京都市でさえ、1日に約2.1軒の京町家がなくなっている

有斐斎弘道館の門。右下に「皆川淇園弘道館址」の石碑が見える有斐斎弘道館の門。右下に「皆川淇園弘道館址」の石碑が見える

京町家が減り続けている。

2017年5月に京都市都市計画局から発表された「京町家まちづくり調査に係る追跡調査の結果について~7年間に5,602軒の京町家が減失~」(※この調査では、1950年以前に伝統軸組構法により建築された木造建築物を対象としている)では、2009・2010年の調査時に残存が確認された47,735軒から、タイトルにもあるように、7年間で5,602軒が減失したことが報告されている。1日に、約2.1軒の京町家がなくなっている計算だ。
行政も人々も「京都らしい景観」を愛し、守ろうとはしている。しかしなぜ、それは現実には困難なのか。規模が大きい数寄屋建築にいたっては、その難しさはさらに増すだろう。失われていく京都の数寄屋建築とそこに宿る日本の文化を守ろうと立ち上がった濱崎加奈子さんの話から、その答えを探してみたい。

京都御所の西側。蛤御門の付近から上長者町通を西へ。現代的なビルや家が立ち並ぶ閑静な住宅街に、昔ながらの門がぽつんと残されている。濱崎さんが館長を務める有斐斎弘道館の入口だ。路地を抜けてもうひとつ門をくぐると、その脇に「腰掛待合」という茶室に備えられる小さなベンチのようなものがある。視線を正面にうつせば、古い数寄屋建築がたたずみ、左手には庭が広がっている。建物内には、L字型に四間続きの広間と茶室があり、手入れが行き届いた庭の緑が窓を彩る。日差しが照りつける夏の日だったが、地面に落ちる木の影を見ると、ほんの少し涼を感じることができた。

この建物は、幕末から大正時代にかけて、増改築を繰り返しながらこのかたちに落ち着いたという。もともとはある企業の所有物件で、その企業が展示会を行ったり、貸家にしていた時期もあったそうだが、いつしか住む人を失い、草が生い茂っていった。

濱崎さんは神戸出身。京都大学と東京大学大学院で文化について学び、日本の伝統文化を現代に生き続けさせようと、大学で教鞭をとりながら、さまざまなプロジェクトに携わってきた経歴を持つ。京町家を守る活動にも参加してきた。

そんな濱崎さんが、後に有斐斎弘道館となる数寄屋建築に出合ったのは、2006年頃のこと。日本文化を体験する施設としてここを運営することになったのでアドバイスをしてほしいと、知人に依頼されたのだった。「まずは荒れ果てた建物と庭をどうにかしなければという状態でした。庭に池のようなつくばいがあるのですが、それも雑草などで埋もれて見えないほどでしたから」

価値ある建物が壊されマンションに。文化とは相いれない〝採算〟という言葉

この場所はある由緒がある。江戸中期、皆川淇園(みながわきえん)という人物が、学問所を開いていたと伝わる場所なのだ。そのことを示す石碑が現在も有斐斎弘道館の門の前に立っている。皆川淇園は、儒学者であると同時に芸術家、科学者でもあり、「開物学」という学問を考え出した。「『名』と『もの』の関係性を『音声学』や『韻学』の観点から明らかにしようと試みる』」という何とも難解なもの。皆川淇園のもとには、3000人もの門弟が集まって学問に励んだという。今ある建物は、その当時のものではないが、江戸中期の穏やかなムードと、物事を探求したいという人々の意欲が、この場所にあふれていた様子を想像すると感慨深い。

ところが濱崎さんがこの場所に関わり始めて3年ほどすると、所有する企業がここを手放し、マンションを建設するという話が持ち上がった。この状況に濱崎さんは、購入してくれるところがないか、ほうぼうの企業や資産家に打診して回った。しかし、どこにも手を上げる人はいなかった。

