オーナーや用途が変わっても生き続ける建築

イケフェス1日目に続き2日目は、北浜から堺筋界隈を歩いてみることにした。五代友厚像が立つ大阪証券取引所ビルから出発し、堺筋から西に入ると、レトロビルがたくさんあるエリアだ。
朝早い時間は少し肌寒く、「青山ビル」の前には10時から始まるガイドツアーを待つ人々がコートのポケットに手をつっこんで待っている。

青山ビルは1921年、高級レストランや高級輸入食品店を経営する実業家、野田源次郎さんの個人邸宅として建てられた。地上3階(一部4階、後年5階に増築)、地下1階の鉄筋コンクリート造の建築は大林組が手がけ、スパニック様式の洋風デザインだ。
アーチ型の玄関、テラコッタ製の窓台、ステンドグラスが目をひく。当時としては珍しく水洗便所や温水暖房システム、館内内線電話を備えたモダンな都市型住宅だ。1階の片隅には、地下のボイラー室にいれる石炭の投入口が残っている。
かつては1階に厨房と食堂、浴室と運転手の控え室、2階に野田さんの両親と子どもたちの部屋、書斎と仏間、3階に夫婦の部屋やビリヤードルームがあり、個室は畳敷きの和室で、縁側を介して裏庭が眺められたという。
1947年に、現オーナーの先代、青山喜一さんが野田家から譲り受け、1959年に増築。戦後は一貫として、テナントビルとして運営されている。今もギャラリーやカフェ、レストラン、クリエイターのオフィスなどいろいろな入居者がいる。

春から夏にかけて、甲子園球場から株分けしてもらった蔦で緑色になる「青山ビル」春から夏にかけて、甲子園球場から株分けしてもらった蔦で緑色になる「青山ビル」

見学者同士の交流もイケフェスの魅力

テナントビルの「伏見ビル」。オーナーの愛情が玄関の花活けに見えているテナントビルの「伏見ビル」。オーナーの愛情が玄関の花活けに見えている

「外壁を覆う蔦は、一度枯れましたが、甲子園球場の蔦を株分けしてもらって、今のは2代目の蔦なんです」と、現オーナーの青山修司さんが自ら見学者を案内してくれた。
「現在、青山ビルの事務所としている部屋は、かつて脚本家の花登筐(はなと・こばこ)さんや俳優の大村崑さんが使っていましてね」と説明すると、若い男性見学者が「花登筐って誰?」。「あんた、知らんのんかいな。『細うで繁盛記』書きはった、大阪で有名な脚本家やがな」とおばちゃん見学者が一喝。
見学者同士のそんなやりとりもイケフェスのおもしろさだ。

青山ビルの隣は「伏見ビル」。1923年に建設され、元はホテルだったというが、1931年からテナントビルとして使われて今に至る。
玄関にはオーナーが本宅からもってきた梅の形の手水鉢が置かれ、美しい花が活けてある。
このような大阪のレトロビルは、バブルの時代に建て替えや買収を持ちかけられたところも多いと聞く。残っているところは、目先の利益より受け継いだ建築への愛情でオーナーが踏みとどまった証拠だろう。

人気のレトロビルには多彩な業種・職種の人が入居

伏見ビルから南西へ数分。現代的なビルやマンションに囲まれて「船場ビルディング」がたっている。
1925年に建設された鉄筋コンクリート造、地上4階、地下1階建てで、建物の中央に路地のような中庭がある。どことなくエキゾチックで、どこかアジアの国の街角のようにも見える。
かつては事務所と住宅から成っていたが、今は小分けされてすべてオフィスに。広告、建築設計、アパレル、税理士、社会保険労務士、行政書士、テーラー、フラワーショップなど多彩な業種・職種が入居している。人気のあるレトロビルで、空き室がないと入居を待つ人もいるほどという。

この中で、コピーライティングやコンサルティングを生業とする中島事務所の中島公次さんを訪ねてみた。
「室内は、天井が高いので大きく見えますね。共用部分を禁煙にしたり、入居者がシェアできる自転車を用意したり、屋上庭園を整備したり、ここ数年、ビル管理事務所もいろいろ工夫しています。ただ、古いビルですから、冬はすきま風が入って少々寒いし、大雨の日には中庭に直接降り込む雨で館内の湿気が高まります。でも、お客さんが訪ねてこられると、素敵な空間で働いておられて…とみなさん、おっしゃいますね」
室内は、真っ白な壁に囲まれ、整理整頓されたオフィス空間。ドアを開けると築91年のレトロビル。少々の不便さも内包しつつ快適なオフィスとして機能している。

