大阪を日本の寺社文化の発信基地に。天王寺区下寺町に「宿坊型ホテル」が誕生

聖徳太子が建立した、日本仏法最初の官寺といわれる四天王寺。大阪市を代表する古刹として多くの参詣者を集めている聖徳太子が建立した、日本仏法最初の官寺といわれる四天王寺。大阪市を代表する古刹として多くの参詣者を集めている

関空からの入国者数増加で、空前のインバウンド景気に沸く大阪。2016年に来阪した外国人観光客数は過去最高の約941万人に達し(大阪観光局調べ)、その勢いはとどまるところを知らない。

とはいえ、訪日外国人にとって、大阪のイメージは「食と買い物の町」。アジア系の観光客には受けがよくても、欧米人には今ひとつ神通力に欠けるようで、日本の伝統文化に関心が深い欧米系の観光客は、大阪を素通りして京都や奈良、広島に向かう傾向があるという。

だが、こと寺院の数に限っては、大阪もけっして負けてはいない。実は大阪府は、全国の都道府県の中でも、愛知県に次いで2番目に寺院が多い(平成28年度宗教年鑑/文化庁)。戦災の影響で、文化財の数こそ京都・奈良に及ばないものの、庶民の間には今も仏教の信仰や民俗が脈々と息づいている。

「大阪で1泊して、四天王寺や周辺の寺町を回ってもらえば、京都や奈良まで行かずとも日本文化に触れることができる。堺市の『千利休茶の湯館』では、茶の湯も体験できます。実は大阪にも、日本文化を体験できる場はたくさんあるのです」

そう語るのは、株式会社和空 代表取締役の田代忍さん。同社は一般社団法人全国寺社観光協会の監修のもと、寺社の魅力をPRし、観光客を誘致する事業を行っている。
その一環として、2017年4月、大阪市天王寺区の寺町に宿坊『和空 下寺町』をオープン。大阪から日本の寺社文化の魅力を発信するための、新たな拠点づくりを進めている。

精進料理、写経・写仏、朝のお勤め参加。宿坊体験がパックされた和モダンの宿

そもそも宿坊とは、神社仏閣に併設された宿泊施設のこと。交通機関が未発達で、遠方の神社仏閣に日帰りで参拝することが難しかった時代に、参拝者のために設けられた宿泊施設のことである。
では、あえて「宿坊」の名を冠した『和空 下寺町』とは、一体どのような宿なのか。その実像に迫るべく、体験取材を試みた。

『和空 下寺町』は、上町台地の西麓、松屋筋通りに面した場所にある。格子塀や犬矢来を巡らせた、瀟洒な和風旅館といった趣だ。ロビーには茶器が置かれ、館内には仏画や、寺院の欄間をリサイクルしたオブジェが飾られている。畳敷きの客室には布団ベッドが置かれ、足の裏に触れる畳の感触と香りが心地よい。

夕食の精進料理を堪能した後、夜8時半からは仏教体験の時間。大広間には写経・写仏のセットが用意されていた。仏画の下絵をなぞって丁寧に筆を運んでいるつもりでも、気を抜くと如実に筆が乱れる。写経・写仏とは、単なる習字やお絵かきではなく、文字通り自分の心と向き合う修行であると実感した。
この日は残念ながら機会に恵まれなかったが、通常は近隣の寺から僧侶が来て、宿泊者に法話や写経・写仏の手ほどきをしてくれるという。

翌朝はロビーに7時前に集合。近くの愛染堂(勝鬘院)を訪れ、7時からの朝のお勤めに参加した。
住職による約30分のお勤めは、護摩焚きや声明(※1)も交えた、実に盛沢山な内容である。朝一番の“仏教ライブ”でエネルギーをチャージし、住職の法話に耳を傾けた後、境内で重文・多宝塔や有名な「愛染かつら(※2)」を拝観。それから宿に戻り、禅寺に伝わる粥をアレンジした朝粥定食をいただく、という流れである。