「『使えるようにするだけで億はかかる』『採算が取れない』と言われました。確かに、何に使ったとしても〝採算〟という目線で見たら、成り立たないかもしれない。でもそれは『違うでしょう』とも思ったんです。そんなことを言っていると、京都から文化はなくなってしまう。文化を採算という尺度で見ることに無理がある。そのことに気付いてもらえない。20年、30年前だったら、そんなことを言わなかったのではないかと思うんです」。ときは2009年。リーマンショック後の不況に世の中は陥っていた。採算が合わないものは消し去られ、採算の合うものに作りかえる、それが当たり前の時代だった。「しかしそれでは、お金に換算できない文化は消えていく一方」。濱崎さんは、自らここを守ることを、決意する。

「文化に対して、お金がないからやめましょう、壊しましょう。私もお金がないから分かります。それでも助けてほしい、わかって欲しい、価値があるんです、ということしか言えなくて。こちらがそれ以上の理由を見いだせないことも、もどかしかった。『あなたの企業にこういうメリットがありますよ』と言えたらいいと思うんですけど。今でもそれを明確に言うのは難しい。でも、ここを残さないということはありえなかった」

数寄屋建築の内部。皆川淇園の学問所時代と建物は違うが、この場所が学び舎だった数寄屋建築の内部。皆川淇園の学問所時代と建物は違うが、この場所が学び舎だった

志を理解してくれる企業とともに、保存活動へ

奮闘する濱崎さんの志に賛同する企業が1つだけあった。長く濱崎さんとともに日本文化に関する活動をしてきた「有職菓子御調進所 老松」。北野天満宮の門前にある花街、上七軒に店を構える京菓子の老舗だ。同社の協力により資金繰りの算段がつき、売却されマンションになるという危機は回避することができ、「有斐斎弘道館」が生まれた。「有斐斎」は皆川淇園の号のひとつ、また、「弘道館」は皆川淇園の学問所の名前だ。

「資金繰りの算段」と言ったが、土地と建物を老松に購入してもらったのではなく、あくまで借金を返済するのは有斐斎弘道館(2013年に公益財団法人化)だ。老松としてはこの場所で営業活動を一切していない。支える立場だ。有斐斎弘道館が日本文化に関する講座や体験イベントを企画・開催し、寄付を募るなどして運営している。運営は決して楽とはいえず、濱崎さん自身がプロデュース業や講演などを行って、広くこの有斐斎弘道館の存在を訴えてもいる。

「私一人ではお金を借りることさえできなかった。今のペースで行くと、借金を全額返済するのに200年ぐらいかかる。私の目の黒いうちにどうやって返すかと考えますよね。ここだけで大変なのに、なんてこと言うのかと思われるかもしれないけど、実はここだけを守っても仕方ない。京都にこういう場所が1カ所ではなくて、普通にあることが大事だと思うんです。私たちがここの保存に乗り出したとき、こういう数寄屋建築がもっとあったのに、どんどんなくなっていった。私のように、京都出身でもなく、財力もない人間が声をあげて守ろうとしてる、それなら、うちもやってみようと思う人に現れてほしいんです」

有斐斎弘道館を支えるメンバー。濱崎さん(向かって左から2人目)とその右隣に老松の代表取締役社長・太田達さん有斐斎弘道館を支えるメンバー。濱崎さん(向かって左から2人目)とその右隣に老松の代表取締役社長・太田達さん

〝根本〟の大切さに気付かせてくれる〝場の力〟

なぜそこまでして、この場所を守ろうとするのか。

「私は、〝現代のお茶〟のような活動もしてきました。古いイメージを払しょくするために、茶はどこでもできるという意味で、お茶室だけでなく、いろいろな場所でお茶会をしました。ところがどんどんこういう場所が潰されてきて、保存しなければならない状況になってくると、〝お茶はどこでもできます、教室でもできます、床の間がなくても見立てたらいい〟と言ってもやはり、根本が大事だという思いが強くなりました。露地庭があり、床の間があり、炉の切ってある茶室でするかどうかによって、全然理解度が違ってきます。茶道はなぜあるのか。水屋でいれたお茶を出す、それでもいい。合理的に考えるとそうだけど、歴史的にみると、水屋でいれていたお茶をわざわざ、お客さんの前で点ててだし始めた。それは振る舞いを見せること、呼吸をして、主客が空間を共にすること、人と場所が交わること。そういったことを生んだのがこういう場所なんです」

