70年代、スノッブなお店や若者が集まっていた札幌の『オヨヨ通り』

2018年10月に発表された、民間調査会社ブランド総合研究所が行っている「都道府県魅力度ランキング」。
注目のトップは北海道で、なんと10年連続のトップとなった。特に札幌はインバウンド需要の伸びもあり、まちは活気をおびているようだ。札幌のまちには、各所で新たなビルの建設も見られる。一方で、古いビルが取り壊されまちの風景がかわりつつあるようだ。

札幌の大通とすすきのの間…南1条の中小路を通称「オヨヨ通り」という。
1970~1980年代このオヨヨ通りには、ジャズやロック喫茶、ライブハウスなどがあり、スノッブな若者が集う面白い通りだった。「オヨヨ通り」という名前は、桂三枝(桂文枝)さんの当時の流行語「およよ」から名づけられたそう。この通りに、1964年の東京五輪の年に建てられたビルがある。今年で築55年となる興和産業ビルだ。このビルは、2019年春に壊されることが決まった。

消えゆくビルと通りの風景……そこで、このビルを活用してアートでまちの記憶を伝えようとするプロジェクトが立ち上がった。「New build」プロジェクトという名前のプロジェクトのアートを手がけたアーティストの相川みつぐさんにお話を聞いてきた。

オヨヨ通りに面した1964年の東京五輪の年に建てられた興和産業ビル。2019年、壊されることが決まっているオヨヨ通りに面した1964年の東京五輪の年に建てられた興和産業ビル。2019年、壊されることが決まっている

通りとまちに残る記憶を紐解き、アートで表現する

アーティストの相川みつぐさん。オヨヨ通り、興和産業ビル内にあるハリネズミ珈琲店にてアーティストの相川みつぐさん。オヨヨ通り、興和産業ビル内にあるハリネズミ珈琲店にて

相川さんは、札幌で壁画やイラストを手がけるアーティスト。このプロジェクトのきっかけは何だったのだろうか?

「2018年10月に札幌で行われた『No Maps』というコンベンションがありました。『No Maps』は、札幌・北海道という象徴的な開拓の地で、クリエイティブな発想や技術によって次の社会を創ろうとする“現代的フロンティアスピリット”を持った人たちのための取り組みです。この運営者の一人から、今回の壊されてしまうビルを使ってまちの記憶をアートで表現してくれないか、と相談がきたことがきっかけです」。

そこで、相川さんはオヨヨ通りと周辺の昔のまちの変遷を調べようとした。
「オヨヨ通りをモチーフに壁画を描くという依頼を受けたのですが、昔の通りのことを調べようとしたら、ほとんど情報がなかったんです。最初は、“ここでお店をやっていた”“この通りで遊んでいた”という、昔の通りやまちの様子を知っている人たちにお話しを聞くところからはじめました。

この通りは、ジャズ喫茶やライブハウスなど昭和のスノッブなカルチャーを発信するお店が多かったということでした。当時は、タバコを吸うお客さんのためにお店ではイラストやロゴ入りのマッチがあったので、各店舗のマッチ箱を集めて、そこから何かアイディアが生まれれば…と思ったりしたのですが、これがなかなかマッチ箱がみつからない(笑)。そこで、知り合いの編集者を訪ねて、当時の通りにあったお店の様子を本の写真から見つけて、わずかに写っている看板などのロゴをモチーフにアートを考えました」という。

5階の部屋に描かれた街の記憶の壁画

当時の写真を見て、まちのひとたちの話を聞き、ビルの入り口からアートを描き始めた。ビルの螺旋階段の壁を森のモチーフで埋め尽くした。
不思議な、増殖する植物のようなアートをアプローチとして、5階の部屋に描かれた街の記憶の壁画にたどり着く。

「札幌の中心地として、賑やかで活気あるこの場所。人々で溢れるこの場所も、ほんの少し前は、今ほど開発がされてなかった時代がありました。なので、アートは自然が主役だった時代の姿をイメージして描いてます。開拓するために伐採された木々。 再開発のために壊されるビル。さまざまな『記憶』や『思い出』がつまっているこのビルも、来年にはカタチが無くなります。『記憶』の片隅に残る絵になれば嬉しいなと思いながら描きました。あちらこちらで見かける、工事が進んでいる場所も、元々は何だったのか?とすでに思い出せなかったりする。そう、簡単に忘れられていくもの。確かなのは、ずっと昔、『この場所』も『あの場所』も、草木だけの景色があったということ。新しくつくられ壊され、そしてまた新しくつくられる時代が『生まれ』そして『おわる』ことが、繰り返されていく。そんな思いをこめています」。

出来上がった5階の壁に描かれたアートは、かつて若者が集まったオヨヨ通りのストリートのエネルギーと昭和のノスタルジーが感じられるものとなっている。

まちをつなぐのは「人」、アートワークはそのきっかけ

約10日間でビルのアートを手がけた相川さん。階段のアートを手がけていると、まちの人が声をかけてくれることも多かったとか。

「最初は“何をしているの?”からはじまって、取り壊しになるビルの話やまちの通りの想い出などを話してくれる人もいました。消えてしまうビルにアートを手がけるのは、なんだか儚い作業だな……とおもっていましたが、実はこのビルの、この通りの、このまちのストーリーを積みあげるひとつの作業なんだな、とだんだん感じられるようになりました。

実は、オヨヨ通りの細い路地には、昭和初期の長屋の面影も多少残っているんです。壊されるビルもそうなのですが、ふだん何気なく目にしている風景だったものが、変わっていくということ。その風景は、この仕事をしなければ、見過ごしていたまちの足跡なんだと思います。

ほかのまちもそうなんでしょうが、老朽化した建物や流行が去って閉店してしまったお店などは、どんどん変わっていくしかないのかもしれません。でも、歴史をふりかえり、よりそえる機会があることは、新しいまちの風景にも何かしらの痕跡が残る気がしています。このアートワークを通して、またひとつ、まちへの見方が変わった気がします」と、話してくれた。

いつも目にしているものが無くなり、変わっていくまち……たとえ新しくなっていっても、かかわる人々がふりかえる機会をもち、それぞれの時代に生きたまちのアイデンティティをリスペクトすることが、これからのまちをつくる愛情につながるのかもしれない。

5階の部屋に描かれたオヨヨ通りの記憶の壁画5階の部屋に描かれたオヨヨ通りの記憶の壁画

2019年 02月03日 11時00分