中島公園に佇むウルトラマリンブルーの洋館

「札幌が北の都として豊かに平和に発展するように…」
豊平館は名前の由来そのままに、札幌の開拓から近代化、発展を見守ってきた。

札幌の中心部に位置する中島公園に佇むのは、鮮やかなウルトラマリンブルーが目を引く「豊平館」だ。1880(明治13)年、開拓使が洋館ホテルとして建てたもので、明治政府機関が建てた唯一のホテルでもある。完成の翌年、明治天皇北海道行幸の宿泊所として利用され、華々しく開館。大正天皇、昭和天皇と3代にわたり行啓、宿泊所として利用された由緒ある建物である。

豊平館の所管は、1882(明治15)年、開拓使の廃止とともに札幌県に移管。その後公会堂を付設し、文化の拠点として音楽会や講演会、結婚式場などに利用された。第二次大戦中は軍に、戦後は進駐軍に接収され、札幌市に返還された後は市民会館としての役目を果たす。
1958(昭和33)年、新たな市民会館の建設に伴い、札幌市中央区北1条西1丁目から、中島公園内の現地に移築。以降、24年にわたり結婚式場として利用された。

時代とともに、幾度も用途を変えながらも、長く活用され札幌の歴史とともに歩んできた豊平館。現在は、一般に開放され、貴重な建物を観覧することができる。

豊平館の設計は安達喜幸らが担当。安達喜幸は明治初期を代表する建築家の1人豊平館の設計は安達喜幸らが担当。安達喜幸は明治初期を代表する建築家の1人

開拓使のシンボル五稜星が輝く

豊平館は、アメリカ風の建築様式を基調としているが、各所には日本の伝統的な意匠や技術が見られ、またヨーロッパの建築要素も取り入れられた。外観は白い外壁にウルトラマリンブルーで軒蛇腹、窓枠周りが色づけられている。このウルトラマリンブルーは当時、高貴な宝石として重宝されたラピスラズリ(瑠璃)から作られた貴重なものだった。たびたびの用途変更のなか、その時代に合わせて当初とは異なった色に塗られていたものを、1982(昭和57)年から5年かけて実施された大改修の際に、北海道大学の分析により、現在の色に復元された。
正面玄関には、半円形の車寄せにコリント様式の柱頭飾りがされた木造の柱が2本を近接した吹き寄せに立っている。装飾的な手すりのバルコニーは欧風様式だ。その上、正面大屋根には円弧形のペディメントを設け、中央には和風意匠の懸魚(けぎょ)が見られる。

そして、中央にある「豊平館」の銘板の上に輝くのが、開拓使のシンボルである五稜星だ。北海道開拓使が旗章としていたのが青字に赤い星の北辰旗で、開拓使が建てた建物のいくつかには、この五稜星が見られる。豊平館には星形にくりぬかれた破風もあるので、ぜひ探してみてほしい。ほかにも、札幌では北海道庁旧本庁舎、旧札幌農学校演武場(時計台)、清華亭などで五稜星が見られる。

菖蒲池側から見た豊平館。和風意匠の懸魚や、五稜星が菖蒲池側から見た豊平館。和風意匠の懸魚や、五稜星が

天井には漆喰芸術

内部にも多くの見どころがある。見学に来た漆喰職人が絶賛するというのが、天井シャンデリアの中心にある漆喰飾りだ。漆喰を盛りつけて立体的に仕上げた「こて絵」と呼ばれる伝統技術が見られる。牡丹、菊、椿、鳳凰、波、千鳥など部屋ごとに模様を変えて施されている。特にブドウの間の葡萄飾りはどうやって作ったのか見当もつかないほど立体的に、たわわに実った葡萄が表現されている。

天井の漆喰芸術とともに注目したいのがシャンデリアだ。8組あるうちの4組は建築当初から残されたもので今もなお利用されている。当時、ガス式灯を導入したものの、実際にはろうそくが灯された。ろうそくのすすやほこりでシャンデリアのそばにある漆喰飾りが汚れてしまい、何層にも漆喰がこて絵の上に塗り重ねられていたそうで、1982年の復元の際には一層一層慎重に取り外していったという。16層を取り除いた後、現れたのが芙蓉や鳳凰の目の赤い色づけで、職人の手により見事に復元された。

じっくり見ないと気がつかないかもしれないが、実は漆喰で造られた暖炉が館内に6つある。こちらも1982年の改修工事で復元されたもの。マントルピースは天板のみが大理石、それ以外は大理石を模して作られた漆喰塗り。大理石に似せてある漆喰部分をじっと眺めれば、優れた左官技術を持った職人たちが復元に力の限りを尽くしたことが分かるだろう。

