旭川から発信する、シンプルで心豊かな生き方

欧米で人気のあるタイニーハウスが、日本全国で広まりつつある。直訳すると「小さな家」。かわいらしい、秘密の小屋のような生活空間だ。これまで北海道ではあまり見かける機会がなかったが、JR旭川駅の駅前広場にお目見えし、その独特の佇まいが、市民や観光客の視線をさらっている。まちの玄関から発信するのは、その土地土地に溶け込み、余計なものをそぎ落とすことで見えてくる、シンプルで心が豊かになる生き方らしい。

このタイニーハウスを手がけたのは、一般社団法人「シンプルライフ協会」。「シンプルに暮らすことで、気持ちが楽になって余裕が出てくるかもしれない。物の豊かさではなく、心の満足度を高める提案をしよう」と、映画監督の松本和巳さんが2018年8月に立ち上げた。松本さんは東京在住ながら、自身がほれ込んだ旭川を拠点に選んだ。協会によると、アメリカではサブプライムローン問題などをきっかけに、場所やお金に縛られない生き方が普及し、オレゴン州・ポートランドを中心に広く知られるようになった。日本でも東日本大震災を機に注目され、事例が増えている。

協会は3基のタイニーハウスを所有していて、そのうち2基を2018年12月に旭川の駅前広場に運び込んだ。現在は体験型ホテルとして営業していて、セカンドハウスとしての使い方を提案し、移住者の掘り起こしも狙っている。

駅前の雰囲気にもマッチする2 基のタイニーハウス 駅前の雰囲気にもマッチする2 基のタイニーハウス

機能を制限した体験型ホテル

2基はベージュの「サンタフェ」とブラックの「モダン」。外観のデザインこそ印象が大きく異なるものの、ともに車輪と開放的な窓を備え、13.8m2のコンパクトな設計。幅は道路を通行できる2.45m、長さは6.02m、高さは3.8m(いずれも外寸)。外から眺めているだけでは宿泊の機能を持った「家」とは想像もつなかいが、室内にはベッドのほかキッチン、トイレ、シャワーといった一通りの設備、受付の要らないスマートロックといった最新機能がそろう。効率的なレイアウトと高さのおかげで、狭さを感じさせない。コンパクトな空間だからこそ、一般的な断熱材を入れるだけで、厳冬期でもガスストーブ一つの最小限の出力ですぐに温まるという。

興味深いのは、機能をあえて抑えているところだ。電気は15アンペアしか使えず、ドライヤーとIHコンロを同時に使うと、ブレーカーが落ちてしまう。「何か不便を感じるかもしれないホテルなのです。でも、それって…。自分が無駄にしていたモノ、コトに気づくかも」。タイニーハウスの横にある紹介文を読んで、思わず膝を打つ。協会の名前に込めた思いが表れている。

タイニーハウスの室内。必要最小限の設備と機能を備え、狭さを感じさせないタイニーハウスの室内。必要最小限の設備と機能を備え、狭さを感じさせない

生き方や暮らし方を模索して見えたもの

代表の松本さんは、かねて東京で「他人と比べ合う生き方」に違和感を覚え新しい生き方を模索し、アメリカ・ポートランドではタイニーハウスを体験した。そんな折、北海道・ニセコであった映画のロケで、旭川で市川農場を経営しスローライフを実践する市川範之さんと出会った。

市川さんはドローンを活用して農薬に頼らない米作りをしたり、糖質の吸収を抑える機能性米を開発したりとユニークな事業を続々と仕掛けていて、「人や時間に縛られない、好きなことをして過ごすライフスタイル」(市川さん)をしていた。海外の無人島に行く機会も多く、携帯電話の電波やテレビがない地域で、星明かりのもと円卓を囲んで語り合う現地の人たちの生活にふれ、「みんな笑顔で心の豊かさがある。東京でステータスとして語られるようなビルにいても、完璧には心が満たされない」と感じていた。2人は自然と価値観を共有するようになった。

松本さんは市川さんに道内各地を案内してもらい、2018年4月に初めて訪れた旭川で「自然とまちが調和している。ポートランドに似ていて、ポテンシャルしかない」と直感した。ほどよい都市機能、まち並み、大雪山系をはじめとする自然がすぐ近くにあるロケーションのとりこになった。一方の市川さんは2018年夏、タイニーハウスに宿泊できる「Tinys Yokohama Hinodecho(タイニーズ横浜日ノ出町)」を訪れ、「これなら住める。癒しにもなるし、仕事でもいい発想が生まれそう。コンパクトで、どこででも仕事ができるこれからの時代に合う」と確信した。松本さんから打診されてタイニーハウスのプロジェクトに参加し、協会の理事に就いた。

女性にも訴求しやすいデザインで、新しい生き方や暮らし方を提案する女性にも訴求しやすいデザインで、新しい生き方や暮らし方を提案する

ライフスタイルに合わせて活用できるタイニーハウス

協会代表の松本和巳さん(左)と市川範之さん。市川さんはタイニーハウスで農業の新しい見せ方ができると考えている。協会代表の松本和巳さん(左)と市川範之さん。市川さんはタイニーハウスで農業の新しい見せ方ができると考えている。

旭川のタイニーハウス2基は1月下旬から段階的に宿泊利用を始め、利用者からは好評だ。掘立小屋のイメージを持っていた人が、一歩踏み入れたとたんに「これは家ですね」「意外と温かいですね」と驚くことが多いという。宿泊体験をしたある男性は「相当削ぎ落した生活をしないといけないけれど、全く新しい生活を一から積み上げたら楽しい。新しいライフスタイルって、『今』からの脱却なんだろうな」と感想をFacebookに書き込んだ。大々的な宣伝をしているわけではないものの、取材した2019年2月6日時点では、1週間先まで予約で埋まっている。4月まで設置される予定。

残る1基は東京の国士館大学の研究室が設計に携わり、東京を拠点に広告塔として稼働している。1月19、20日には東京タワーで旭川移住促進のPRイベントがあり、市川さんらが旭川の農産品やタイニーハウスを紹介。2日間で2,000人ほどが来場した。1月24日~2月14日には同大学の世田谷キャンパスで体験展示会が開かれた。

市川さんは4月、タイニーハウスを自身の農場に移動させ、夏までに宿泊できるよう準備をする。その土地と繋がれるタイニーハウスをツールとして、田園の風やにおいに囲まれ、自然を体感してほしいという思いからだ。そして、デザイン性が高く移動できるタイニーハウスを農業と組み合わせることで新しい可能性を追求したいという。

「タイニーハウスは色々な用途に活用できて、人それぞれのライフスタイルに関わることができます。タイニーハウスは見栄えがよくて、置くだけでそこの景観が良くなる。カフェや直売所として利用すれば、女性が抱く農業のイメージも変わるかもしれません。それが地元への貢献になればいい」 。小さな家から大きな絵を描く。

2019年 03月25日 11時00分