ヨーロッパの「紋章」と日本の「家紋」の違い

前回の【暮らしの中の家紋①】一族を象徴する家紋 その歴史と成り立ちでは、平安時代に家の目印として使われ始めたという家紋の歴史、成り立ちをお伝えした。
第2回となる今回は、現代における家紋の使用シーンについてお届けしたい。

日本の家庭のほとんどが家紋を持っており、既婚女性は、嫁入りの際に家紋入りの留袖や風呂敷などを用意した記憶があるのではなかろうか。
ヨーロッパにも家紋と似た「紋章」があるが、すべての家庭が持っているわけではなく、王家や貴族だけだ。そしてその多くは家の由来と深い関係がある。
たとえばイギリスの貨幣などに彫られているテューダー・ローズは、その名の通りテューダー朝にゆかりのある名家が使う紋章で、薔薇戦争が終わった後、ヘンリー七世が考案したとされる。薔薇戦争とは、赤薔薇を紋章とするランカスター家と、白薔薇を紋章とするヨーク家の間に起こった戦争で、ランカスター家の血を引くヘンリー七世と、ヨーク家の娘であるエリザベスの結婚により終結を迎えた。テューダー・ローズは両家の赤薔薇と白薔薇を融合させたもので、イギリスの統合と繁栄を象徴する、誇り高き紋章なのだ。

日本では家紋の使用に制限は設けられなかったので、庶民も使うことができた。しかし、彼らは家紋を家の標識として利用したので、その紋様と家の由来にまったく相関性のない場合も多い。
戦国時代は、旗印で敵味方を判断したり戦局を見極めたりする必要があったので、他家の家紋と見間違えそうな紋様を使用しないという暗黙の了解があったが、庶民はそういう気づかいをせず、比較的自由に好みの家紋を使用したため、家紋から家の歴史や由来をたどるのは難しいのだ。

しかし、もちろん例外はある。たとえば菊の紋章は天皇家の家紋であり、特別な紋であった。それゆえ、天皇から賜った場合か旧皇族を除き、原則として菊の家紋は使用されない。たとえば、後醍醐天皇を助け、最後まで忠義を貫いた楠木正成公の紋は菊水紋だが、これは後醍醐天皇が建武の新政を敷いた際に賜ったものだ。
そうはいっても、戦後に天皇が日本の象徴となってからは、菊の紋の使用にも制限がなくなったから、家紋が菊紋でも天皇家とまったく関係のない場合もあるので注意が必要だ。

天皇家の家紋として、特別な紋であった菊の紋章天皇家の家紋として、特別な紋であった菊の紋章

家紋の使われる場所

瓦に家紋を入れた日本家屋も存在する瓦に家紋を入れた日本家屋も存在する

では、現代の家紋はどのような場所に使われているだろう。
明治時代になると、庶民の間でも、紋付き袴や傘などに自分の家紋を染めるようになった。
羽織袴を身に付けなくなった現代でも、礼服に合わせるネクタイに家紋を入れることは少なくないし、家紋入りの風呂敷は贈答品などを包むために使われる。
また、日本式家屋では瓦に家紋を入れることもあるし、墓地に行けば、家紋を彫った墓石を見つけることもあるだろう。そして既婚女性は、家紋入りの留袖を持っている人も多いのではないだろうか。
現代でも家紋は、「家の標識」の意味が強いのだ。

留袖と家紋

もっとも格式の高い、五つ紋の黒留袖は、背中の中央・後ろ袖・前胸に紋が入っているもっとも格式の高い、五つ紋の黒留袖は、背中の中央・後ろ袖・前胸に紋が入っている

既婚の女性にとって、留袖はもっとも格式の高い礼服だ。現代では下半身部にのみ模様の入った「江戸褄」が主流だが、江戸時代は、女性が結婚する際、未婚の時に着用していた振袖の袖を短くする習慣があり、これを「留袖」と呼んでいた。つまり、どのような色でも、また模様でも、袖を詰めたものは「留袖」と呼ばれ、既婚女性の着る服とされていたのだ。
明治時代になると、フォーマルドレスは黒いものという概念が欧米から輸入され、黒留袖が一般的になっていく。黒以外の色留袖もあるが、上半身部分は家紋以外原則として無地。背中の中央・後ろ袖・前胸の五ヶ所に家紋を染め抜いた「五つ紋」の他、背中の中央と後ろ袖の三ヶ所に家紋を入れた「三つ紋」、背中の中央のみの「一つ紋」、無紋のものがあるが、「五つ紋」の黒留袖がもっとも格式が高いとされている。結婚式などで、五つ紋の黒留袖を着ている女性がいれば、新郎新婦の親族か、仲人と考えて良いだろう。
しかし、関西の結婚式などでは留袖の紋が両家の紋と違い、戸惑うかもしれない。関西では、留袖に「女紋」が使われることもあるからだ。次に、女紋について説明しよう。

関西と関東で異なる「女紋」の意味

大阪は商人の町。商売には才能が不可欠で、うっかり商才のない人物に後を継がせると店が傾く恐れもあったため、関西の商家では、優秀な番頭などを娘婿に迎えることが多かった。この場合、婿の家紋は嫁ぎ先のものを使う。つまり、実質的な女系相続だったのだ。このような事情もあり、関西では母から娘へと受け継がれる「女紋」が存在し、留袖に使われることも多いのだ。また、嫁入り支度として留袖を持参する場合は実家の家紋を入れることもあるので、留袖の家紋が嫁ぎ先の家紋であるとは限らない。
しかし、東日本における女紋は、また少し事情が違うようだ。武将たちは代表的な家紋(表紋)のほかに、数多くの家紋を持つこともあった。たとえば豊臣秀吉の家紋は五七の桐や五三の桐が知られているが、瓢箪紋なども使用していた。これを「替え紋」と言うが、表紋は男性が使用し、女性は替え紋を使う家もあったのだ。そしてこの場合、既婚女性は実家ではなく嫁ぎ先の女紋を使う。
このように女紋は、関東と関西では意味も使い方も違うので、注意が必要だ。また、関西の女紋は商家で使われていたのに対し、関東では武家などの格式の高い家系に多い。
そのほか、「通紋」と呼ばれる五三の桐や揚羽蝶、蔦などの紋様を「女紋」と呼ぶこともあり、女性なら誰でも使用可能だ。

姿を消しつつある家紋

現代では家紋を見かけることが少なくなったから、自分の家紋が何かさえ知らない人もいるのではなかろうか。
家紋入りのキーホルダーや小物を持っている人はいても、贔屓にする武将の家紋の場合が多い。
戦後の欧米化により、服に家紋をつける習慣が廃れたのも原因の一つだろうが、家紋をつける意味が薄れたのも大きな理由かもしれない。そもそも、家紋は武将が戦で敵味方を見分けるために使用し、広がったものだから、戦のない現代には不要だ。また、苗字がなく、字の読めない人が少なくなかった時代は、家紋が家の標識として重宝されたが、現代人のほとんどは字を読めるし、すべての家が苗字を持っているから、誰がどの家に所属しているかを知るのに家紋は必要ないのだ。

しかし、結婚式などの格式の高い場面では、まだ家紋が生きている。
日本の伝統を大切にする意味でも、自分の家紋を確認してみてはいかがだろう。

2016年 05月15日 11時00分