宗教都市から国際観光地へ。転換期を迎えた高野山

開創1200年を迎えた高野山真言宗総本山金剛峯寺。写真は壇上伽藍の根本大塔開創1200年を迎えた高野山真言宗総本山金剛峯寺。写真は壇上伽藍の根本大塔

今秋、あるニュースが世間の耳目を集めた。楽天が旅行予約サイト「楽天トラベル」利用者のシルバーウィークの宿泊予約数を集計し、前年に対する伸び率を比較したところ、なんと和歌山県が全国1位に輝いたのだ。伸び率は前年同期比で615.8%増。実に、前年の7倍もの観光客が和歌山を訪れた計算になる。

この空前の和歌山観光ブームを牽引したのが、開創1200年というメモリアルイヤーを迎えた高野山である。県の統計によれば、戦後に高野山への来訪者数が急増したのは1960年代。きっかけの1つとなったのが、1960年の高野山有料道路の開通だった。その前年の来訪者数は49万人だったが、開通の翌年には74万人へと急増。高野山開創1150年記念法会が行われた1965年には130万人を突破し、弘法大師御入定1150年遠忌にあたる1984年には184万人と、(集計開始以降)過去最高の人出を記録した。高野町産業観光課の課長補佐兼観光振興係長・茶原敏輝氏はこう語る。

「最近では、高野山が世界遺産に登録された2004年が、入込客(※)数146万人と1つのピークになっています。今年も開創1200年ということで、1984年を超える数字が出てくるかもしれない。やはり、大きな節目の法要がある年は、全国から多くの参拝者や観光客が来られる傾向にありますね」

筆者が高野山を初めて訪れたのは、今から20年前。当時の高野山は、東日本では”知る人ぞ知る”存在で、山内は静寂と厳粛な空気に包まれ、別世界のような”秘境”の趣きがあった。
その後、2004年の世界遺産登録に続いて、2009年にはミシュランのグリーンガイド日本版でも最高ランクの3つ星を獲得。今では、高野山は日本を代表する国際観光地となり、観光立国日本のインバウンドを先導する存在となっている。
僧侶や信徒を中心とする宗教都市から、外国人観光客であふれる国際観光地へ――高野山は、まさに開創以来ともいえる未曾有の変化のさなかにある。その変化は、高野山に何をもたらそうとしているのか。

※入込客:その地域を訪れた来訪客のこと。信徒や参拝者、観光客などを含む。

町のほとんどが金剛峯寺の境内という”寺内町”

高野町役場・産業観光課の茶原敏輝さん高野町役場・産業観光課の茶原敏輝さん

高野山は標高約850mの高地にあり、和歌山県伊都郡高野町の中心をなす山上の集落である。高野山に居住する2500余人のうち、僧侶の数は約700人。実に人口の3割近くが僧侶という、文字通りの宗教都市である。

「高野山の町の最大の特徴は、門前町ではなく“寺内町”であるという点にあります。つまり、町全体が高野山真言宗総本山金剛峯寺の境内で、個人の私有地はごく限られている。この高野町役場も、金剛峯寺から境内の土地をお借りして庁舎を立てているような状況です」

高野山の開創は平安初期にさかのぼる。弘法大師空海は弘仁7(816)年に勅許を得て、高野山に修禅道場を建立。高野山は仏の浄土と信じられ、貴族や武士は競って堂塔寺院を建立した。最盛期には堂舎の数は2000を数え、高野山は弘法大師信仰の聖地として空前の繁栄を誇った。今も金剛峯寺の境内には117の子院と52の宿坊寺院(※)があり、山上の宗教都市として独特の偉観を誇っている。

「高野山では、お大師様が今も奥之院で修行を続けているといわれています。世界遺産登録後は“観光”という部分も出てきたとはいえ、高野山は本来、“参拝の町”。高野山真言宗の総本山である金剛峯寺を目指して、全国3600の末寺から参拝者が集まり、1年を通して団体参拝が繰り返される。それが高野山という町の本来の姿なのです」

※宿坊寺院:参拝者のための宿泊施設を持つ寺院

参拝者の減少で、外国人観光客が救世主に

朝の勤行後、床の間の書を見ながら精進料理をいただく。ヨーロッパ人観光客を喜ばせるのは、こうした異文化体験だ朝の勤行後、床の間の書を見ながら精進料理をいただく。ヨーロッパ人観光客を喜ばせるのは、こうした異文化体験だ

世界遺産登録を追い風に、関西有数の観光地に成長した高野山だが、悩みがないわけではない。それは、日帰り客の増加にともなう宿泊客の減少だ。過去50年間の推移をみると、宿泊客数が92万人とピークに達した1973年を境に宿泊客は減り続け、世界遺産登録の2004年には37万人、2014年には27万人と減少の一途をたどっている。茶原氏はこう語る。

