所に城郭風のホテルが立っているという事実。歴史というアングルでホテルを見てみると、違った楽しみ方ができるかもしれない。
戦前の建物が残ってきた理由とは
取材に対応してくださった支配人の安川氏(写真右)と、広報の山本氏(左)。山本氏は「何か出てこないかな~」と地面を掘っていることもあるとか。「蒲郡ホテル」時代はホテルの裏手に製陶所が作られていたため、今も敷地内には陶器のかけらなどが残されているのだそう戦前に建築されたホテルが令和の時代まで残ってきた理由―。
「蒲郡ホテル」に関して言えば「国際観光ホテルとして、国から融資を受けていたため簡単には建て替えられなかったから」だと安川氏は言う。
「高度成長期、より新しいものが話題になるという時代背景もあり、景気が良かったホテルはどこも新館に建て替えていました。蒲郡ホテルの場合、経済的に厳しく建て替えができなかったという側面もありますが、それが結果的に大きな財産を残すことにつながった。今ではお金で換算できない大きな価値があると考えています」(安川氏)。
「歴史を探る会」は、安川氏、山本氏のほか同ホテル従業員や蒲郡市観光商工課、市立図書館、博物館、海辺の文学記念館職員、蒲郡ホテル時代に支配人だった三村三時さんの次女・美千子さんらがメンバー。1年に3回ほどの情報交換会を実施する予定だ。
「歴史を研究しているプロに頼めば、もっとスピーディに情報が集まるかもしれません。でも今は、自分たちで調べるということに意味があると感じています。資料や写真を見つけては検証し、紐解いていくということ自体が楽しみなんです」と笑う安川氏。
コロナ禍にあって、観光客は激減した。ホテルはどこもこれまでにない苦境に立たされている。そんななかでも、「蒲郡クラシックホテル」は地元の人たちに支えられているという。「蒲郡で一番いい場所といえばここ」と地元の企業が接待で使ったり、ランチなどで利用する人が多いそうだ。
威風堂々と立つホテルの貫禄は、地元の誇りでもあるのだろう。安川氏は「今後もこの建物、ホテルを維持することに全力を注ぎたい」と力強く語っていた。
【取材協力】
蒲郡クラシックホテル
https://gamagori-classic-hotel.com/
【参考】
蒲郡クラシックホテルの歴史~歴史を探るブログ~
https://classichotel-travel.com/
海辺の文学記念館
https://ubkinenkan.com/
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