華美でありながらも実用的、それが大阪欄間

古き良き日本の住まいに今も見られる欄間。調度品としての美しさ、住居に求められる機能性に改めて気づく(参考画像)古き良き日本の住まいに今も見られる欄間。調度品としての美しさ、住居に求められる機能性に改めて気づく(参考画像)

最近の住宅ではすっかり見かけなくなってしまった欄間。天井と鴨居の間に設けられた開口部分に付けられる彫刻板のことだが、かつては家の品位を高める装飾品として、日本人に馴染み深いものだった。ただ美しいだけではなく、実は、通風や採光といった機能的な役割も担っていることはご存知だろうか。

欄間の発祥は中国だが、日本での歴史も古い。当初は採光や換気の目的で寺社建築に取り入れられた。のちに技巧を凝らした華美なものが現れ、貴族や豪族などの特権階級の住宅へと取り入れられるようになる。
一般庶民の住居でも見られるようになるのは江戸時代に入ってから。寺社建築とともに発展した経緯からもともとは京都が本場だった。その後、一般住宅へと普及するにつれて、木材取引が盛んだった大阪へと職人たちが集まるようになったと言われている。

大阪と言えば、言わずと知れた商いの町。成功を収めた商家では豪華な欄間を競うように求めたことから、木材もあり買い手にも困らない大阪で発展していく。ちなみに大阪欄間の伝統技法は17世紀初頭、大阪府内の聖神社(和泉市)や四天王寺(大阪市)などにその発祥が見受けられている。大阪で修行した職人がそれぞれ地元に戻って欄間造りに励んだことから、大阪以外でも欄間作りの盛んな地域が生まれていったという。

「現在では、欄間の二大産地として挙げられるのは大阪欄間と、富山の井波彫刻」と語るのは大阪欄間の継承者であり、大阪府認定の伝統工芸士である木下朋美さん。大阪府摂津市にある「木下らんま店」の次期代表だ。

大阪欄間の継承者が感じる、伝統技術の光と陰

父から大阪欄間の技術を継承したという木下朋美さん父から大阪欄間の技術を継承したという木下朋美さん

木下朋美さんの師は、この道50年超の父・文男さん。文男さんは1959年、貯木場のあった堀江の欄間店で働き始め、10年後の1969年に独立し、木下らんま店を開いた。ちょうど大阪欄間の最盛期の頃であり、「伝統的工芸品」として指定を受ける少し前のことだ。
幼少だった当時を振り返って、朋美さんは「父や、職人さんが忙しそうに欄間作りに励む姿を記憶している」と言う。最盛期には1日2枚もの欄間を作っていたそうだが、今では欄間の注文依頼は年間に数件というから、その差は歴然である。

欄間の衰退に拍車をかけた要因は、日本人のライフスタイルの変化と、住宅工法の変化であることは想像に難くない。

朋美さんは「多くの木造建築が倒壊した『阪神大震災』を機に、序実に、需要が縮小した」と分析する。震災で倒壊した家を建て直す際にも、かつての居住者たちは、棟梁を中心に家造りを行う昔ながらの和風建築ではなく、安価と免震をアピールした工法を打ち出すハウスメーカーを求めた。戸建住宅ではなく、耐震構造に優れたマンションへ移り住んだ人も少なくない。
「新しく建て直された住宅には和室がないことも珍しくなく、欄間の出番はありませんでした」。

幼い頃から大阪欄間に触れて育ち、父や職人さんが磨き続ける伝統技術を身近に感じていた朋美さんが、大阪欄間を継承することは大義である以前に必然だったに違いない。
「後継者不足が問題視されがちな伝統工芸ですが、大阪欄間に限って言えることは、志願者がいないわけではないのです。うちにも『学びたい』と訪れてくださる方がいました。最盛期ならいざ知らず、このように発注が減った現状では、弟子を取って育てるほどの仕事がないのです」。

