モダニズムの四大巨匠全員が関わった、戦後ニューヨークの建築

建築史家・倉方俊輔さん(大阪市立大学准教授)が建築を通して世界の都市を語る、全16回のロングランセミナー(Club Tap主催)「アメリカ・ニューヨーク」編。ここからは、第二次世界大戦後の建築をみていく。

第二次世界大戦以前に、アメリカの建築の独自性は芽生えていたとはいえ、それが国外まで広く影響を及ぼすことはなかった。ニューヨークが世界の先端に躍り出るのは、戦争が終わってからのことだ。
「ナチスの台頭によって、ヨーロッパの文化人が次々とアメリカに亡命しました。その一人が、シカゴ編でも取り上げたミース・ファン・デル・ローエです。モダニズムの三大巨匠としてはよく、ミース、フランク・ロイド・ライト、ル・コルビュジエが挙げられます。ワルター・グロピウスを加えて四大巨匠とも。その4人とも戦後ニューヨークの建築に関わっていることは、ニューヨークがモダニズムの中心となったことを象徴しています」。

第二次世界大戦の終結からほどなくして設立された国際連合は、その本部をニューヨークに置いた。本部ビル(1952年)の設計は、加盟各国の建築家が参加する委員会に委ねられた。その一人が、当時すでに巨匠の名声を手にしていたル・コルビュジエ(1887-1965)で、当初案を主導している。
「ル・コルビュジエは途中で委員会を脱け、当初案は骨抜きになってしまいました。結果的に完成した建物は、“戦後”を象徴するデザインになっています。均質で箱のような、これ以上シンプルにしようがないほど平明な建築。戦前とは異なる、明るく開かれた、新しい時代の到来を告げるものでした」。

ミース(1886-1969)はドイツ時代にも超高層建築の構想を抱いていたが、実現はアメリカに渡ってからだった。その第一号がシーグラム・ビル(1958年)である。
「戦前の摩天楼とは違い、装飾がなく、上に向かって細くなるフォルムでもない、ガラス張りの透明な箱。前面に広場を設けることによって斜線制限をクリアし、セットバックのないフラットな外壁を実現しています。この時代に、これほど精度の高いガラスのカーテンウォールがつくれる国はアメリカ以外になかった。世界一の工業国であること自体が文化の発信につながっています。現在のオフィスビルの原型がここにあります」。

左/国際連合本部。アメリカ人建築家、ウォーレス・K・ハリソンが率いる国際建築家チームが設計した </br>右/ミース・ファン・デル・ローエのシーグラム・ビル(以下、写真はすべて撮影:倉方俊輔)左/国際連合本部。アメリカ人建築家、ウォーレス・K・ハリソンが率いる国際建築家チームが設計した 
右/ミース・ファン・デル・ローエのシーグラム・ビル(以下、写真はすべて撮影:倉方俊輔)

グロピウスのパンナムビル、ライト晩年の代表作・グッゲンハイム美術館

バウハウスの創設者であるワルター・グロピウス(1883-1969)も、ナチス政権下でドイツからイギリスに亡命し、ミースと同じ1937年にアメリカに移住した。そのグロピウスがニューヨークで建設したのがパンナムビル(1963年、現メットライフビル)だ。
「グランド・セントラル駅に隣接し、パーク・アベニューに立ちはだかる巨大な建築で、建設当時から景観を損なうという批判はありました。歴史性や地域性を切り離した普遍的な建物を目指している点で、全盛期のモダニズムを象徴する建物といえます」。

有名なグッゲンハイム美術館(1959年)は、ライト(1867-1959)晩年の傑作だ。戦前の1940年代に設計をはじめ、ライトの没後に完成した。
「ライトは戦前のアメリカから国外に影響を与えた、数少ない文化人の一人でした。グッゲンハイム美術館にはライトの後期作品の特徴がよく現れています。螺旋上の斜路を巡りながら作品を見るユニークな展示空間は、一部のアーティストから批判を受けましたが、それに対して、空間に合う作品をつくってみろ、と反論したと言います。いかにもライトらしいエピソードです。そうした伝承自体が、アメリカらしい独立独歩のヒーローとしてライトが讃えられていることの証しです」。

上/グランド・セントラル駅の背後にそびえるパンナム・ビル(左)。現在は「メットライフ・ビル」になっている </br>下/グッゲンハイム美術館上/グランド・セントラル駅の背後にそびえるパンナム・ビル(左)。現在は「メットライフ・ビル」になっている 
下/グッゲンハイム美術館

ガラスのカーテンウォールを駆使したSOMの雄、バンシャフト

超高層ビルの生みの親として評価されているのが、現在に続くアメリカの巨大組織設計事務所SOM(スキッドモア・オーウィングス&メリル)のニューヨークオフィス創始者であるゴードン・バンシャフト(1909-1990)だ。彼の手がけたリーバ・ハウスは世界のオフィスビルに影響を与えた。完成は1952年と、ミースのシーグラム・ビルよりも6年早い。

「バンシャフトは建物の全面をガラスのカーテンウォールで覆う技術を、表現として洗練させました。大量生産が可能になったガラスは、当時のアメリカではコストパフォーマンスの高い外壁材でした。低層階は敷地いっぱいに建てて商業機能を入れ、上層階は細く立ち上げてオフィスにする。こうした構成も合理的で経済的であるとして、世界中がお手本とします」。

