五花街の中で最も繁華街に近い花街、先斗町

▲京の五花街の中で最も繁華街に近いことから、地元の人たちの間で“観光地化”が懸念されている先斗町。新しい客を呼び込みやすい便利な立地が強みとなる反面「昔ながらの花街の情緒をいかに守っていくか?」が課題だ▲京の五花街の中で最も繁華街に近いことから、地元の人たちの間で“観光地化”が懸念されている先斗町。新しい客を呼び込みやすい便利な立地が強みとなる反面「昔ながらの花街の情緒をいかに守っていくか?」が課題だ

祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東。京都には『五花街(ごかがい)』と呼ばれる5つの花街がある。

中でも先斗町(ぽんとちょう)は『四条河原町』にほど近い京都中心街に位置しており、三条通一筋南から四条通まで通じる鴨川沿いの南北500メートルの細い路地に、お茶屋や京料理店がぎゅっと寄り添うように軒を連ねている。

そんな京都を代表する花街・先斗町にも、近年はインバウンドの波が押し寄せるようになった。古くからのお茶屋は姿を変えてイマドキな洋食カフェに。ひと昔前であれば大手企業の重役や大店の旦那衆しか立ち寄ることができなかったはずの花街のなかを、カメラをぶら下げた観光客の集団が闊歩している。
もちろん、多くの観光客が訪れて街が活性化することは地元にとってもありがたい話ではあるのだが、観光地化が進むことで大手資本のチェーン店が増えつつあり「先斗町の情緒が失われてしまうのでは?」と危惧する声も聞かれる。

そこで、地元の店主らが集まる『先斗町のれん会』では、いま改めて「先斗町らしさとは何か?」と向き合いながら、先斗町の「粋」を守るための活動を続けている。『先斗町のれん会』の事務局長であり、先斗町で四代続く『山とみ』の女将でもある柴田京子さんに話を聞いた。

高度経済成長期は時代の転換期、ここ先斗町でもお茶屋文化が激減

「わたしの名前は京子。京都の京に子どもと書いて、京子です」

76歳とは思えない凛としたハリのある声で自己紹介をしてくれた和食『山とみ』の名物女将・柴田京子さんは、ここ先斗町で生まれ育った。

「歌舞伎役者さんのお家柄では、男の子が誕生すると盛大なお祝いをしますが、ここ先斗町は男の子が生まれても“おめでとう”と言えない街でした。お茶屋を継ぐのは女の仕事。女は結婚せずに店を守ります。だから自分は花嫁衣裳の代わりに、芸子さん・舞妓さんの綺麗な衣装を着るんやと思って育ってきましたね。

うちの母も日陰の身でしたからわたしは父の苗字を名乗ることができませんでしたし、お茶屋の娘だからという理由で失恋したこともあります。そんな青春時代を過ごすうちに、“意地でも結婚してやるぞ”と思うようになって、“お茶屋はもう私の代で辞めたい、ちゃんと結婚したい、両親の姓が同じ家庭で暮らしたい、と考えるようになったんです」

時はちょうど戦後の高度経済成長期にさしかかった頃。昭和39年、母から店を継いだ京子さんは、お茶屋の一角を使って10坪のお好み焼き店を開いた。「わたしの子どもの頃は、先斗町の中に約60軒のお茶屋があって、寄ってくださるお客さんといえばそれはそれは立派な紳士ばかり。一般の方は足を踏み入れることができない世界でしたね。でも、時代が変化するにつれて商売が成り立たなくなってきたんです。わたしも学校を出て2年ほどお茶屋をやりましたけど、“これでは食べていけない”と気づき、お好み焼き店をはじめました」

まわりからは「絶対に失敗する」とウワサされる中で、京子さんのお好み焼き店は連日大繁盛した。もともとお茶屋の常連だった有名企業のお偉方が「ここなら部下とも来やすいから」と新しい客を連れて通うようになり、その評判が広がったからだ。

「新幹線開通にオリンピックと、日本全体に活気が漲っていた頃でしたから時代が良かったんでしょうね。うちの店の成功をきっかけにして、同じようにお茶屋をやめて料理店を営むお店が増えたので、いま先斗町に残っているお茶屋は十数軒ほど。今になって考えると“先斗町のお茶屋の数が減ってしまったのはわたしのせいだったかも…”と反省しています」

▲「先斗町(ぽんとちょう)の地名の由来には諸説あります。わたしが小さい頃は「河原の中洲にできた茶屋町で三角州のデルタ状態になっているので、その先の“尖ったポイント”という意味でポルトガル語のPONTから来ていると聞いてそれを信じていました。他には、鼓の音がポンポンと聞こえてくるから先斗町という説もありますよ」と京子さん▲「先斗町(ぽんとちょう)の地名の由来には諸説あります。わたしが小さい頃は「河原の中洲にできた茶屋町で三角州のデルタ状態になっているので、その先の“尖ったポイント”という意味でポルトガル語のPONTから来ていると聞いてそれを信じていました。他には、鼓の音がポンポンと聞こえてくるから先斗町という説もありますよ」と京子さん

鴨川に西洋風の橋?架橋反対活動が“先斗町らしさ”を考えるきっかけに

▲京子さんの祖母であるトミさんの名前にちなんで名づけられた『山とみ』。現在は四代目となる京子さんの息子さんと娘さんがお店を切り盛り中だ▲京子さんの祖母であるトミさんの名前にちなんで名づけられた『山とみ』。現在は四代目となる京子さんの息子さんと娘さんがお店を切り盛り中だ