それは何もお茶に限ったことではないとも。「文化が大事」「京町家を守ろう」という話を、この数寄屋建築ですれば、その問題の本質がリアルに感じられるが、もしビルの一室で話し合ったら、「そういってもお金がね」という話になってしまう。物事の根本が感じられないからだ。だからこそ、この場所を残していくことが、必要なのだと濱崎さんは語る。

有斐斎弘道館について、そして文化について生き生きと語る濱崎さん有斐斎弘道館について、そして文化について生き生きと語る濱崎さん

建物以上に危機に瀕しているのは、庭

建物はかろうじて残っても、原形をとどめられていない空間がある。庭だ。手入れの大変さから、コンクリートにされたり、建物よりも先に潰されてしまっているという。だが、「日本の建物は、庭があってこそ、建物の広がりや、自然や空間の豊かさが生きてくる」と、濱崎さんは庭の重要性も付け加える。

庭がいかに建物と一体であるかということを国宝のスケールで表現したのが、2017年、二条城で行われた「スポーツ・文化・ワールド・フォーラム」でのこと。このイベントでは約400年前に行われた、後水尾天皇の二条城行幸が再現されたのだが、これに関わっていた濱崎さんは、二条城の国宝二の丸御殿の障子を開けて、庭と空間をひとつの空間にすることを提案した。

「障子を開けると、小堀遠州作の庭が見えるんです。室内の文化財保護のために、通常は開けられないのですが、各国政府の関係者が訪れる日だけは開けてもらえました。もともと建物は庭との調和を計算して造られているのですから、本当に素晴らしかった。今の人は、庭は庭、建物は建物。手入れの大変さから庭から潰していってしまう。それは実にもったいないこと」

濱崎さんのもとには、他地域の行政や外国からも、古い建物や美術品の保存についての相談が寄せられる。同じような問題は、いたるところで持ち上がっているのだ。保存活動において大切なことをたずねると、少しためらいながらも、「信念を持つこと」と力強く答えた。

「くじけそうにもなります。親身になって心配してくれている人からは、『人生棒に振ってどうするんですか?』とか言われることも(笑)。でも、保存することが大事だと信じています。それは自分のためじゃない。日本の文化にとって必要だと。自分が生きている間だけじゃなくて歴史のなかでどういうポイントに今があるのか、それを考えてやっているんです」

こうした強い信念が未来の日本に文化を残してくれる。そのことは本当に尊い。日常生活の中で、「日本の文化が大切」なんてことを感じる瞬間はそう多くないかもしれない。だが、私たちの土台を作ってきたものは何か?と考えるとき、やはり「守りたい」という気持ちも芽生える。濱崎さんのような人たちが私財をなげうって、リスクを抱えながら、日本の文化を守っているという現実に、もっと目を向けるべきではないか。信念を支える、たくさんの力が必要なのではないか。ゆったりとした時間が流れる数寄屋建築の畳の上で、焦りにも似た思いが私にも湧き上がってきた。


■取材協力先
公益財団法人 有斐斎弘道館(Yuuhisai Koudoukan)
〒602-8006 京都市上京区上長者町通新町東入ル元土御門町524-1
URL:https://kodo-kan.com/
MAIL: info@kodo-kan.com
TEL:075-441-6662

有斐斎弘道館の庭。スタッフが自分たちで手入れし、この状態を保っている有斐斎弘道館の庭。スタッフが自分たちで手入れし、この状態を保っている

2018年 09月13日 11時05分