実際に泊まってみてわかったのは、『和空』とはいわゆる「宿坊」ではなく、「宿坊をテーマにした体験型の宿」だということだ。
寺社に付設された宿坊と異なり、『和空』は特定の宗派とは一切関係がない。精進料理や写経・写仏、寺院の朝のお勤めなどの“宿坊体験パック”が付いた和モダンの宿。宗派を問わず、地域のすべての寺社に対して開かれた宿坊型ホテル。それが『和空』である。
もちろん、従来の宿坊にありがちな、「信仰第一、快適さは二の次」という不安要素は微塵もない。従来の観光業には存在しなかった、全く新しいビジネスモデルといっていいだろう。

※1:仏教の儀式で僧侶が唱える声楽。 ※2:愛染堂にある桂の木。同名の小説・映画のモデルとして有名。

(左)客室(シングル)。(右上)写経・写仏体験が行われる大広間 (右下)和空オリジナルの精進料理.
1泊朝食付き9500円~、1泊2食付き体験込み1万6500円~(サ込・税別)(左)客室(シングル)。(右上)写経・写仏体験が行われる大広間 (右下)和空オリジナルの精進料理. 1泊朝食付き9500円~、1泊2食付き体験込み1万6500円~(サ込・税別)

檀家・参拝者の減少が進む中、「滞在型観光」で寺町に人を呼び込む

建物はRC造3階建。写真は『和空 下寺町』の企画・運営を手がける株式会社和空 代表取締役の田代忍さん建物はRC造3階建。写真は『和空 下寺町』の企画・運営を手がける株式会社和空 代表取締役の田代忍さん

だが、『和空』とは、単なるホテルビジネスではない。『和空』の運営が地域の寺社の協力なしには立ち行かない以上、寺社の側にも何らかのメリットがなければ、このビジネスモデルは成立しない。
では、『和空』は寺社に対してどんな価値を提供できるのか。それは、「地域の寺社が抱える課題に対して、観光という立場からソリューションを提供する」ことだ。

現在、各地の寺社は、信仰の衰退や人口減少にともなう檀家・参拝者の減少という悩みを抱えている。一方で、古社・古刹のユネスコ世界遺産登録も相次ぎ、その伝統文化や精神性に魅せられて来日する外国人観光客も増えている。

「1人でも多くの人にお寺に足を運んでいただくためには、観光という切り口も1つのきっかけとなる。そこで、私たちは、長時間滞在して寺社観光を楽しんでいただくための場として “宿坊”に注目。2014年に“宿坊創生プロジェクト”を発足させ、宿坊の活性化や新設を支援する取り組みを行ってきました。その第1弾が、この『和空 下寺町』です。ここを拠点として、近隣のお寺と協力しながら、地域の観光振興に取り組んでいきたいと考えています」(田代さん)

それにしても、なぜ「下寺町」なのか。全国的に知名度があるとはいえない場所を、なぜ開業の地に選んだのか。
実は、下寺町がある大阪市天王寺区は、80ヵ寺以上がひしめく一大寺院集積地。大坂城の防御が手薄な南の守りとすべく、徳川幕府が城下の寺院を上町台地上に集中移転させた結果、広大な寺町が誕生したといういきさつがある。
とはいうものの、その大半は檀家寺。京都や奈良のような観光寺院が少ないこともあって、この寺町の存在はあまり知られていない。

だが、観光マップを手に歩き出すと、この界隈が、実に多彩な魅力を秘めていることがわかる。
「大坂夏の陣」の史跡が集中するこの地域は、まさに“歴女”垂涎のスポット。また、上町台地の縁に位置した高低差の多い地形は、ブラタモリ的な散策の好適地でもある。
何より、このエリアには、聖徳太子ゆかりの四天王寺や、遺骨を集めて造った「お骨佛(こつぶつ)」で知られる一心寺、縁結びで有名な愛染堂(勝鬘院)など、浪速の仏教文化を体現する個性豊かな寺院がひしめいている。
文化財として洗練された京都や奈良では味わえない、庶民信仰に支えられた独特の熱気と濃密さ。日帰りの旅では、ここまで寺町のディープな魅力に浸ることはできなかっただろう。宿坊を拠点とする、滞在型観光の醍醐味を実感させられる思いだった。

