浅野川、犀川間の小立野台地に城、周辺に栄えた城下町金沢

金沢中心部の地形図。2つの河川の間の台地、その先に城が置かれている様子がよく分かる(金沢市ホームページより)金沢中心部の地形図。2つの河川の間の台地、その先に城が置かれている様子がよく分かる(金沢市ホームページより)

大きな話題となった北陸新幹線開業。金沢駅周辺はおおいに盛り上がっており、平成27年の公示地価でも金沢駅近くの調査地点は商業地トップの17.1%という上昇率を示した。では、金沢とはどんな街なのか。まずは地形と発展の歴史をざっと見ておこう。

加賀百万石前田家の城下町として栄えた金沢は、幕末期には江戸、京都、大坂の三都以外では日本最大の人口を誇った街。旧市街地は浅野川、犀川という2つの河川の間に開かれており、中心には小立野台地(こだつのだいち)が東西に細長く舌状に伸びている。その突端にあるのが金沢城。つまり、金沢城は南北を2つの河川で守られた台地上にある、攻めにくい城だったのである。

2つの河川を繋ぎ、金沢城のすぐ下をかすめる形で南北に走っていたのが北陸と関西を繋ぐ北国街道。武蔵ヶ辻、香林坊、片町などといった繁華街を貫く、現在の百万石通りである。この北国街道が川を渡ったところに作られたのが茶屋街。平たく言えば遊郭で、必要ではあるけれど、市街中心部にはあって欲しくないという為政者の意が分かる立地である。現在は浅野川沿いにひがし茶屋街、主計町(かずえまち)茶屋街、犀川沿いににし茶屋街があり、観光名所となっている。

幕末までは栄えた金沢だが、廃藩置県後は一気に人口が減り、それが復活するのは明治後期に金沢城址に陸軍歩兵第七連隊司令部が設置され、軍都となって以降。当時の建物は石川県立歴史博物館などとして残されており、金沢で江戸時代だけでなく、明治時代の建物が其処此処に見られるのはそのためだ。

金沢駅が市街地から離れた場所に設置されたのは明治31年。明治期には鉄道は厄介者とされ、中心地から離れたところに追いやられたものだが、金沢も同様。そのため、長らく、賑わいとは無縁だったが、昭和51年に駅と旧市街地間で金沢駅武蔵北地区市街地再開発事業が開始され、平成25年に40年近くの歳月を経て完成を見ている。この間、駅近くにはホテルや商業施設が増え、また、北陸新幹線開業が決まって以降は駅自体も改装され、現在では賑わいは旧市街地から駅近くに移ってきた感もあるほどだ。

駅周辺、観光地以外では空地、駐車場も増加中

尾張町。麩の不室屋の本店、茶寮があるが隣は駐車場、裏手には放置されているように見える民家、駐車場があり、中心部なのに寂しい尾張町。麩の不室屋の本店、茶寮があるが隣は駐車場、裏手には放置されているように見える民家、駐車場があり、中心部なのに寂しい

実際に街を歩いてみても、駅周辺と観光客の集まる近江町市場、武蔵ヶ辻やひがし茶屋街当たりはいいのだが、そこから少し外れると急に寂びれた感じになる。たとえば、近江町市場と道を挟んで反対側にある尾張町は北国街道沿いの古い繁華街で、老舗も多く立地しているのだが、その通り沿いには駐車場、空地が点在、歩く人も疎らという状態である。実際には古い建物が多く、建物好きにはたまらないエリアなのだが、そこまで足を延ばす人は少ない様子。

あるいは繁華街片町から犀川大橋を渡った野町広小路はにし茶屋街のすぐ近くだが、ここも廃墟となりつつあるビルが放置されているなど、空き家ばかりが目立つ状況。実際、金沢市の資料(金沢市都市計画マスタープラン第4回策定員会資料)をみると中心市街地では空地、駐車場などの低未利用地が増加しており、平成14年で全体の10.4%にも及んでいるそうだ。

この要因としてはご多分にもれず、高齢化がある。市平均で18.4%の高齢人口が旧市街地では26.8%にもなっており、所有者の死亡に伴い、住宅や店舗が撤去され、駐車場や空き地になっている現状が推察できる。観光名所が華やかに目立つ一方で中心市街地のなんでもない日常は衰退を続けているというわけである。

もちろん、市は手をこまねいているわけではなく、旧市街地を重点地区とした各種の活性化策を打ち出しており、代表的なものとしては「金沢市まちなか定住促進事業」がある。これは旧市街地をまちなか区域とし、そこに住宅を購入する人に建築奨励金、空き家活用促進補助金などの助成を行うというもの。旧市街地以外の助成があるので、金沢市に住みたい人ならまずは市のホームページチェックをしてみよう。