「宿泊客が減っている最大の理由は、入込客のベースとなる信者さんが減っていることにあります。かつては4200を数えた金剛峯寺の末寺も3600に減り、信者さんの高齢化も進んでいる。その結果、宿坊に宿泊して参拝する人が減り、日帰りする人が増えているのです。宿泊客の減少は観光収入の減少にも直結する。高野山にとっては大きな問題です」

日本人の死生観や信仰のあり方が変わり、宗門や檀家寺とのつながりも希薄化している。若い世代の宗教離れが進み、高野山の繁栄を支えてきた弘法大師信仰も、昔日の勢いを失いつつある。

一方で、参拝者の減少を埋め合わせるかのように、「外国人観光客」が急増している。
世界遺産になった2004年に高野山を訪れた外国人の数は1万人。それが、10年後の2014年には5万5000人まで増えた。現在、山内の宿坊に泊まる人の4、5人に1人は外国人。その多くがヨーロッパからの個人客であり、最も多いのがフランス人だ。

では、ヨーロッパ人観光客は、なぜ高野山に惹きつけられるのか。それは、日欧ともに根底に宗教の基盤があること、「巡礼の文化」が根付いていること、異文化に対する関心が高いことなど、いくつかの理由が考えられる、と茶原氏は言う。密教の奥義を伝えてきた聖地ならではの、荘厳で謎めいた雰囲気と高い精神性。それが、神秘を求めてやまない外国人を魅了するのだろう。

外国人受け入れで、宿坊の対応が二極化

「高野山らしい景観」を取り戻すため、山内の電線・電柱を地中化「高野山らしい景観」を取り戻すため、山内の電線・電柱を地中化

もちろん、高野町もただ手をこまねいて、外国人の来訪を眺めていたわけではない。
世界遺産登録後の2008年、高野町は独自の景観条例を施行。寺院を中心とした「高野山らしい景観」を守るため、商店街のファサードの整備を行った。また、電線・電柱の地中化や道路整備にも取り組み、散歩が楽しめるようなまちづくりを推進。さらに、日本語と英語を併記した案内板や洋式トイレ、Wi-Fi環境を整備するなど、外国人観光客受け入れのための対策を進めてきた。

こうした中、来訪者を迎える宿坊寺院にも変化が見え始めている。外国人の受け入れに積極的な宿坊と、それ以外の宿坊との間で二極化が進行しているのだ。

「外国人の受け入れをせず、旅行会社と組んで団体パッケージツアーに力を入れる宿坊もありますが、ツアーの申し込みが少なければキャンセルになる可能性もある。一方、個人客を受け入れれば、それだけ手間数も増える。ましてや外国人を受け入れるとなれば、大変な手間暇やコストがかかります。それでも、個人客や外国人を受け入れている宿坊は、お客さんも増えているように思います。外国人のお客さんは、オフシーズンの冬も多いですから」

現在、外国人の受け入れに積極的な宿坊は10数件。こうした宿坊では、英語表記やWi-Fi環境を充実させ、インターネット宿泊予約に対応するなど、さまざまな環境整備を行っている。

インバウンドなくしては存立できない時代が到来しつつある

外国人向けに英語表記を充実させる宿坊も増えてきた外国人向けに英語表記を充実させる宿坊も増えてきた

たとえば恵光院では、奥之院に近いという地の利を活かして、外国人向けの「奥之院ナイトツアー」を実施。阿字観瞑想体験を行ったり、朝の勤行に護摩行を加えたりと、体験型プログラムの充実に努めている。また、無量光院では、スイス人僧侶のクルド師が「YOKOSO! JAPAN大使」として活躍中。蓮華定院は、住職のご母堂が英語に堪能なことから、外国人の受け入れを一手に引き受けてきたパイオニア的存在だ。
こうした宿坊は、参拝客の減少に悩む高野山にとっては、まさに“希望の星”。茶原氏はこう語る。

「参拝客が減っているのは、高野山や日本の霊山に限った話ではない。それは、キリスト教も含めて全世界的な傾向であり、右から左に解決される問題ではない。それを食い止めるための特効薬はまだありませんが、若い女性をターゲットにしたり、高野山1200年の歴史と伝統文化を活用したりすることで、なんとか落ち込みを減らしていきたい。ただし、国内の宿泊客を増やすにはまだ時間がかかると思います。その意味でも、外国人に下支えしてもらうことを期待したいですね」

世界遺産というブランド力を誇る高野山でも、信者の減少はボディブローのように効き始めている。宿泊客がこのまま減り続ければ、宿坊寺院は維持できなくなり、やがては高野山の伝統的な景観が失われるのではないかと危惧する声もある。それを食い止めるためには、「いかに宿泊客を増やすか」が鍵となる。1200年の仏都・高野山もインバウンドなくしては存立できなくなる時代が、もうそこまで来ているのだ。

一方で、高野山では、建物の老朽化や観光客の急増にともなう問題も浮上している。今、高野山ではどのような課題を抱え、どのような対策を講じているのか。次回は、その点についてもう少し掘り下げてみたい。(つづく)

2016年 02月04日 11時06分