「大・大阪時代」の象徴、ルナパーク跡地に広がる新世界

新世界の核となった「ルナパーク」。約3,700坪の遊園地には初代通天閣、日本初の旅客用ロープウェイのほかさまざまなアトラクション設備があった新世界の核となった「ルナパーク」。約3,700坪の遊園地には初代通天閣、日本初の旅客用ロープウェイのほかさまざまなアトラクション設備があった

“No double dipping”-ご存知、新世界の串カツでおなじみの「二度づけ禁止」を英語でいうと、こうなる。いまや大阪観光のメッカといえる新世界で、このルールは外国人観光客にも浸透しており、40店以上の串カツ店でも二度づけする人はほとんどいないという。まさに新世界の常識は、世界の常識。そんな街で、シンボルの通天閣とともに、人気を集めているのが「ビリケンさん」である。とんがり頭につり目、はだかん坊という姿は、1908年のアメリカの女性アーティストによる作品だ。夢枕にでてきた精霊をそのまま造形したといわれている。幸運の神として、ひところアメリカを中心に世界的にヒットした。時は流れ今では、通天閣に祀られているだけでなく、新世界の飲食店をはじめとするあらゆる店先に鎮座する。

ビリケンと通天閣。この2大シンボルを生む新世界が誕生したのは、明治から大正元年となった1912年7月。東京ドーム3個分の広さの歓楽街「ルナパーク」は、元は第5回内国勧業博覧会跡地に作られた東洋一のテーマパークだった。官民一体の肝いりで計画され、パリとニューヨークを足して2で割ったようなハイカラな街並み。その目玉として建設されたのが、エッフェル塔と凱旋門を模したデザインの初代通天閣である。当時、ド肝を抜く高さで一躍、大阪のシンボルに。同時期、招き猫や福助にかわる千客万来の人形として、パーク内に祀られたのが舶来のビリケンだった。

通天閣はまちの栄枯盛衰とともに

上:創建当時、東洋一の高さを誇った初代通天閣   下:現代の二代目通天閣上:創建当時、東洋一の高さを誇った初代通天閣  下:現代の二代目通天閣

その後、「東洋一の商工地」へと変貌を遂げた大・大阪時代(大正後期~昭和初期)。その先陣を切った新世界だが、1925(大正14)年にルナパークは閉鎖され、初代ビリケンも行方不明に。戦時下の1943年、初代通天閣は近隣の火事をもらって焼け焦げ、解体。その後、二代目通天閣の再建に乗り出したのは、新世界町会連合会の人たち。出資を募って立ち上げたのが、通天閣観光株式会社である。
1979(昭和54) 年、かつてのビリケンを復活させようと通天閣に2代目が帰ってきた。これは、“新世界の繁栄をふたたび”という切実な願いからだ。

そんな新世界に生まれ育ったのが、現在、同社副社長の高井隆光さん。16年前に脱サラして、運営者一族のひとりとして経営に乗り出したが「当時は、近隣の釜ヶ崎暴動で“こわいまち”というイメージがあったうえ、光化学スモッグで売りの展望がよう見えんとかで、まぁ、えらい経営難でした」と、振り返る。

通天閣の入場者数は、開業ブームに沸いた8年間と1970年の国際博覧会の開催時に100万人を超えたが、その後低迷を続け、20万人を割った年もあった。この逆境を乗り越えたいと、さまざまな企画を打ち出し、2007年から11年連続で入場者100万人超という全盛期のにぎわいを取り戻した。ビリケンはどんな役割をはたしてきたのだろうか?

ビリケンさんが「なにわの文化・観光交流大使」として東京に

通天閣50周年に副社長に就任した通天閣観光株式会社の高井隆光さん。「通天閣ビリケンさん」のディレクターとしてさまざまな企画を打ち出す通天閣50周年に副社長に就任した通天閣観光株式会社の高井隆光さん。「通天閣ビリケンさん」のディレクターとしてさまざまな企画を打ち出す

高井さんが副社長に就任したのは2005年。最初に仕掛けたのは、東京・渋谷にある百貨店での「大・大阪博覧会」と称するイベントへの出展だった。

「門外不出だった通天閣のビリケンさんを東京のイベントにお連れするという案を出しましたが、まわりから『神さんを移動させるなんて、そんな無茶な』といった反対を受けました。で、今はそんなんにこだわってる場合やないと訴え、実行にこぎつけたんです」

