旅先の台湾で故郷の名古屋を思い出した理由

故郷、名古屋を離れて38年。帰省する機会も減ったが、テレビの旅番組で名古屋の映像を見ると、懐かしくなる。
名古屋と聞いて、いの一番に思い出すのは、名古屋城と熱田神宮だ。尾張からは織田信長、豊臣秀吉を輩出し、徳川家康が戦国時代に終止符を打った後は、家康によって名古屋城が築かれ、計画的なまちづくりが進められた。今も、かつての城下町に官庁やオフィスビルが林立する。
熱田神宮は、三種の神器のひとつ、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を祀る古代からの社だ。ちなみに筆者の名前は、「熱田(あった)さんに相談して決めた」と両親は言い、神宮の参道は子ども達の通学路でもあった。
故郷を代表する2つの名所に次ぐ第3の存在に気づいたのは、意外にも旅先の台湾だった。台湾の南部、「高雄市立歴史博物館」を訪れた時、胸の奥からフツフツと、ある故郷の風景が湧き上がった。名古屋市役所の本庁舎とどこか似た建築だったからだ。

高雄市立歴史博物館は日本統治時代の高雄市役所庁舎で、1939(昭和14)年に竣工。92年に市庁舎が移転した後は文化遺産として残され、98年10月、台湾で初めて地方自治体運営の歴史博物館として開館、歴史的建造物を文化施設として整備・再利用するモデルケースとなった。
1930年代(昭和10年前後)の日本で、伊東忠太、佐野利器、武田五一らによって推進された和洋折衷の建築様式を、いわゆる帝冠様式と呼ぶ。愛知県庁舎や神奈川県庁舎、高島屋日本橋店(旧・日本生命館)などがその例で、日本統治下で建設された高雄市立歴史博物館の外観も帝冠様式とされる。

名古屋市役所本庁舎は、名古屋城に近い官庁街の一角に建ち、1933(昭和8)年9月6日に竣工した。建設費は、当時の金額で260万円だったという。
外観は、近代的なビルに和風の屋根を乗せた「日本趣味を基調とした近世式」、ルネッサンス様式の和洋折衷で、高雄市立歴史博物館と同様に帝冠様式の例ではないか、と名古屋市役所に問い合わせてみた。すると、「近年、いわゆる帝冠様式ではないという評価になりつつあります」と意外な返事が。
その理由を尋ねて、久しぶりに故郷、名古屋の駅に降り立った。

旅先の台湾で高雄市立歴史博物館(上)を訪れたのを機に名古屋市役所本庁舎(下)を思い出す
旅先の台湾で高雄市立歴史博物館(上)を訪れたのを機に名古屋市役所本庁舎(下)を思い出す

コンペで選ばれた名古屋市役所の設計案は「名古屋城との調和を図った意匠」がポイント

初代市役所(明治23年築)、2代目市役所(明治42年築)に次いで3代目となる名古屋市役所の現本庁舎は、昭和天皇の即位を記念する御大典事業として建設された。設計案は一般公募され、559通の中から西春日井郡豊山村(現・豊山町)出身の平林金吾氏の案が採用され、市役所の建築部門が実施設計を担った。市役所は、コンペ当選作品だったのだ。
まず目をひくのは、中央にそびえる高さ53.5mの時計塔。この時計は1967(昭和42)年まで、1日に2回、人の手で操作する「手動巻上式」だったが電動化され、その後、モーター式に転換され、現在に至る。2層の屋根を配した塔には、頂上の「四方にらみの鯱(しゃち)」を含め12尾もの鯱が乗っていて、塔の途中には「鬼」の面のレリーフがある。鯱や鬼が採用されたのは、城や寺社と同じように、火の気や邪気を払うためだったのではないか。
この建物は設計者の平林氏が時計塔と鯱など名古屋のイメージを鮮明に打ち出したいとこだわり、それが外観の採用にあたって高く評価された要素の一つ。だから、一定の時代に特徴的に作られた帝冠様式というより、名古屋城に隣接する市庁舎として独自に設計されたことを、もっと積極的に評価していこうというのが近年の考え方だ。名古屋城は第二次世界大戦の最中、1945(昭和20)年の名古屋空襲で本丸のほとんどを焼失したが、名古屋市役所は難を逃れた。
市役所本庁舎は、他の街の役所建築ではあまり見かけない重厚かつクールな建築物だ。当時の市庁舎としては突出した規模で、近隣の産地、常滑のタイルを使うなど、ローカル色もふんだんに取り入れている。

