金沢の文化発信拠点に校舎を構える金沢職人大学校

北陸本線に乗って『金沢』駅を発つと、ほどなくして車窓に美しい緑と甍(いらか)の波が映し出される。レンガ造りのレトロな建物に艶やかな黒瓦の屋根、その建物を取り囲むように広がる芝生の広場…“ステキな公園だな”と眺めていたら、そこが今回の取材目的地である『金沢職人大学校』のある一角だった。

================================================

加賀の小京都と称され、独自の伝統文化が継承されている『金沢』では、高度な職人技の伝承と後継者の育成を図るべく、9業種9組合からの寄付と金沢市からの出資金を基にして、社団法人『金沢職人大学校』を1996(平成8)年10月に設立。すでに同校では約500名の修了生を輩出し、“職人の魂”を守り続けている。

『金沢職人大学校』の成り立ちから現在、そして今後目指していくものについて取材した。

▲金沢職人大学校(写真左下)があるのは、旧紡績倉庫跡地を活用した約9.7ヘクタールのエリア。<br />隣接する金沢市民芸術村には、一般市民が制作・展示用に使えるアート工房や、<br />音楽や演劇の練習等に利用できるミュージック工房などがあり、<br />事前申請をして使用料を支払えば24時間いつでも利用できるようになっている。<br />まさにこのエリア一帯が“金沢の文化・芸術の発信基地”となっている▲金沢職人大学校(写真左下)があるのは、旧紡績倉庫跡地を活用した約9.7ヘクタールのエリア。
隣接する金沢市民芸術村には、一般市民が制作・展示用に使えるアート工房や、
音楽や演劇の練習等に利用できるミュージック工房などがあり、
事前申請をして使用料を支払えば24時間いつでも利用できるようになっている。
まさにこのエリア一帯が“金沢の文化・芸術の発信基地”となっている

京都とは違う、独自の“武家文化”を継承してきた金沢のプライド

▲金沢職人大学校の中田政晴事務長。もともと市役所の土木課の出身だったという中田さん。「京都・奈良と比べると、金沢の街は規模が小さいため職人さんの技術を“産業”として残すことが難しい。そのため、職人さんの技術を継承することは“金沢市の文化政策”だと考え、市を挙げて職人さんたちの技術向上をサポートしています」(中田さん談)▲金沢職人大学校の中田政晴事務長。もともと市役所の土木課の出身だったという中田さん。「京都・奈良と比べると、金沢の街は規模が小さいため職人さんの技術を“産業”として残すことが難しい。そのため、職人さんの技術を継承することは“金沢市の文化政策”だと考え、市を挙げて職人さんたちの技術向上をサポートしています」(中田さん談)

「天正11(1583)年、前田利家が金沢城へ入城して以来約430年に渡って金沢の街は独自の伝統文化と共に繁栄を続けてきました。

幸いにも、ここ金沢は非戦災都市であり非震災都市でもあったことから、戦火や大地震、そして大きな台風などの影響を受けることなく、昔ながらの古い街並みが今も残されています」と解説してくださったのは、『金沢職人大学校』の事務長である金沢市職員の中田政晴さん。

中田さんによると、“小京都”と呼ばれる金沢だが、正確には京都とは全く文化が異なるという。

「日本の古い街並みは一様に“小京都”と称されますが、京都・奈良は『公家の文化』、金沢は『武家の文化』ですから、古い街並みといってもいまだに個人所有の建物が多く、街の個性や趣は京都と全く違います。そのため我々金沢の人間からしてみると、“小京都”と呼ばれることには違和感を覚えますね。約430年のあいだ自分たちで地域文化を守ってきたという自負がありますから(笑)」(中田さん談)。

================================================

時代が昭和から平成へと移り変わった頃、金沢市では時の市長であった山出保氏が「今後は地元の文化を大切にすることが都市のアイデンティティの確立につながり、世界への発信力となる」と肝いりの文化政策を発表し、“開発と保全の調和を図る世界都市構想”を立ち上げた。