結果は大成功。「なにわの文化・観光交流大使」の称号とともに東京へもちだされたビリケンは、大きな脚光を浴びた。移動時はご神体を飛行機やリムジンに乗せ、その道中までも取材が入るほど。こうした広報活動でビリケンは、大阪を代表するキャラクターとして広く認められるようになった。

「ビリケンさんが全国を飛び回るようになって、まちのあちこちにビリケン像が置かれるようになったんです。地元の人よりも、新規出店の串カツ屋さんが目早かったですね。ひと昔前は、見た目がコワイなんて敬遠されていたのに、うれしい変化。今では新世界のお守り。まちに一体感をもたらしてくれてます」と、目を輝かせる。

ビリケンの台座には「THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE 」とある。直訳すると、万事あるがままの神で、“全知全能の神”を意味する。足の裏をなでると、ご利益があるといわれる神様。聞くところによると、手が短くお腹も出ているから、足の裏をかきたくても届かない。だから、足の裏をなでてくれた人の願い事を叶えてくれる、らしい。

去りゆく昭和ノスタルジーが魅力のまち

通天閣が初代から数えて100年目を迎えた2012年、3代目ビリケンが祀られた。同年、53年ぶりに入場者130万人を超える。V字回復は、なにも元祖ゆるキャラの働きだけではない。

開業から始まった「干支の引き継ぎ式」や「新世界振る舞い酒」「福豆まき」などの恒例行事に加え、コテコテの大阪を追求。カップルがキスすると入場料が半額になる「チュー天閣」や、七福神の筆頭にビリケンを据え、展望台に七福神ならぬ「八福神巡り」という見どころもつくった。新世界に新たな文化を発信しようと、地下スタジオでは、お笑い寄席や音楽ライブなどのイベントを開催。大阪のご当地アイドル「オバチャーン」のライブも開かれている。いろいろユニークな企画を打ち立て、話題性に事欠かない。

「新世界は梅田やナンバとは違ったおもしろさがあって、“昭和ノスタルジー健在の下町”という、ものすごいポテンシャルがあるんですよ。おっちゃんが一人で遊ぶまちから、カップル、家族連れ、団体のお客さんが安心して来られるまちに変わってきた。ここ数年、目に見えて外国人観光客が増えている」と、にこやかだ。

左上:初代ビリケンは1912年、ルナパーク内のホワイトタワーに祀られていた 左下:1980年、二代目ビリケン誕生。ルナパークの閉鎖とともに行方不明となっていたが、50数年ぶりに復活する 右上:2015年、初代通天閣に描かれた天井画を復刻。通天閣の営業を続けたまま、免震改修工事をおこなう 右下:2012年、展望台のリニューアルにあわせ三代目ビリケンが登場左上:初代ビリケンは1912年、ルナパーク内のホワイトタワーに祀られていた 左下:1980年、二代目ビリケン誕生。ルナパークの閉鎖とともに行方不明となっていたが、50数年ぶりに復活する 右上:2015年、初代通天閣に描かれた天井画を復刻。通天閣の営業を続けたまま、免震改修工事をおこなう 右下:2012年、展望台のリニューアルにあわせ三代目ビリケンが登場

2025年の国際博覧会を追い風に機運を高める

高井副社長にこれからの展望をうかがった。「ビリケンさんは新世界のアイコンです。この存在を通じて、まちの魅力を世界中の人に知ってもらいたいですね。通天閣としても、ビリケンさんの海外プロモーションを強化します。アジア圏のお客さんは、アメリカ生まれのマスコットだという事実をほとんど知らないんですよ」。キャラクター歴40年近くともなれば、掲げる目標も大きく、不思議な生命力すら感じる。

新世界の近隣に、新たな開発構想が浮上。2022年春には、観光客に特化した新ホテル「星野リゾート」が開業予定である。さらに大阪が「二度づけ禁止」のタブーを打ち破り、2025年、二度目の国際博覧会が開かれる。「そこがリスタート。もうやるべきことは始まっている」と、前を向く。グローバル化時代。新世界の顔となったビリケンさんが、世界にどう羽ばたいていくのか。楽しみである。

取材協力:通天閣 https://www.tsutenkaku.co.jp/

まちを歩けば、いたるところに個性的なビリケンさんがいる。</BR>新世界に来て100年たつことを記念して建立された「ビリケン神社」もまちを歩けば、いたるところに個性的なビリケンさんがいる。
新世界に来て100年たつことを記念して建立された「ビリケン神社」も

2019年 04月02日 11時05分