2012年、宗教都市・高野山に新感覚の格安宿がオープン

弘法大師によって開創された密教の聖地・高野山。その景観を他に並びなきものにしているのが、高野山真言宗総本山の金剛峯寺を中心とした寺院群だ。山内には今も113の寺院がひしめき合い、このうち52坊が宿坊(※)として参詣者を迎え入れている。

2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界文化遺産に登録され、外国人観光客の数が急増。2004年~2014年の10年間で、外国人観光客の数は1万530人から5万4511人へと5倍以上に増え、高野山は日本有数の国際観光地に成長した。

そんななか、開創以来の伝統を守ってきた高野山にも、新しい風が吹き始めている。その象徴ともいえるのが、2012年の『高野山ゲストハウス Kokuu』の開業だ。
ゲストハウスとは数千円で泊まれる素泊まりの格安宿。ドミトリー(相部屋)中心の客室の他にリビングダイニングなどの共用スペースがあり、宿泊者同士の交流が自然に生まれやすいのが特徴だ。

それにしても、宿坊が軒を連ねる高野山に、なぜゲストハウスを作ろうと考えたのか。Kokuuのオーナー、高井良知氏はこう語る。
「高野山の基本は、もちろん宿坊です。でも、高野山を訪れる人のすべてが宿坊に泊まれるわけではありません。なかには、『予算が足りないから宿坊には泊まれない』、『寺ではなく普通の宿に泊まりたい』という人もいますし、長期滞在を望む海外からのバックパッカーも少なくない。今まで高野山に泊まりたくても泊まれなかった、ニッチなお客さんを引き受ける受け皿になりたい。そう思ったのが、ゲストハウスを開業した理由です」

※宿坊:参詣者の宿泊施設を兼ねた寺院。

神殿のように柱が立ち並ぶ。左はバー、右はラウンジ。通路奥に客室がある神殿のように柱が立ち並ぶ。左はバー、右はラウンジ。通路奥に客室がある

「山小屋+カプセルホテル」をイメージさせる、温もりある空間

建物外観。周囲の景観に溶け込んでいる建物外観。周囲の景観に溶け込んでいる

Kokuuは、高野山の中心街からやや東に入った、「奥の院」近くの国道371号線沿いにある。
建物は木造平屋建てのシンプルな造り。外観は周囲の景観に溶け込み、注意しないと気づかないほどだ。
床面積は約96m2。この限られた空間の中に、客室とシャワー・トイレ、バーラウンジがコンパクトに収まっている。

とはいえ、インテリアは白を基調としているので、あまり狭さを感じさせない。建物の中心を1本の通路が通り、その両側にバーラウンジや客室が効率よく配されている。ヨーロッパの教会建築を思わせる天井の木組みと林立する柱が独特のリズムと諧調を生み、開放感を感じさせる造りとなっている。

客室はカプセルタイプ8室(定員8名)とダブルベッドルーム1室(定員2名)、ダブルベッド&ロフトベッドルーム1室(定員3名)の3タイプ。1泊1万円前後の宿坊が相場の高野山にあって、1泊3500円からという格安料金で泊まれる手軽さは魅力だ。
木の温もりを感じさせる屋内は、山小屋とカプセルホテルを足して2で割ったようなイメージ。その斬新な建築デザインが注目され、雑誌『新建築』やイタリアの建築専門誌『domus(ドムス)』のWebサイトでも紹介された。その影響か、建物を目当てに訪れる宿泊客も少なくないという。

Kokuuのオーナー・高井良知さんは高野山出まれ。高野山真言宗の僧侶を父・兄・祖父に持つ、生粋の高野山っ子だ。そんな高井さんが山内にゲストハウスを作ることを思いついたのは、大阪のネット通販会社を退職し、インド旅行に出かけたのがきっかけだった。

ローコストでゼロから新築。SNSで世界に情報発信

カプセルタイプの客室。中は意外に広々としているカプセルタイプの客室。中は意外に広々としている

インドで外国人向けゲストハウスを泊り歩いていた時、高井さんはふと、「高野山にはバックパッカーが泊まれる宿がない」ことに気づいた。世界遺産登録後、高野山を訪れる外国人観光客の数は目に見えて増えているという。料金が割安なゲストハウスを山内に作れば、長期で滞在したい旅行者にもゆったりとした時間を過ごしてもらえるのではないか。ロンドン留学で磨いた語学力を生かして、世界中から高野山を訪れる旅人のためのゲストハウスを作ろう――。
高井さんは、アイデアを実現するべく動き出した。

手始めに、奥の院の近くにある築50年の古民家付きの土地を購入。紹介された数社の建築設計事務所の中から、竹口建太郎氏と山本麻子氏が主宰する京都のアルファヴィルに設計を依頼することにした。
「竹口さんだけが、改築ではなくローコストでゼロから新築することを提案してくれたんです。最終的に決め手となったのは、『やるんやったら、高野山の名所にしましょう』という竹口さんの一言でした」