観光客との交流が、僧侶のモチベーションや法話のスキル向上につながった

とはいえ、『和空 下寺町』誕生への道のりは平坦ではなかった。計画を立ち上げた当初、近隣の寺院の間では戸惑いも見られたという。
古刹・四天王寺を擁する天王寺区の寺町は、もともと参拝者が多く、経済的に豊かな寺院も多い。このため、寺院や僧侶を利用して観光ビジネスの商品にしようとしているのではないかと、疑念の目を向ける動きもあった。
だが、根気よく説明を続けるうち、主旨に賛同する寺院も現れ始めた。こうした寺院の協力を得て、和空プロジェクトが始動。紆余曲折の末、『和空』の構想はついに日の目を見る。宿泊者向けの早朝勤行を引き受けた、愛染堂(勝鬘院)の住職・山岡武明さんは語る。

「この寺町は都会の観光地にあり、信者さんの信仰心も厚い。その意味では恵まれているのですが、唯一、足踏みしているものがあった。それは、お経を読んだことも焼香をしたこともない方たちの前で、話をするという機会です。これまで、こうした人たちと地域のお寺とが接点を持つ機会はあまりなかった。その隙間を埋めるのが、『和空』本来の主旨だと私は考えています」

『和空』の宿泊者と接することで、自分自身の法話や話術も確実にレベルアップした、と山岡さんは言う。また、以前は夜に勤行を行っていたが、『和空』の宿泊者を受け入れるため、お勤めの時間を朝に変更。新たに声明や太鼓も加え、プログラムを再構成したという。

「夜中に1人でお勤めをしていた時は、15分程度ですませていたこともあります。でも、『和空』の宿泊者の方が来られるようになってからは、毎朝5時半に起きて仏器をせっせと磨き、線香やお供えにも一層、心を配るようになりました。
やはり、お勤めに参加してくださった方たちには感動を与えたいし、お寺ならではの魅力も知ってもらいたい。人に見られることが、お勤めのレベルアップにつながった。その意味では、『和空』に参加してよかったと思っています」(山岡さん)

(左)愛染堂(勝鬘院)の住職・山岡武明さん。(右)朝のお勤め風景(左)愛染堂(勝鬘院)の住職・山岡武明さん。(右)朝のお勤め風景

宿坊機能のアウトソーシングを担うことで、寺社と人々の絆を結び直す

現在、宿泊者の3割は外国人。その多くは中国・台湾からの団体客だが、欧米人の個人旅行者も徐々に増えているという。
「外国人の方は、写経の墨を摺るところから喜ばれますね。ロビーの茶器や部屋の畳、作務衣を着ることからお箸を使うことに至るまで、彼らにとってはすべてが“体験”なのです。感想を聞くと、どの国の人もきまって『アメイジング』とおっしゃいますね」(田代さん)

一方、インバウンドを期待する地元行政の期待も大きい。今年7月には、近鉄バスと天王寺区役所が共同で、松屋町筋を経由するバスの運行をスタート。『和空』の前にバス停も新設され、あべのハルカスや近鉄上本町駅と直結した。
「『和空』との関わりをきっかけに、お寺さんも変わり、お互いが刺激し合ってよいものを生み出す。そんな好循環が生まれています」と田代さん。現在、『和空 下寺町』に続き、全国各地で宿坊型ホテルの開業を計画中だという。

かつて宿坊は、神仏に帰依する人たちのための祈りの場であった。そして今、ユネスコ世界遺産となった高野山の宿坊が、生の仏教を体感できる場として外国人観光客に人気を博している。
『和空』プロジェクトは、本来、日本の宿坊が果たしてきた機能のアウトソーシングを担うことによって、寺社に観光客を呼び込み、寺社と人々との絆を結び直す試みといえる。この新しい”宿坊”の登場が、日本の寺社観光にどのような新風を吹き込むのか。今後の展開に注目したい。

夕食後の写仏体験。自分自身と向き合う静謐の時間が流れる夕食後の写仏体験。自分自身と向き合う静謐の時間が流れる

2017年 12月14日 11時03分