町屋を上手に活用、雰囲気あるリノベ店舗が市内に増殖中

その一方で風情のある町屋をリノベーションして上手に使う例もあちこちで見かけた。カフェやギャラリー、レストラン、バー、雑貨店といった定番的な使い方のほか、レンタサイクルショップやパソコン修理店といった異色な使い方もあり、実に多種多様。有名なところではスペインのチョコレートショップカカオサンパカもにし茶屋街の町屋をリノベーション、道行く人が覗き込む名所になっていた。雰囲気はあるのだが、知らないと入っていきにくいのが町屋なのである。

北陸新幹線で長野と繋がったことから、長野、金沢のリノベ例を紹介する冊子「金沢×長野リノベトラベル」も作られており、市内のショップなどで置かれている。金沢では24軒が紹介されているが、実際にはもっともっと多い。好きな人なら歩いて探してみたい。

ショップとして再生するだけでなく、町屋を残して住み継ごうという動きもある。市では金澤町屋情報バンクとして昭和25年以前の建物を残したい人から住みたい人へ渡すサイトを運営しており、情報が出ればすぐに決まるという状態が続いているとか。問題は住んで残してほしい人が少ないこと。もっと、情報が出るようになれば空き家、中心市街地の問題に一石二鳥で効きそうである。

市からの助成金があることもあり、地元のNPOや建設会社も町屋再生には熱心で、時には再生した物件が賃貸にされるケースも。町屋そのままでは寒くて大変と聞くが、リノベされていればまだましなはず。賃貸利用で短期住んでみるのも楽しいかもしれない。

左上/人出が多いためか、改装された店舗が多いひがし茶屋街。右上/にし茶屋街。手前から2軒目、人が覗いているのがカカオサンパカ。左下/元は酒屋だと思われる飲食店。謎の雰囲気。左下/若い工芸作家の作品を置くギャラリーまつきち左上/人出が多いためか、改装された店舗が多いひがし茶屋街。右上/にし茶屋街。手前から2軒目、人が覗いているのがカカオサンパカ。左下/元は酒屋だと思われる飲食店。謎の雰囲気。左下/若い工芸作家の作品を置くギャラリーまつきち

歴史、自然を守るという強い意志がきれいな街並みを生む

繁華街香林坊の一本裏手を流れる鞍月用水。道路と住宅の間には私有の橋が架かっていることも繁華街香林坊の一本裏手を流れる鞍月用水。道路と住宅の間には私有の橋が架かっていることも

観光名所巡り、味巡りに加え、建築巡りも楽しい金沢だが、もうひとつ、金沢の魅力のひとつとしてお勧めしたいのは用水巡り。金沢市内の用水はその数51、総延長は約150kmもあり、市内を網の目のように流れている。特筆すべきはその水量と水の清らかさ。普通、街中にこれだけの水路があれば、誰かがペットボトル、空き缶などを投げ込みそうなものだが、金沢の水路はどこも手入れが行き届き、気持ちの良い流れとなって道行く人を楽しませてくれる。場所によってはせせらぎ沿いに商店街が続き、流れを眼下にしながら一杯飲んだりできることも。自然が身近にある豊かさとはどういうものかを実感させてくれる。

だが、もちろん、用水の清らかさは自然に守られているわけではなく、住んでいる人の意思によって守られている。それは歴史的な風物も同様。たとえば、かつて金沢城郭内には戦前は第九師団司令部を始め軍事施設が立地、戦後は金沢大学や石川県庁などの公共施設があったものの、現在それらは城郭外に移転。城の姿を往時に戻す努力が続けられている。市内中心部に広大な公園、美術館、博物館などが立地できているのもそうした努力の結果。効率を重視するのであれば違うやり方もあったのだろうが、金沢市はそれよりも景観、歴史を優先したというわけだ。

また、金沢市は昭和32年に住居表示制度の実験都市に指定されたため、歴史ある500余りの町名が次々と姿を消してきたが、昭和54年に市制90周年を記念して旧町名やその由来等を記した標柱を建てる事業を始めて以降、旧町名復活の気運が高まり、平成11年には主計町(かずえまち)が復活。以降、次々に飛梅町(とびうめちょう)、柿木畠(かきのきばたけ)などの旧町名が復活してきている。これも住んでいる人たちの合意あっての復活である。こうした意識の高さは、大国だけに幕府に目をつけられないようにと文化国家を目指した前田家の伝統を引き継ぐ、文化度の高い地ならでは。そしてそれがこの街の何よりの魅力だろうと思う。

ついでに言えば、古都がすごいのは、古いモノ、自然を大事にするだけではなく、21世紀美術館や金沢駅の鼓門、もてなしドームのような最先端をも受け入れる点。比べて東京やその他の街にはそうした魅力があるかどうか。参考にすべきところは多々あるように思う。

金沢市住宅総合ホームページ
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/29101/jyuutaku/index.html

金澤町屋情報バンク
http://www.kanazawa-sumai.net/machiya/main.html

かなざわ町屋
http://kanazawa-machiya.net/

金沢の用水・惣構
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11201/rekishitoshi/yousui.html

旧町名復活の歩み
http://www4.city.kanazawa.lg.jp/22050/kyuchomei/histry.html

2015年 04月09日 11時08分