名古屋市役所本庁舎の塔部分に設置されている「鬼」の面と頂上部分の「四方にらみの鯱」(2つの写真は名古屋市役所提供、転載禁止)。名古屋城(下)との調和を図って設計されたのが本庁舎の魅力の一つ名古屋市役所本庁舎の塔部分に設置されている「鬼」の面と頂上部分の「四方にらみの鯱」(2つの写真は名古屋市役所提供、転載禁止)。名古屋城(下)との調和を図って設計されたのが本庁舎の魅力の一つ

映画やドラマの撮影に玄関や廊下、会議室などが使われた市役所

市役所内は、執務に支障をきたさなければ自由に見学でき、庁内にいる職員や市民の顔が映り込まなければ、写真撮影も可能だ。取材に訪れた日も、若い女性2人が庁内を静かに見学し、ミラーレスカメラで撮影していた。
玄関ホールの柱や階段手すりには、山口県産の「小桜」という良質な大理石が使われている。この大理石は、1936(昭和11)年に建設された国会議事堂と同じ建材で、「国会議事堂の大理石の余材を使わせてくれ、と当時、かけあったと聞いています。小桜を使ったのは、国会議事堂と名古屋市役所だけだそうですよ」と市役所の担当者。
中央階段手すりの照明器具は、陶芸家であり、釉薬(ゆうやく)研究者としても知られる小森忍氏の手によるもの。各階に設置されたこの照明器具は、開庁時間中は点灯され、エメラルドのような深い緑色の灯がエキゾチックに揺らいでいる。

庁舎北側の廊下は全長100mと長い。近年では、「映画『SP革命編(2011年東宝)』や映画『アウトレイジビヨンド(2012年ワーナーブラザーズ)』などで、市役所の廊下や玄関が使われ、映画『謝罪の王様(2013年東宝)』やドラマ『LEADERS(2014年TBS)』では、館内の部屋が総理官邸やGHQ本部としての設定で撮影されたんですよ」と市役所の職員に聞いた。
議場に続く2階中央廊下に使われている陶製のタイルは、中央階段の手すりの照明と同じ小森氏の手によるもの。濃紺と金のタイル張りはクラシックホテルのように美しい。映画「ステキな金縛り」(2011年東宝)では、スタジオのセットに市役所内部のイメージを再現するために、美術担当者が4回も訪れたそうだ。建築の観点から映画を見るのもおもしろいだろう。
議場前の壁面は、青、赤、茶、紫などさまざまな色が混じり合った「窯変タイル」(*)が華やかに使われている。廊下には、昭和初期につくられた窓枠やガラスが今も残り、歴史を感じさせられる。

*窯変タイル 窯で焼く前に、炎の性質やうわぐすりの含有物質などが原因で予期しない変化が現れたタイルのこと

名古屋市役所本庁舎2階の中央廊下(上左)は、陶製のタイル壁と昭和初期の窓ガラス窓が美しい。議場入り口の壁面には窯変タイルの意匠(上右)。2階中央廊下の奥にある名古屋市会の本会議が開かれる議場(名古屋市役所提供写真、転載禁止)は全国でも珍しい円形。館内の廊下は威厳があり(下中)、階段の手すりにはエキゾチックな緑色のタイル製の照明が灯る(下右)名古屋市役所本庁舎2階の中央廊下(上左)は、陶製のタイル壁と昭和初期の窓ガラス窓が美しい。議場入り口の壁面には窯変タイルの意匠(上右)。2階中央廊下の奥にある名古屋市会の本会議が開かれる議場(名古屋市役所提供写真、転載禁止)は全国でも珍しい円形。館内の廊下は威厳があり(下中)、階段の手すりにはエキゾチックな緑色のタイル製の照明が灯る(下右)

名古屋城や日本らしさを表現した建具、金具、意匠が随所に

普段は公開されていない部屋も特別に見せてもらった。
まず、5階にある「正庁」だ。約250m2と広く、竣工当時は、儀礼や典礼の際にのみ使われた格式高い部屋で、壁の下部は大理石張り、天井は格天井(ごうてんじょう)で作られていて立派だ。室内で使われた大理石は竣工当時のものだが、シャンデリアなど照明器具は取り替えられた。
現在でも、式典や辞令交付、年始の市長挨拶や訓示、審議会の会場として使われている。世界の姉妹都市から送られた額や歴代市長の写真などが壁を飾っている。