ぜひ館内の天井中心飾りを見上げてほしい。鳳凰や牡丹、菊などの伝統文様、シャンデリアは息をのむ美しさぜひ館内の天井中心飾りを見上げてほしい。鳳凰や牡丹、菊などの伝統文様、シャンデリアは息をのむ美しさ

2度目の大改修、活用整備工事を経て一般観覧が可能に

前述の通り、豊平館は1958(昭和33)年に移築されている。老朽化や、移築時に失われた建築当初の意匠を復元するため、1982(昭和57)年から5年かけて修復工事が行われた。

大規模な修繕工事から25年後の2007(平成19)年。豊平館は、耐震診断により大地震時に倒壊の危険性有りとの結果を受けた。また、長年、市営の結婚式場として利用されてきたものの、年々婚礼の件数は減少。今後も結婚式場の需要の増加が見込めないことから、地域の観光資源として、一般観覧を可能とすることも目的に、バリアフリー化、耐震補強など、大規模な活用整備工事が2012(平成24)年から4年にわたって実施された。

多目的トイレを備え、バリアフリー対応としてエレベーターを設置した別棟を豊平館の後ろ手に付属棟として設置。2016年6月にリニューアルオープンした。

暖炉をじっくり眺めれば、天板以外の部分の大理石模様が漆喰塗りで再現されたものだと分かる。重厚なカーテンは牡丹唐草のデザインを再現して織られたもの暖炉をじっくり眺めれば、天板以外の部分の大理石模様が漆喰塗りで再現されたものだと分かる。重厚なカーテンは牡丹唐草のデザインを再現して織られたもの

イベントや貸室利用でより身近に

リニューアルにより、豊平館の裏手の附属棟へはスロープで移動し、観覧することができるようになった。1階広間でお茶をすることができる。喫茶はボランティアの方たちで運営されている。ボランティアガイドの方による館内ツアーもおすすめだリニューアルにより、豊平館の裏手の附属棟へはスロープで移動し、観覧することができるようになった。1階広間でお茶をすることができる。喫茶はボランティアの方たちで運営されている。ボランティアガイドの方による館内ツアーもおすすめだ

リニューアルにより、館内一部の貸室利用も可能になった。1階や2階の広間は、クラシックコンサートや発表会、ケータリングを利用した結婚式の披露宴や食事会など、さまざまに活用されている。

リニューアル後について、館長の大島 光明氏は、「リニューアル前には、来館目標数を年間1万7千人としていましたが、現在は年に約2万人ほどの方が来館してくださっています。貸室でのコンサートなどの来場者の方も含めると3万人ほどです。これまで結婚式場のイメージが強く、中には入れないと思っている方も多かったのですが、地道なPRにより多くの方にお越しいただけるようになりました。外観も立派だけれども、内装もこんなに綺麗だったとは知らなかったと、嬉しいお言葉を頂いています。」と話す。

豊平館の来館者のうち約6割が女性。豊平館で結婚式を挙げた女性がお孫さんを連れ、当時を懐かしがりながら楽しそうに観覧されることも多いという。より豊平館の建築、歴史について知ってもらう機会をつくりたいと、夜のライトアップや写生会、歴史文化の講座なども随時開催している。

「今後も北海道や札幌、豊平館の歴史を知る講座やイベントを開催していきます。豊平館のある中島公園は古くは中島遊園地として整備され、過去には競馬場、野球場もあった市民の行楽の場です。そして今も、北海道立文学館や札幌コンサートホールKitaraがあり、天文台で星が見られたりと、魅力ある場所だと思います。北海道大神宮の祭りで夜店が出たり、秋には鴨々川ノスタルジアのイベント、冬にはゆきあかりなど、四季折々で楽しみがありますので、豊平館も協力して魅力を発信していきます」

1967(昭和42)年ごろ、豊平館で結婚式を挙げた新郎新婦は年間千組以上だったという。多くの市民の門出を祝ってきた豊平館は、今も札幌の歴史を伝える建物として中島公園に佇む。札幌に訪れた際は、ぜひ豊平館にも足を延ばしてみてほしい。菖蒲池の水辺や緑、花々とともにウルトラマリンブルーの洋館が迎え入れてくれるだろう。

■取材協力
豊平館
http://www.s-hoheikan.jp/

2019年 08月05日 11時05分