屋上緑化、自転車シェアリングなど現代ならではの工夫もみられる「船場ビルディング」屋上緑化、自転車シェアリングなど現代ならではの工夫もみられる「船場ビルディング」

公から民間への運営主体の移行、将来的には組織化の課題も

大阪市生きた建築ミュージアム推進有識者会議の委員の一人である高岡伸一さん(高岡伸一建築設計事務所主宰、一級建築士、大阪市立大学都市研究プラザ特任講師)に話を聞いた。
高岡さんは、設計活動と並行し、近代建築や戦後建築の再評価・利用について研究・実践している。

イケフェスは元々、平成24年度の大阪府都市魅力戦略会議での「世界的な創造都市に向けて〜グレートリセット〜」と題した報告書を受け、翌年度から大阪市都市整備局で「生きた建築ミュージアム事業」として始まった。
「3年間は市の事業でしたが、いずれ民間に移ることを前提に、今年度、実行委員会が設立されました」という。
民間移行で大切となるのは運営費用の捻出法。今年は、大阪ガスや大林組、ダイビル、竹中工務店、千島土地ほか大阪の企業に協賛してもらい、ガイドブックやポスターの印刷、広報宣伝の費用を捻出した。
「いつまでも実行委員会が運営するわけにはいきませんから、将来的な組織化や法人化は今後の課題です」と高岡さんは言う。

高岡さんはイケフェスの魅力をこう分析する。
まず、1年にたった2日間しか開催しないこと。その時に集中して一斉に見て回るのがよく、見逃したらまた来年行こうか、でいい。魅力のあるイベントを長く続けていく。

次に、割とまとまったエリア内にある建築物を見て回る回遊性のイベントとなっていること。歩いて回る、自転車で回る、地下鉄の「一日乗車券」を使って回る…。
ガイドブックを見ながら、今日はどう効率的に回ろうかメモをしている人も見かけたし、撮った建築の写真をSNSで発信する人もいる。子ども向けのツアーもあり、「小学校低学年のうちから建築や左官、設計に興味をもってもらえることは、業界としてとても心強い」と高岡さんは話す。

建築を通して、まちの歴史や人の営みを感じる

江戸から明治にかけての大阪の再構築に尽力した五代友厚像を抱く大阪証券取引所ビル。これからの大阪を支えるシビックプライドをどう取り戻すか江戸から明治にかけての大阪の再構築に尽力した五代友厚像を抱く大阪証券取引所ビル。これからの大阪を支えるシビックプライドをどう取り戻すか

第3に、大きな企業のビルから個人所有の住宅まで、オーナー側がとても協力的に見学者を迎え入れ、ボランティアを含め、さまざまな発信をしてくれること。
「ホスピタリティあふれる市民性が生きています」と高岡さん。大阪人がもってうまれた“元祖おもてなし“スピリッツだ。
迎え入れる側と見学者、あるいは見学者同士が情報交換をしながら仲良く時間を共有できるのも楽しい。
「すばらしいですね」と見学者が建築の価値に気づくこと。褒められたオーナー側が、建築を管理維持する誇りを胸に刻むこと。双方向の価値が創造される。

「建築に対する魅力を体験してもらい、大阪というまちへの愛着をもち、シビックプライド(市民の誇り)を活性化させ、大阪という都市の再生につなげることがイケフェスの本筋」と高岡さんは話す。

現在、大阪では、外国からの観光客が多く、インバウンドに湧いている。
奈良や京都などの古都は、ある程度決まった時代の建築や文化財が集まり、それが観光客を動員している。それに比べ、大阪は江戸時代から現代まで、いわばごちゃまぜの建築が都市の中心部にぎゅっと詰まり、それらを見比べられる魅力がある。入場料を払って入る寺社仏閣や美術館、博物館ではなく、現代に生きる建築を通して、歩きながらまちの魅力や人への親しみに触れることができる。
このイケフェスは、ロンドンで9月の土日に無料で公開される「オープン・ハウス・ロンドン」をモデルにしているが、どこにもない大阪ならではの魅力を発信しながら、これからも多くの人に楽しんでもらいたいもの。

暮らしている人、使っている人がいるからこそ、建築は生きている。
「建築という入り口から入って、大阪というまちの歴史や人の営みを感じてほしい」と、高岡さんは言う。


取材協力/生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2016
http://ikenchiku.jp/

2016年 12月13日 11時05分