大井川鐵道を一躍有名にしたSL『トーマス号』

ほぼ毎日運行しているSL『かわね路号』。新金谷駅から千頭駅まで往復しているほぼ毎日運行しているSL『かわね路号』。新金谷駅から千頭駅まで往復している

人口減少と三大都市圏への人口集中が進み、全国各地で過疎化の問題が深刻化しつつある。さらに、リーマンショックや産業空洞化の影響もあって、地域経済は衰退の一途をたどっている。
そんな中、鉄道が観光の目玉となって、地域の街おこしに寄与しているケースがある。その代表例ともいえるのが、昨年、SL『トーマス号』の運行で話題を集めた静岡県の大井川鐵道だ。

静岡県を南北に縦断する大井川鐵道は、旧東海道の宿場町・金谷駅から南アルプスの玄関口・井川駅までをつなぐ鉄道路線。金谷駅-千頭駅間を走る大井川本線と、千頭駅―井川駅間を走る井川線(南アルプスあぷとライン)という2つの路線からなる。

2014年には、イギリスの人気アニメ『きかんしゃトーマス』の意匠を施したSL『トーマス号』の運行をスタート。大井川鐵道は空前のトーマス人気に沸き、『トーマス号』は連日ほぼ満席の盛況となった。その乗客数は、運行日の55日間で約6万人を数えたという。

とはいうものの、ここに至るまでの道は平坦ではなかった。
実は、大井川鐵道は東日本大震災以降、廃業の危機に直面している。2000年代以降からじわじわと乗客数が減少し、震災後は3期連続で赤字を計上。瀬戸際まで追いつめられた大井川鐵道にとって、まさに救世主となったのが、『トーマス号』だったのだ。

では、大井川鐵道はいかにして復活を目指し、地域活性化の期待を一身に担う存在として生まれ変わったのか。今回から3回にわたって、その経緯と官民あげての取り組みを紹介する。

全国に先駆けてSLを動態保存。“鉄道ファンの聖地”となる

大井川鐵道株式会社・取締役営業部長の坂下肇さん大井川鐵道株式会社・取締役営業部長の坂下肇さん

大井川鐵道株式会社の設立は1925年。南アルプスに源を発する大井川流域は、電源開発と林業が盛んな土地柄で、大井川鐵道はダム建設資材と材木の輸送手段であると同時に、地元住民の足でもあった。
だが、高度経済成長を迎えると、マイカー・ブームで利用客が激減。公共交通機関としての役割を終えた大井川鐵道は、観光路線に大きく舵を切ることとなった。

1976年には、当時の国鉄がSLから電化へと転換したのと入れ替わるように、全国に先駆けてSLの動態保存運転をスタート。当時、SLを動態保存している鉄道が他になかったこともあって、大井川鐵道は一躍、鉄道ファンの”聖地”となった。SLの集客効果で収益も増加し、大井川鐵道は息を吹き返したかにみえた。

だが、SL景気は長くは続かなかった。JR各社や秩父鉄道、真岡鐵道などが次々にSLの運行を開始したこともあって、2000年代に入ると、大井川鐵道のSL乗客数は急減。2011年の東日本大震災をきっかけに、客足はパタッと途絶えた。

「震災による原発事故の影響で、関西や中京圏から東日本に観光客が来なくなったのです。対前年比で26%減ですから、相当な打撃でした」と、大井川鐵道株式会社取締役営業部長・坂下肇さんは当時を振り返る。

震災とバス規制のダブルパンチで、会社存亡の危機

昭和レトロ感漂う大井川本線の家山駅。高倉健の主演映画『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台になったことでも有名昭和レトロ感漂う大井川本線の家山駅。高倉健の主演映画『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台になったことでも有名

翌2012年、さらなる試練が大井川鐵道を襲った。同年4月、関越自動車高速バスの事故が発生し、乗客7人が死亡、乗客乗員39人が重軽傷を負う大惨事となった。
この事故を受けて、2013年に高速ツアーバスが廃止され、ドライバーの拘束時間や実ハンドル時間に対する規制が強化された。その結果、首都圏からの日帰りバスツアーを組むことが事実上不可能となり、大井川鐵道の乗客数は対前年比で2万人減という深刻な事態に見舞われたのである。

「それまで、首都圏からのお客様は日帰りバスツアーを利用される方が多かった。ところが、この日帰りツアーがパッタリとなくなってしまったのです。以前は、日帰りツアーでも千頭駅まで往復することが可能だったのですが、今はバス規制があるので、中間地点の家山駅で折り返さなければならない。その結果、客単価が下がり、ツアーの運賃収入も半減してしまいました。これは痛かったですね」

日帰りツアーの足をバスから新幹線に切り替える動きも進んでいるが、バスなら6,000円で組めるツアーも、新幹線を使うと1万円を超えてしまう。震災とバス規制のダブルパンチで客足が遠のき、大井川鐵道は2011年から3期連続で赤字を計上。公共交通機関としての鉄道を維持するため、地元の島田市と川根本町に経済的支援を求めたが、その議論は遅々として進んでいない。大井川鐵道は、まさに会社設立以来の危機を迎えることとなったのである。

大がかりな経営合理化を断行。その一方で、新たな希望の萌芽も

近畿日本鉄道から譲り受けた16000系の車両。現在は大井川本線の主力として活躍している近畿日本鉄道から譲り受けた16000系の車両。現在は大井川本線の主力として活躍している

経営合理化のための苦渋の選択として、大井川鐵道は2014年3月にダイヤ改正を実施。普通電車の運行本数も14往復から9往復に減らし、全体の36%もの便を間引かざるをえなかった。
だが一方では、再生へと向けた起死回生の試みが水面下で進められていた。赤字に転落して2年目の2012年、旧知の京阪電鉄を通じて、「SLを活用して『トーマス号』を走らせないか」という話が舞い込んだのだ。

「もともと当社では、関西の大手私鉄から譲り受けた中古車両を走らせていたのですが、その1つが、『テレビカー』の愛称を持つ京阪電鉄の3000系でした。これを廃車にすることになり、京阪電鉄と共同で『さよなら京阪3000系テレビカー』というお別れイベントを実施したのです。このとき、京阪さんは3000系の車両にトーマスをラッピングして走らせた。その縁で、京阪さんが、『きかんしゃトーマス』の日本でのライセンスを持つソニー・クリエイティブプロダクツとの橋渡しをしてくれたのです」

ソニー・クリエイティブプロダクツ側は、かねてから「SLのトーマスを日本で走らせたい」という思いを温めていた。経営再建のための起爆剤を求めていた大井川鐵道にとって、この話はまさに“渡りに船”だった。

SLを毎日運行してきた実績が、新たなチャンスを呼び込んだ

もし、世界中で絶大な人気を持つトーマスを走らせることができれば、国内外から観光客が集まり、自力再建への強力な足がかりとすることができるだろう。
SLを動態保存している鉄道会社は他にもあったが、最後は、40年近くにわたってSLをほぼ毎日運行してきた実績とノウハウがものを言った。

こうして2014年7月12月、全国の子どもたちと鉄道ファンの熱い期待を受けて、『トーマス号』はついに走り出したのである。(つづく)

大井川鐵道にお目見えした『トーマス号』。従来から黒いSLをトーマス仕様に衣替えしたものだ大井川鐵道にお目見えした『トーマス号』。従来から黒いSLをトーマス仕様に衣替えしたものだ

2015年 03月17日 11時07分