シーグラムにせよリーバにせよ、ニューヨークの超高層ビルの多くは、遠く離れた日本の私たちにも耳慣れた企業の名前を冠している。
「コルビュジエやミースのような巨匠の“作品”ということ以上に、巨大資本が建築家を駆使して、建築の歴史に新たな足跡を刻む。第二次世界大戦以前の摩天楼から連続した、商業主義のニューヨークらしさと言えます」。

左/リーバ・ハウス 右/ソロー・ビル。いずれもバンシャフトの設計左/リーバ・ハウス 右/ソロー・ビル。いずれもバンシャフトの設計

モダニズムからポストモダニズムへ。多様性を活かしたまちづくりへ。

しかし、バンシャフトが1974年に完成させたソロー・ビルは、その突出した巨大さと冷たさにおいて非難を浴びる。背景には、1970年前後の思想の転換があった。
「バンシャフトは、精度が高く、孤立した建築の美を追求しました。戦前のニューヨークには重々しい様式建築が多かったので、バンシャフトの建築ははじめ、戦後をリードするアメリカの新しい自画像として歓迎されました。しかし、1960年代末から、ピラミッド型の巨大組織による社会支配に対して批判が起き始めます。さらに、物量を背景にしたアメリカのおごりがベトナム戦争を泥沼化し、撤退せざるを得なくなった1973年頃には、無機的な巨大ビルは、個々人の顔が見えない巨大組織の象徴として受けとめられたのです」。

モダニズムが批判を浴びても、ニューヨークの前進は止まらない。
「1984年に完成したAT&Tビルディング(1984年)は歴史的なスタイルを取り入れた、“ポストモダニズム”の代表作です。設計したフィリップ・ジョンソンは、1930年代にニューヨーク近代美術館の学芸員としてアメリカにモダニズムを紹介した張本人。まるで、この街の神話を裏切るかのようです。しかし、ポストモダニズムは、モダニズム以前のスタイルを、若干のウィットで中和して再導入したものですから、ニューヨークの物語、文脈の再構成であるわけです」。

建築のスタイルとしての“ポストモダニズム”よりさらに重要なのは、街が積み重ねてきた歴史を活かして再構築する「まちづくり」の流れだ。
「ジャーナリストのジェイン・ジェイコブズは1961年の著書『アメリカ大都市の死と生』などを通して、画一的な再開発や高速道路建設に警鐘を鳴らし、ニューヨークのダウンタウンが備える多様な資質を評価しました。そこから、まちづくりはさらに洗練した手法に発展し、ニューヨークの資本の流れを活気づけています」。

フィリップ・ジョンソンによるAT&Tビル。現在は「550マディソン・アベニュー」になっている。聖堂のようなアーチやヴォールト天井など、様式建築的な要素を採り入れているフィリップ・ジョンソンによるAT&Tビル。現在は「550マディソン・アベニュー」になっている。聖堂のようなアーチやヴォールト天井など、様式建築的な要素を採り入れている

道路や廃線を活用した、先進的なエリアマネジメント

常に時代の先端を走り続けるニューヨークは、近年、公共空間や産業遺産を活用したエリアマネジメントの分野でも、世界の注目を集めている。

例えば、シカゴ編でも登場した建築家、ダニエル・バーナムによるフラットアイアン・ビル(1903年)周辺では、車道の一部を閉鎖して椅子やテーブル、パラソルを置き、歩行者がくつろげる空間にしている。
「周りにはカフェもあって飲食もできる。しかし、椅子はカフェ専用ではなく、誰もが座れるようになっています。税金でつくったものを一事業者に専有させはしないが、しかしちゃんと稼げる場所にしている。そしてみんなが楽しめる場所になっています」。

市中心部にあるブライアント・パークは、1970年代には昼間でも怖くて近寄れないような治安の悪い公園だったが、80年代に入って市と周辺のビルオーナーが連携して再生に取り組み、今では夜も明るく、様々なアクティビティが楽しめる開かれたレジャー空間に変貌した。
「周囲の企業が自ら先行投資して、土地の価値を高める。そこにニューヨークらしい精神があります」。

廃墟だった貨物鉄道の高架を公園に変えた、ハイライン(2009年改修)も、大人気の観光地になっている。
「高架の上を歩くことで、今までになかった視点で街を眺めることができる。ニューヨークに新しい風景が生まれました。景観設計のジェイムズ・コーナー・フィールド・オペレーションズと建築設計のディーラー・スコフィディオ&レンフロによるデザインも、実に巧みです。線路を撤去せず、自然に植物が生えているかのように見せている。自然さをつくる人工的なデザインが、人の心に確かな効果を及ぼしているのです」。

「アイデアと実行力、巨額の投資と目を引くデザインを投入して、公共空間を改良し、産業遺産を活用する。直接の入場料収入はなくても、街がイメージアップして地価が上がり、巨大な開発につながっていく。背後には商業主義の冷徹な計算が働いている。ニューヨークは各時代でお金を稼ぐ手法の先端を走り続けていて、その足跡が街に刻まれています」。

取材協力:ClubTap
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左/フラットアイアン・ビルと足元のオープンスペース。パラソルやテーブルが置かれている 右上/ブライアント・パーク </br>右下/ハイライン。もとは1934年に建設された貨物鉄道の高架だ。左/フラットアイアン・ビルと足元のオープンスペース。パラソルやテーブルが置かれている 右上/ブライアント・パーク 
右下/ハイライン。もとは1934年に建設された貨物鉄道の高架だ。

2019年 09月05日 11時05分