竣工当時の内装や調度品を色濃く残しているのが4階の「貴賓室」だ。海外からの賓客などを迎える部屋として今も使われている。戦争当時の金属供出によって、市役所は金属部材のほとんどを失ったが、この貴賓室のシャンデリアや扉の飾り金具は残された。暖炉やシャンデリアは、職人が大理石を手彫りしてつくり、今見ても非常にモダンで美しい。金具には「桐」のモチーフ、壁には「飛雲」のレリーフがある。これら細部は和風の意匠だ。
貴賓室の両隣は、訪問者や市役所職員が待機するための「副室」で、貴賓室よりはコンパクトながら同じテーストの意匠で統一されている。副室の南側にある化粧室は、小森氏が手がけた青色のタイルで装飾され、洗面台や洋式トイレが設置されている。床面から壁面の境目には湾曲したタイルを使うなど、きめ細かな工夫がされている。
これら内部の意匠は、名古屋城本丸御殿を念頭にしており、木製部分に最高級のチーク材を使い、欄間や扉の飾り金具、紋章などは、華麗な御殿建築を彷彿とさせる。現在、名古屋城内では、1615(慶長20)年に建てられた「本丸御殿」が復元・展示されている(第2期分。今年6月に第3期分を含め完成公開)。部屋の格や用途によって天井が「竿縁天井」「格天井」「折り上げ天井」と使い分けられるなど華麗な建築技術を見学できるが、名古屋市役所にもこうした城郭建築の要素が取り入れられている。

荘厳な趣の「正庁」(上左)と、竣工当時の内装をよく伝える「貴賓室」(上右)。建具や金具には和風のデザインが生かされている(下左)。青いタイルで装飾された洗面室には洗面台や洋式トイレが設置された(下右)荘厳な趣の「正庁」(上左)と、竣工当時の内装をよく伝える「貴賓室」(上右)。建具や金具には和風のデザインが生かされている(下左)。青いタイルで装飾された洗面室には洗面台や洋式トイレが設置された(下右)

街への愛着や懐かしい記憶を、無言でつくりだしている公共建築の価値

市役所は年1回、普段見られないところも含めて市民に一般開放している。多い時だと6000人を超える市民が見学にくるという。建物の屋上には、こうした特定の日にしか登ることはできない。戦争中に建物を目立たせないように塗った防災迷彩の黒色や、高射砲の設置を考慮して一段高くして増設された床なども、屋上に上がるとよくわかる。なかなか気づきにくい歴史の一端ともいえる。
市役所は、1998(平成10)年に国登録有形文化財に登録され、2014(平成26)年に国の重要文化財に指定された。名古屋市役所の5年後に竣工した隣地の愛知県庁本庁舎も同じ年に登録や指定をされている。
年を経る中で建物の老朽化は免れないが、ここは市職員が働く職場でもある。「冬季には本当に寒いですし、休み明けの月曜日には、なかなか暖房が効きません」と働く身には厳しそうだが、現代のインテリジェントビルには決してない、重厚な建築の内部、いわば文化財の中で働くのを醍醐味と考えている職員も少なくないはずだ。

歴史的文化的な価値をもつ建物の管理面で、「100%維持する」「100%復元する」ことは困難を要する。博物館として保存するならともかく、今も現役庁舎として使いながら保存する中で、雨漏りが生じれば直すしかないし、設備や内装が老朽化すれば更新するしかないが、竣工当時そっくりに戻すことはなかなか難しい。2010(平成22)年には耐震改修工事(免震補強)を完了。今年、修理したエレベーターは、竣工当時の意匠を参考にしたが、当時のままには復元できない。日常的な営繕には、1年に数千万円の予算がいる。

市民の中には、築85年の建物が現役の市役所として機能していることに驚く人もいるし、昔からずっとそこに建っていることがあまりにも当たり前すぎて、その価値に気づかない人もいる。
だが、改めてじっくり見学したり、街を離れた時に思い出したり、映画の一場面に採用されたのを見たりした時に、街の中でずっと生き続けている建物の価値に気づく。住む人の街への愛着や地域への帰属心を無言で支え、もう住民でなくなった人にも、記憶の中の懐かしさや今なお続く誇らしさを浸潤させている。
建築にはそのような無形の価値もあると、名古屋市役所本庁舎は教えてくれる。

戦時の防災迷彩の黒色が今もうっすら残る(左、名古屋市役所提供写真、転載禁止)。玄関ホールの柱や階段手すりには山口県産の「小桜」という大理石が使われた(右上)。街への愛着や懐かしさをもたらすのも建築の価値の一つ(右下)戦時の防災迷彩の黒色が今もうっすら残る(左、名古屋市役所提供写真、転載禁止)。玄関ホールの柱や階段手すりには山口県産の「小桜」という大理石が使われた(右上)。街への愛着や懐かしさをもたらすのも建築の価値の一つ(右下)

2018年 05月30日 11時05分