2004(平成16)年には『金沢21世紀美術館』が開業、2009(平成21)年には文化庁による『歴史都市』第一号に認定、同年ユネスコの『クラフト創造都市』に指定されるなど、“文化都市・金沢”のイメージは世界に広く認知されるようになったが、その一方で現代のスピード・コストに見合わない昔からの熟練技術や伝統工法が不要とされるようになってきた。

「あるとき、金沢市内の寺社仏閣を改修する現場で地元の職人さんが一人もいなかったことがありました。改めて、地元の伝統的な技術を持つ職人数がだんだん減ってきている現状を知り、このままでは将来の伝統的な技術の伝承が厳しくなっていくと危惧して、学校を設立することになったのです」と中田さん。

すでに職人として働いている人たちに、先輩である熟練職人の技を学ばせ、その文化を継承し続けるための学校…こうした『職人大学校』の設立は、全国的に見ても他に例がなく、ここ金沢だけだという。

“金沢の文化を守る”という使命感によって支えられている先生と生徒の関係

『金沢職人大学校』には現在、石工・瓦・左官・造園・大工・畳・建具・板金・表具の『本科9科』と、本科修了生のほか建築設計士や行政の文化財関係の職員らが受講できる『修復専攻科』の2つがある。

本科の入校条件は、職歴10年以上の職人が対象。生徒の年齢は働き盛りの30代~40代が中心で、日常業務を終えてから学校へ通うことになるため、仕事と学業を両立する精神力や職場の上司である親方たちの理解が不可欠だ。また、教える側の先生は50代~80代の先輩職人で、こちらも本業の合間を縫って講師業を買って出ている。

「ここは職業訓練所ではないため、“仕事を獲得するための勉強”にはつながりません。むしろ、実際の仕事ではほとんど必要の無い技術を教わるわけですから、職人さんたちにとってはすぐに明日の糧になるものではないのです。それでも3年間学校に通うということは、職人さんたちそれぞれに使命感があるからでしょう。

先生方にとっても、自分の技術を誰かに継承することは新たな商売敵を作ることにもつながるので、本来は簡単に教えられるものではないと思うのですが、後継者不足の問題もあり、“自分の代で伝統技術が絶たれてしまうかもしれない”という危機感から、後進の育成にご協力をいただいています。

教える職人さんも、教わる職人さんも、いずれも“金沢の文化を守りたい”という熱い想いを持って取り組んでくださっているので、本当に頭が下がります」(中田さん談)。

▲本科9科の定員は50名で、授業は原則月4回。<br />各学科ごとに3年間のカリキュラムが組まれており、それを修業すると修了書が授与される。<br />先生も生徒も自分の仕事を終えてから学校に通うため、平日の授業時間は19時~21時となる▲本科9科の定員は50名で、授業は原則月4回。
各学科ごとに3年間のカリキュラムが組まれており、それを修業すると修了書が授与される。
先生も生徒も自分の仕事を終えてから学校に通うため、平日の授業時間は19時~21時となる

“今の時代に不要な技術”こそが、後世に残したい大切なもの

▲築100年、200年が経過した古い建物は、過去に何度も修復を重ねているため“いつの年代の技術を使って修復し、どのように残していくか?”を判断するための知識を学ぶことも大切な授業だという。「修復専攻科では、本科の修了生である職人さんのほか、建築家や設計士、各分野の専門家も一緒に机を並べて技術を学びますから、従来の業界ではなかった“職人と設計士の横のつながり”や“専門分野を越えた人脈づくり”のきっかけになっています」(中田さん談)▲築100年、200年が経過した古い建物は、過去に何度も修復を重ねているため“いつの年代の技術を使って修復し、どのように残していくか?”を判断するための知識を学ぶことも大切な授業だという。「修復専攻科では、本科の修了生である職人さんのほか、建築家や設計士、各分野の専門家も一緒に机を並べて技術を学びますから、従来の業界ではなかった“職人と設計士の横のつながり”や“専門分野を越えた人脈づくり”のきっかけになっています」(中田さん談)