ゲストハウスの名称は、仏教用語で「空間」や「青空」を意味するKokuu(虚空)と決めた。東日本大震災の影響で着工は1年以上遅れたが、2012年夏に工事を開始。『高野山ゲストハウスKokuu』がオープンしたのは、その年の10月のことだ。

開業後は得意の英語を駆使し、フェイスブックやツイッターなどで情報を発信。宿泊客のブログやSNSを通じて一気に口コミが広がり、Kokuuは世界最大の発行部数を誇る旅行ガイドブック『ロンリープラネット』でも紹介された。「オープン以来、広告を出したことは一度もない」という高井さん。現在、宿泊客の8割は欧米人。特にヨーロッパからの旅行者が多いという。

“布教活動”の拠点として、高野山の魅力を世界に発信したい

Kokuuオーナーの高井夫妻。ホスピタリティあふれるおもてなしが外国人に好評Kokuuオーナーの高井夫妻。ホスピタリティあふれるおもてなしが外国人に好評

とはいうものの、高井さんがKokuuを作ったのは、ビジネスだけが目的ではない。根底にあるのは、「自分の生まれ故郷であり、誇りでもある高野山を、世界中の人に知ってもらいたい」という思いだという。

その表れが、宿泊客1人ひとりのニーズに応えたきめ細かい“コンシェルジュ・サービス“だ。
たとえば、相手が「高野山は初めて」という人なら、地図を片手に15分ほど山内を案内。コンビニの場所から交通機関の乗り継ぎ方法に至るまで、懇切丁寧にアドバイスする。
また、Kokuuのバーで軽食を用意するだけでなく、希望者には近所のレストランを紹介。各店舗に英語メニューを置いてもらい、地域と役割分担しながら外国人客をもてなすのがKokuu流だ。

「最初は『そんなん無理や』と言っていた近所のとんかつ屋のおばちゃんも、今では英会話を習いに行っています。外国人旅行者にとって、Kokuuの存在が、高野山を訪れるひとつのきっかけになれば。お坊さんの布教とは違った意味で、高野山の魅力を世界中の人に伝える自分なりの“布教活動”ができたらいいな、と思っています」(高井さん)

その一環として、高井さんは宿泊客に対し、機会あるごとに高野山の伝統を紹介している。
「たとえば、高野山には入定(にゅうじょう)信仰といって、弘法大師が今も奥の院で瞑想しているという信仰がある、弘法大師御廟では、お大師さんにお食事を運ぶ行事が1000年以上にわたって続けられている……というような話をさせていただくわけです。
また、奥の院の燈籠堂では毎朝6時半と10時から朝のお勤めがあるので、お客様に参加をお勧めしています。外国人のお客さんは、けっこう早起きして行かれますよ」

革新的な“お大師さんスピリッツ”を受け継ぎ、一気に世界と直結

館内のバーは情報交換と交流の場。世界中から集まった旅行者が話に花を咲かせる館内のバーは情報交換と交流の場。世界中から集まった旅行者が話に花を咲かせる

高井さんには、今、秘かに温めているプランがあるという。それは、Kokuuに泊まった外国人を、高野山周辺の“限界集落”に案内することだ。

「昔、高野山では農作物を作ることを禁じられていたので、周りの集落から作物を納めてもらっていた。そうやって高野山を支えてきた集落にも、お客さんを案内できたらな、と考えています。
外国人って、なんてことない風景に感動したりするんです。地元の人との会話とか、山道とか、のんびりした牧歌的な風景とか。雨がほとんど降らない米国ニューメキシコ州から来た方は、『昨夜は一晩中雨が降っていたから、興奮して眠れなかった』と言っていました。旅先で心に残ることって、案外そんなことなのかもしれません」

伝統と格式を誇る宿坊寺院が並ぶ高野山に、忽然と現れたゲストハウスKokuu。その存在は一見、異色に映る。だが、「Kokuuや自分が異色の存在だとは思っていない」と、高井さんは言う。

「弘法大師はひらがなの原型を作ったり、日本で初めて一般の人にも開かれた綜合種智院という学校を作ったりと、新しいことに挑戦し続けた人。お大師さん自体が異色の人で、いろいろな革命を起こした人だと思うんです。そういう意味では、自分は異色の存在ではない。“お大師さんスピリッツ”を受け継いでいるんちゃうか、と思っています」

伝統と革新を交互に繰り返し、1200年間法統を伝えてきたのが高野山であるならば、その連綿たる血脈の中で、一気呵成に世界と直結したKokuuもまた、高野山の周縁で伝統を支える役割を果たしている。
歴史と文化遺産を継承しつつ、観光化と国際化の流れにいかに対応していくか。Kokuuの試みは、その問いに対するひとつの解といえるかもしれない。

2015年 10月18日 11時00分