徳川幕府によって建てられた櫓と蔵が特別公開

ここ数年の外国人観光客の増加に加え、2016年1月から放送されているTVドラマの影響で注目を集めている大阪城。天守閣ばかりに目が奪われがちだが、実は敷地内には一般公開されている天守閣以外にも、歴史のある建造物が点在する。

2016年11月27日(日)までの期間、土日祝日限定で特別公開されているのが、城内の要所に位置する多聞櫓(たもんやぐら)、千貫櫓(せんがんやぐら)、焔硝蔵(えんしょうぐら)である。監視や防御、武器庫にも使われた施設の一部で、国の重要文化財に指定されている。
大阪の陣の後、徳川幕府によって再建され、以来、火災や戦火をくぐり抜け現在に至る貴重な櫓や蔵を見ることができるチャンスということで、見学に行ってきた。

言わずと知れた豊臣秀吉が築いた大阪城。別称は錦城(きんじょう)。「大坂城跡」として国の特別史跡にも指定されている言わずと知れた豊臣秀吉が築いた大阪城。別称は錦城(きんじょう)。「大坂城跡」として国の特別史跡にも指定されている

随所に見られる監視、防御をするための造り

大阪城は、大阪上町台地の北端に1583年(天正11年)豊臣秀吉が築城、当時の城は埋没している。後に1614年大阪冬の陣、大阪夏の陣で落城し豊臣氏が滅びることとなった城である。
天守閣の高さは、土台が15.2m、天守が37.5mの総高さは52.7mであるから現在のマンションでいうと約17階建の建物に相当する。一般的に20階建以上で「超高層マンション」と言われるので、現在の基準でも高い建造物に分類される。
鉄筋コンクリート造など建築技術が進化したことで、建物高さで西日本一の高さを誇る「あべのハルカス」が300m、マンションでは「The Kitahama(北浜タワー)」の209.35mが実現できている。安土桃山時代、江戸時代にこの高さを実現しているのは驚くべきことである。

まずはその天守閣を守ったとされる櫓と蔵を紹介する。
大手門を越えて侵入した敵を迎え撃つ役割を果たす櫓である多門櫓。1628年ごろ創建され、落雷で焼失した後に1848年再建、面積710m2余り、高さ14.7mと同種の櫓で最大の規模である。下に大門を構える「渡櫓(わたりやぐら)」と、南北に長い「続櫓(つづきやぐら)」がL字に連なり、「続櫓」は、西に「武者走り」と言われる廊下、東に6つの小部屋があり、鉄砲で敵を狙う「銃眼」を備えた笠石が17も並ぶ。「渡櫓」には、櫓門を通る敵に上から槍を落して攻撃する「槍落とし」の装置が備えられている。下からは見えにくい構造となっており、分厚い板に防火のために漆喰で塗り固められている。

(写真左上)大阪城の大手門前は大勢の人で賑わっていた
(写左下)「渡櫓」には、櫓門を通る敵に上から槍を落して攻撃する「槍落とし」の装置が備えられている
(写真右)防火のために漆喰で塗り固められた壁(写真左上)大阪城の大手門前は大勢の人で賑わっていた (写左下)「渡櫓」には、櫓門を通る敵に上から槍を落して攻撃する「槍落とし」の装置が備えられている (写真右)防火のために漆喰で塗り固められた壁

大阪城内に残る建物の中では最も古い建造物のひとつ千貫櫓

次に、大手門を北から防御する重要な役割を果たした二階建ての隅櫓(すみやぐら)である千貫櫓。1620年に創建され、面積1階217m2、2階163m2、高さ13.5mの、大阪城内に現存するもっとも古い建物のひとつである。
石山本願寺を攻めた信長軍が、この付近にあった櫓を攻めあぐね、「千貫文出しても奪いたい」と言われたことに由来している。
今回の特別公開では、火縄銃を構えて「銃眼」から大手口を狙ってみる体験ができる。この建物はロの字に"武者走り"と呼ばれる廊下があるのだが、内部から走って攻撃する際にすべりにくくするために床の仕上げは、「しころ」と呼ばれる削り仕上げとなっている。また、廊下と中を隔てる敷居は、宴会用などで大広間にするための引き戸にした部分と板で、壁として固定した部分とに分かれている。

現代において槍や銃で攻撃されることは考えにくいが、鉄貼の扉、防火のための漆喰、外部からは見えにくい構造など建物を守るさまざまな工夫は、家づくりのヒントになるものがあった。鉄貼の扉はアイアン調のものが流行している中、なかなかかっこよいものであった。防火のための漆喰も壁をDIYで味のある仕上げにできる上に防火という観点からも有効である。床仕上げをあえて削り仕上げにすることで滑りにくくするということは転倒防止に役立つ。必要な際に取り外しが可能な敷居は、来客の際に部屋を大きくすることができるためのひとつの工夫である。

西の丸庭園の西南隅に位置し、大手門を北側面から防御する重要な櫓である千貫櫓西の丸庭園の西南隅に位置し、大手門を北側面から防御する重要な櫓である千貫櫓

非常に工夫が凝らされている火薬庫「焔硝蔵」

最後に、1685年(貞享2年)に築造され、面積172m2、高さ5.4mの焔硝蔵。「焔硝蔵」とは、焔硝(黒色火薬)を貯蔵しておくための火薬庫である。過去、大爆発事故を起こすなど、火薬の管理に悩まされていた徳川幕府が建てた、堅牢な石造りの倉庫である。床、壁、天井、梁のすべてが花崗岩(かこうがん)でできており、石壁の厚さは約2.4mと、耐火性、耐久性、防水性に優れている。各地の大名の城にあった焔硝蔵で、江戸時代のまま残っているのは、大阪城にあるこの一棟のみである。蔵の中に入ると大変涼しく、壁の厚さで建物を守るということが重要であると体感できた。

これらを現在の住宅で実現することは、費用面から考えると非常に困難ではあるが、外部からの攻撃への対応、耐火、耐久などに対する工夫など学ぶべき点があった。

公開期間は11月27日(日)まで。これを逃すと来年の3月まで見ることができない(http://www.osakacastle.net/news/8536)。ドラマ放映中に見たいという方は、この機会に是非足を運んでほしい。

(参考サイト)
大阪城の櫓 内部特別公開
http://osakacastlepark.jp/events/yagura
大阪城天守閣
http://www.osakacastle.net/

城内には焔硝蔵が数か所あったというが、青屋口にあった土蔵造りの焔硝蔵は1660年(万治3年)に落雷を受け大爆発を起こし、さらに別の場所にあった焔硝蔵も腐食により建て直しがされるなど、焔硝(火薬)の有効な保管方法に悩まされていた城内には焔硝蔵が数か所あったというが、青屋口にあった土蔵造りの焔硝蔵は1660年(万治3年)に落雷を受け大爆発を起こし、さらに別の場所にあった焔硝蔵も腐食により建て直しがされるなど、焔硝(火薬)の有効な保管方法に悩まされていた

2016年 11月26日 11時03分