無くてはならぬものから、ゆとりを生み出すものへ

父の跡を継ぐ決心をし、20年が過ぎても、もちろん父の技術には及ばない。ただ背中を追いかけるだけでなく、自分にできる方法を模索しながらなんとか大阪欄間の流れを途絶えさせないようにと日々精進を続ける朋美さん。

大阪欄間といえば杢目や木肌を生かした絵画調の「彫刻欄間」、桐や杉の肌と透かし模様が調和した「透彫(すかしぼり)欄間」、模様を表した「筬(おさ)」、「組子(くみこ)欄間」、特異な「抜(ぬき)欄間」があり、日本家屋にふさわしい装飾と空調や通風などの機能性を備えた格調高いデザインが特徴だ。
「欄間というと高級品と思われがちですが、うちではお客様の要望に応じて幅広く製作しています。最近では海外の方からの注文もあり、最高級のものから普及品まで、さまざまな欄間を手がけています」。

朋美さんは従来の型にとらわれない欄間も提案している。

例えば、写真にあるような屏風や衝立がそれで、富士を臨む三保の松原の風景がモチーフだ。勇壮に鎮座する富士は言うまでもなく、松の枝葉、たなびく雲、打ち寄せる波のあしらいなど、細部の美しさに目をみはる。高さは40cm程で、これなら鴨居や、和室そのものがない住まいでも、大阪欄間の美しい彫刻技術を楽しむことができる。「欄間をもっと身近に感じてもらいたい」と考えたものだ。

従来の型にとらわれず、屏風や衝立などにして、新たな大阪欄間の楽しみ方を提案する従来の型にとらわれず、屏風や衝立などにして、新たな大阪欄間の楽しみ方を提案する

たとえ姿形は変わっても想いを伝えることで伝統は守れる

らんま彫刻の技を活かし、約40種類のノミを使って、ヒノキの1枚板から大胆かつ丁寧に彫り上げた3種の花小皿らんま彫刻の技を活かし、約40種類のノミを使って、ヒノキの1枚板から大胆かつ丁寧に彫り上げた3種の花小皿

おそらく発祥した当時と同じ用途にこだわれば、欄間は衰退していく一方だろう。大阪欄間に限らず、各地の伝統工芸が直面する課題である。何も伝統を守ると言うことは、歴史や文化にばかり固守して、衰退させることではない。欄間の魅力である装飾性と実用性は据え置きながら、時代の変化、それに伴うライフスタイルや住環境の変化に対応していくことで新たな価値、愛用者の掘り起こしにつながると言うのが、今回の取材で感じたことだ。

日本の文化や慣習に世界中の関心が集まる今、海外に向けたアピールも奏功するに違いない。海外でのブームが日本へと逆輸入され、国内でもその価値が見直されることも十分に期待できる。もちろん、海外に目を向けずとも国内でも十分に欄間の魅力を再認識させることも可能だ。そう感じさせる取組みをすでに朋美さんは行なっている。

それが伝統工芸家との3人組ユニットである。そこではあえて欄間を前面に押し出すのではなく、「mocca(杢花)」なるブランドで「欄間職人の花小皿」を製作している。もちろん、この小皿には大阪欄間の技術や技法、デザインが凝縮されているのだが、欄間に比べて小皿は手に取りやすく、取り入れやすい。シンプルなデザインでありながらひと目で見る人の心奪うほどに愛らしく、杢目や木肌の美しさを際立たせているあたりなど、さすがは職人芸。しかも文男さんではない、朋美さんならではの視点と感性が生きていると感じられた。

朋美さん曰く「かつて生活のゆとりや遊び心の象徴だった」という欄間。いわば、生活の必需品ではなく生活を楽しむための品々だと考えれば、時代やライフスタイルに合わせて変化していくのも当然かもしれない。たとえいつものお菓子でも、この1つの木の塊から掘り出された3枚の器に載せるだけで、その味はきっと格別となる。合わせるお茶にも気を遣うだろう。「本物の良さを知るとはそういうこと」であり、本物を知ることで、心の豊かさの醸成にもつながる。それも1つの「伝統の守り方」なのだと感じた。

2018年 03月22日 11時05分