京子さんの店の経営が軌道にのった頃、先斗町を揺るがす“ある事件”が起きた。鴨川に巨大な橋を架け、先斗町と対岸の東山を結ぶ計画が持ち上がったのだ。

この提案を行ったのはなんと当時のフランス大統領だったジャック・シラク氏。パリと京都の姉妹都市提携を記念する事業として「セーヌ川に架かるポンデザール橋をモデルに、鴨川にも姉妹橋を架けよう」という計画が進みはじめた。

「こちら側の橋のたもとはちょうど三条と四条のあいだ、先斗町の中心あたりに建設される計画でした。街の真ん中に西洋風の橋が架かれば、街の雰囲気も人の流れも大きく変わってしまいますし、何よりこの先斗町の細い路地の情緒が失われてしまうと危機感を感じました。でも、京都は良くも悪くも“お上には逆らわへん街”ですから、なかなか声を上げて反対するひとがいなかった…そこで、わたしが地元の代表となって反対活動をはじめたんです」

市役所へかけあい、地元議員のもとへ嘆願に訪れ、馴染み客だった有名俳優らにも協力を仰いだことで反対活動は全国的に広まり、多くの署名を集めた。結果、京子さんたち反対派の声に押される形で橋の建設計画は白紙撤回となった。

「もしあのまま橋が架かっていたら…きっと先斗町の今の姿は残されてへんやろうね」

この架橋反対活動がベースとなり、平成9年に『先斗町を守る会』が発足。地元の人たちにとっても“先斗町らしさとは何か?”について真剣に向き合う良い機会となった。

大手資本が入ると“先斗町らしさ”が失われてしまう

その後『先斗町を守る会』は、平成10年に『先斗町のれん会』へ改称。現在は和食・おばんざいなどの京料理店を中心にフレンチ、イタリアン、中華のほか、質店、カラオケボックス、旅館、お茶屋まで全91店舗が加盟し、“先斗町らしさ”を次世代へ継承するための活動を行っている。

「“先斗町らしさを守る”というのはどういうことかというと、“この街の成り立ちを大切にすること”だと思っています。新しくできるお店が中華でも、イタリアンでも、お店のジャンルは特に問いません。花街として繁栄してきた先斗町の歴史を理解し誇りを持って、この街の“粋”を守ろうとする意識をお持ちであれば、わたしたちは会の仲間として受け入れています。

ただ、先斗町はいまちょうど店主の世代交代の時期。代がわりをすることで土地を貸したり売ったりして大手チェーン店が入ってくると、大手資本のやり方に喰われて“先斗町らしさ”がまったく通じなくなってしまうんですね。例えば、“客引きをしないでね”とお願いしてもこの細い路地で客引きしたり、地元が大切に守っている鴨川の納涼床を資本力だけで全部押さえてしまったり…当然そういうお店は『先斗町のれん会』には入ってくれませんし、こちらからもお誘いはしません。“大手資本から先斗町を守る”ということもわたしたちの会の取り組みのひとつです」

▲軒先に『先斗町のれん会』の文字が入った赤い提灯がかかっているお店は、のれん会加盟店の目印。加盟店に対しては、外国人観光客向けの店舗紹介の翻訳などサポートも行っている。ちなみに、先斗町の入り組んだ路地にはそれぞれ番号がついており、通り抜けできる路地と抜けられない路地がある。「ぬけられしまへん」という木の看板が残っているのもこの街の風情だ。中には築100年を超えるような古い木造建築もあるため「火の元注意」ものれん会の鉄則となっている▲軒先に『先斗町のれん会』の文字が入った赤い提灯がかかっているお店は、のれん会加盟店の目印。加盟店に対しては、外国人観光客向けの店舗紹介の翻訳などサポートも行っている。ちなみに、先斗町の入り組んだ路地にはそれぞれ番号がついており、通り抜けできる路地と抜けられない路地がある。「ぬけられしまへん」という木の看板が残っているのもこの街の風情だ。中には築100年を超えるような古い木造建築もあるため「火の元注意」ものれん会の鉄則となっている

粋・人情・美意識、街の感性を守ることが先斗町の街づくり

実は先斗町では『先斗町のれん会』に並行して『先斗町まちづくり協議会』が平成28年に発足。派手な看板を撤去し、京町家建築の意匠を保護するなど、先斗町の景観を守るためのルールが厳しく定められた。しかし、『先斗町のれん会』では、建物・街並みなど“目に見える物質的なもの”だけではなく、この街で長く培われた「粋」「人情」「美意識」などの感性を守っていきたいという想いのほうが強い。

「5つの花街の中で“先斗町は観光地みたいに変わってしまった”と言われるのは本当につらいですね。ただ、みんな生活せなかんから“過去ばかり追ってられない”という意見もあって、そこが一番難しい。もともと自分も商売を変えてやってきた立場ですし、橋の建設は反対できても各店舗の個人的な事情については反対できませんから(笑)でも、なんとかわたしの目が黒いうちに、この『先斗町のれん会』の想いをひとりでも多くの若い世代に受け継いでもらえるように、もっと頑張らなかんと思ってます」

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よく京都の街では「よそ者は商売がしにくい」と言われるが、あえて“よそ者が商売しにくい環境”をつくることによって、地元の大切なものを守りぬこうとしているのかもしれない。「あと20年は頑張りたい」と話す京子さん。先斗町で生まれ育った京子さんの「粋」がこの先も長くこの街に根づいていくことを願うばかりだ。

■取材協力/先斗町のれん会
http://www.ponto-chou.com/

▲幅員わずか2mの細長い路地が続く先斗町は大人が2人も並べば道幅いっぱいになるほど。現在は『先斗町まちづくり協議会』の防災計画の一環で電線の埋設工事が進められている▲幅員わずか2mの細長い路地が続く先斗町は大人が2人も並べば道幅いっぱいになるほど。現在は『先斗町まちづくり協議会』の防災計画の一環で電線の埋設工事が進められている

2018年 04月15日 11時00分