洗足池の坂の上にある良好な住宅地

上池台から雪が谷の家並み上池台から雪が谷の家並み

東京・大森の新井宿から田無街道を北馬込まで歩いた後、方向を変えて、上池台や雪谷方面を探索することにした。
上池台の開発については詳しい資料がないが、大田区の資料によると、大正13年から昭和4年にかけて洗足駅近くの千束地域で、また大正15年から昭和12年にかけて洗足池近くの池上西部において、それぞれ耕地整理が行われているので、おそらく上池台の開発も、この頃行われたものと思われる。
 
上池台は、洗足池(トップの写真)の南東側の一帯であるが、馬込や山王と同様、起伏の多い地形である。地元の人しか知らないと思うが、小池という池もあり、小池の周辺は土地が低く、低地には庶民的な家が並ぶ。数年前までは銭湯もあった。
低地から四方に長い坂があり、坂の上に良好な住宅地が形成されている。新井宿の臼田坂あたりと比べると、古い屋敷、豪邸というのものは少なく(もちろんかなり建て替わったせいもあるが)、昭和の中流住宅地という雰囲気がするので、私としては少し身近に感じる。

同潤会の分譲住宅地が3つある

東急池上線洗足池駅のすぐ南東は、三井信託が開発した住宅地だそうで、そこから小池方面に下り、また上っていくと、同潤会が1931年に分譲した勤め人向け住宅25戸のある「洗足台第一分譲住宅地」がある。数年前までは1軒だけ分譲時のままの家があったが、今回はもう建て替わっていた。ただし敷地は分割されていないように思われた。

そこから西に向かって坂を下ると、洗足池から流れてくる「洗足流れ」という小川があり、最後は呑川に合流する。洗足流れはビオトープのようになっており、魚やホタルが育つように工夫されているという。

そこからまた坂を上り、荏原病院のあたりに着くと、雪が谷に「洗足台第二分譲住宅地」がある。1932年分譲、36戸であり、最寄り駅は石川台である。ここは1軒だけまだ分譲時のままの家があった。手入れがよくされており、きれいな状態である。

雪谷大塚駅近くの同潤会分譲住宅地には紅葉の並木道がある雪谷大塚駅近くの同潤会分譲住宅地には紅葉の並木道がある

さらに西に向かうと崖である。そこから多摩川や富士山が一望できたはずである。今は建物が多いので多摩川は見えない。その代わりに武蔵小杉のタワーマンション街が見える。

崖を階段で下ると、呑川沿いの低地である。呑川沿いには銭湯・明神湯がある。ここは破風の透かし彫りで有名。今回は入湯しなかったが、以前入湯したときは、脱衣所と風呂場の間の戸がまだ木製であった。今もそうだろうか。

しばらく歩くとまた上り坂である。雪谷大塚駅方面に向かって上ると、また同潤会の住宅地がある。1933年、31戸が分譲された「雪が谷分譲住宅地」である。
赤羽の勤め人向け分譲住宅地や西荻の普通住宅地では桜並木があるが、雪が谷は紅葉の並木である。住宅はおそらくほぼすべて建て替わっているが、並木道は見事に残っている。住宅地探訪で疲れた体を並木道が癒やしてくれる。

同潤会分譲住宅地の条件

ついでに言えば、上池台から北東方向の大井町線荏原町駅南側には同潤会の「普通住宅地」、そのさらに北の池上線荏原中延駅の北西、山王の高台から西側に下りた横須賀線のガード下あたりにも「普通住宅地」が存在した。

普通住宅とは「大正末期から昭和前期に公共住宅として一般に用いられた長屋形式の集合住宅の呼称」であり、「庶民の住宅」として「当時としては「普通」の居住様式であった」らしい(佐藤滋『集合住宅団地の変遷』)。

同潤会では震災直後に造った仮住宅(今で言う仮設住宅のこと)、鉄筋コンクリートのアパートなどと区別するために普通住宅という用語を用いた。今で言うメゾネットのようなもので、1つの建物に2世帯から6世帯が入居するように造られた。商店向けの土間を持った2階建の普通長屋形式もあった。

また、現・大田区千鳥町には、「職工向け分譲住宅地」もあるし、都立大学駅近くには勤め人向け分譲住宅地があった。もちろん代官山にはアパートがあった。このように同潤会の多様な住宅地やアパートが、旧・荏原郡の東急各線沿線に造られたのである。

先進的な住宅づくり

住宅そのものについては、「清楚なる木造瓦葺(かわらぶき)和風を主と」し、平屋と2階建てがあり、延床面積は最大35坪、敷地は建坪(建築面積)の3倍以上を標準として、将来増築できるようにすること。

間取りは3〜5室、子ども室あるいはサンルームに利用できる広縁があることが条件であった。今では当然だが当時は子どもを健康な環境で育てることが重視され始めた時代だった。

また、東南の陽光を多く採り入れ、かつ通風を妨げぬように敷地の西北に寄せて建物を配置し、また各住戸相互の配置も、陽光と通風の観点から配置すること、台所付近には特に物干し場、物置のための空き地を用意することなどが条件とされた。

つまり、風通しの良い、さわやかな土地に、日当たりの良い家があり、そこで子どもを含めた家族が健康的に暮らせる住宅というものが求められたのだ。わかりやすく言えば、サザエさんの家のようなものが標準だったといえるのではないだろうか。

上池台の崖からは武蔵小杉が見える上池台の崖からは武蔵小杉が見える

一戸一戸が少しずつ違うことで真にすばらしい街並み、家並みが形成される

また同潤会は、同じような家がずらずらと並んだ住宅地を望んではいなかった。似通った住宅を多数建設することにより、単調に陥らないように、道路から建物までの距離が長かったり短かったり、門と玄関の位置をずらしたりして変化を与えた。

玄関の位置を変え、屋根の形にも変化をつけ、敷地内における建物の位置にも変化を持たせた。高度成長期に造られた団地のように、同じ間取りの同じ形の家が同じ間隔で並んでいるような住宅地ではなく、一定のコードに従いながらも、平屋と2階建てがあったり、屋根のデザインがちょっと違ったり、門から玄関までのアプローチが違っていたりと、一戸一戸が少しずつ違う、そうであることによって真にすばらしい街並み、家並みが形成されるという思想が同潤会にはあったのである。

上池台の同潤会洗足第一分譲住宅地の配置図。道路から建物までの距離がいろいろで、門と玄関の位置をずらして単調さを避けた上池台の同潤会洗足第一分譲住宅地の配置図。道路から建物までの距離がいろいろで、門と玄関の位置をずらして単調さを避けた

2021年 03月03日 11時00分