『金沢職人大学校』の開校から20年、現在本科9科で教鞭をとっているのは第1期の修了生だ。つまり、昔ながらの“師弟関係”を築き上げる役目をこの職人大学校の教室が担っている。

「例えば、石工科では手で石を砕く技術を学びます。現在は機械を使って作業するため、実際の仕事では職人さんたちが手で石を砕く…なんてことはありえないのですが、文化財等の補修をおこなう際には繊細な手作業が必要となりますから、これも欠かせない知識です。

また畳科では、重要文化財に使われているような100年以上経過した畳床の修復技術を学んだりします。今は軽くて運びやすい“工業製品である建材床”が主流ですから、本物の藁で作った畳床を目にすることは無くなりましたが、全国に数人しか残っていない手縫いの修復作業ができる職人さんを招いて、技術継承をおこなってもらっています。

昔ならば“一子相伝・門外不出”とされて、閉ざされた世界のなかで育まれてきた専門技術ですが、今はそれを広く伝承しなくては後世に残せなくなる時代。ひとりでも多くの後輩たちに伝えていくことが大切なのです。毎年約50名の職人さんたちが技術を受け継ぐことによって、ここ金沢だけでなく全国の伝統的建造物や文化財の保護につながると良いですね」(中田さん談)。

街の財産である伝統・文化を継承するために必要なのは“人”を育むこと

今回取材を終えて筆者が驚いたのは2点。まず“文化・伝統技術の地産地消”を目的に設立された『金沢職人大学校』だが、入校対象者は金沢市民に限らず全国の職人に向けて門戸を広げているということ。そして、あくまでも金沢市の文化政策の一環であることから、生徒の学費や材料費は一切不要で金沢市がすべてを負担しているという点だ。

また授業とは別に、金沢の文化や伝統に親しんでもらうための教養講座として『謡曲教室』や『お茶教室』などが実施されるなど、金沢市の“文化継承への想い”には本気度が感じられる。

「今後は、3年間のカリキュラムを修了した職人さんたちの受け皿として、ここで学んだ技術を活かすことができる“新たな仕事”を生み出せるような環境を整えていきたい」と中田さん。同校では、広く市民にも金沢の伝統文化や技術継承への理解を深めてもらおうと、学内で定期的に市民講座を開催している。

================================================

地域の『伝統・文化』を後世へと伝え続けるためには、それを守り続ける『人』を育むための土壌が必要であることを教えてくれた『金沢職人大学校』の取り組み。今後も同校と金沢市の“職人の魂を守る”という熱い想いに期待したい。

■取材協力/金沢職人大学校
http://www.k-syokudai.jp/

▲金沢屈指の観光スポットである武家屋敷街・長町。<br />風情たっぷりの土塀は、冬になり雪が付着すると霜柱のように中で膨張するため壊れてしまう。<br />それを防ぐために『こも掛け』をするのが『雪吊り』と並ぶ冬の風物詩だったが、<br />近年は「毎年手間やお金がかかるから」という理由で、コンクリートの壁への改築を検討する民家が増えてきたという。<br />『金沢職人大学校』からは、毎年造園科の生徒である職人を派遣し、<br />金沢独自の『こも掛け』の文化と技術、そして地元の財産とも言うべき街並を保存するためのサポートをおこなっている▲金沢屈指の観光スポットである武家屋敷街・長町。
風情たっぷりの土塀は、冬になり雪が付着すると霜柱のように中で膨張するため壊れてしまう。
それを防ぐために『こも掛け』をするのが『雪吊り』と並ぶ冬の風物詩だったが、
近年は「毎年手間やお金がかかるから」という理由で、コンクリートの壁への改築を検討する民家が増えてきたという。
『金沢職人大学校』からは、毎年造園科の生徒である職人を派遣し、
金沢独自の『こも掛け』の文化と技術、そして地元の財産とも言うべき街並を保存するためのサポートをおこなっている

2016年 06月01日 11時05分