架空の路地にできた、江戸時代の絢爛な景観をモチーフにした空間

旅館の名前は「Nazuna 京都 椿通(つばきどおり)」。椿通と付けられてはいるが、京都に実際に存在する通りではない。一つの建物の各フロアにいくつかの客室が入っているといった一般的な旅館でもない。路地に並ぶ全23の京町家が、それぞれ客室となっているのだ。

2020年6月に開業したこの旅館が位置するのは京都市中京区。京都河原町と大阪梅田を結ぶ阪急京都線の沿線上の「大宮」駅から徒歩7分ほどのところにある一角。もとは築110年以上の町家が立ち並んでいた1400m2のL字形の路地だ。この路地一帯をそのまま生かし、さらに町家を取り壊すことなくリノベーションして客室としたのが、「Nazuna 京都 椿通」の最大の特徴である。

大きなテーマは、歴史文化に沿った景観保全を意識し新たな路地を創造、次世代に継承すること。

「椿通」の「TSUBAKI」は、椿の花言葉である「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」が宿の想いと重なっていることから選ばれた。また、「TSUBAKI」が、外国人が好きな花の発音としても認知されていたことも決め手の一つとなっている「椿通」の「TSUBAKI」は、椿の花言葉である「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」が宿の想いと重なっていることから選ばれた。また、「TSUBAKI」が、外国人が好きな花の発音としても認知されていたことも決め手の一つとなっている

空間を切り替えることで、日常から非日常へ

上/レセプション棟フロント横にある石庭。キャスター付きのトランクでも移動しやすいよう、植栽や砂利を使わずフラットな自然石とシンボルの岩で構成されている。設計者は、東福寺(京都市)の方丈庭園などを手掛けた重森三玲さんを祖父に持つ作庭家・重森千靑さん 左下/門と柳がシンボルの「Nazuna 京都 椿通」入り口。レセプション棟の瓦の
上には、京都の町家でよく見かける魔除けの“鍾馗さん”の姿も 右下/株式会社Kirakuのサンドバーグ弘さん(右)と山野恭稔さん
上/レセプション棟フロント横にある石庭。キャスター付きのトランクでも移動しやすいよう、植栽や砂利を使わずフラットな自然石とシンボルの岩で構成されている。設計者は、東福寺(京都市)の方丈庭園などを手掛けた重森三玲さんを祖父に持つ作庭家・重森千靑さん 左下/門と柳がシンボルの「Nazuna 京都 椿通」入り口。レセプション棟の瓦の 上には、京都の町家でよく見かける魔除けの“鍾馗さん”の姿も 右下/株式会社Kirakuのサンドバーグ弘さん(右)と山野恭稔さん

「まずは、外の通りから建物を見てみましょう」
この旅館の企画・マネージメントを行う株式会社Kirakuの代表取締役・サンドバーグ弘さんと同社の山野恭稔さんが案内してくれたのは、ホテルの顔ともいえる正面入り口。門と大きな柳が目を引く。

「江戸時代の花街などでは、空間の切り替えとして出入り口に黒門を設けていたそうで、そこから着想を得ました。柳は同じく出入り口付近に植えられることが多く、訪れた人がここで後ろ髪をひかれる思いで振り返ることから、“見返り柳”と呼ばれています」
ここから既に「Nazuna 京都 椿通」の世界観は始まっているのだ。

柳の横を過ぎ、建物の中へと入る。フロントやラウンジ、レストランがある茶屋をモチーフにした2階建てのレセプション棟だ。照明が控えめな小路から2階のラウンジに進むと、今度はまた異なる景色が広がっていた。椿柄のカーペットが敷かれ、テーブルとソファが配置されたラグジュアリーなスペースである。

「空間づくりで意識したのは、ギャップ。入り口で現代の住宅街から京都らしいしっとりとした雰囲気を感じていただくことで、日常から非日常へと誘います。小路でより気持ちを高めたところで、あえてモダンな空間へと転換する。空間を切り替えることは、気持ちの切り替えにつながります。レセプション棟を出て次に向かうのは、客室が並ぶ昔ながらの雰囲気が広がる路地。ここに足を踏み入れたときに、また歴史的な景観に触れることでギャップを感じてもらおうという狙いです」

5タイプある部屋は京都を語る上で建物と並んで重要な「自然美」がモチーフ

レセプション棟を出た私たちの目の前に現れたのは 、しっとりとした風情の路地。石畳には提灯や行灯が置かれ、軒先では水引きのれんが風に揺れている。通りの両側に並ぶ2階建ての客室一つ一つが1戸の町家で、110年以上も前から人々の営みの場だったと思うと不思議な気分になる。

部屋は「水」「葉」「花」「岩」「竹」の5タイプ。路地や町家といった有形文化を生かすだけではなく、京都を語るうえで欠かせない自然(無形文化)も大切にしたいと、これらのモチーフが決められた。それぞれの部屋ではモチーフに沿ったアートワークや調度品が飾られていたり、空間演出が施されている。例えば「竹」の部屋。1階リビングの壁面には京都の竹を使用し、さらに京都の竹の風景を切り取ったアート作品が置かれている。2階の寝室にも竹が多用され、壁面に貼られた和紙は竹柄という具合だ。

「室内はモダンなテイストで統一しました。路地から中に入ると、また違う空間が広がっている。ここでも空間のギャップ、気持ちの切り替えを意識しています」(山野さん)

左上/「岩」1階の寝室。正面の壁に飾られている岩は、現場解体時に出てきた石柱を利用したQe to Hareのアート作品 右上/「竹」1階のリビング。壁面に並ぶ竹は京都の竹職人が組み上げた 左下/路地の入り口には石柱が立ち、雰囲気づくりに一役かっている。石柱に掘られた「椿通」という文字は、「Nazuna 京都 椿通」の向かいに建つ西住寺の住職の手によるもの 下中央/提灯には各客室タイプのモチーフが施されている。写真は「葉」 右下/客室の前にはこの路地の番地が書かれた表札が。ルームナンバーではないところがユニークだ

左上/「岩」1階の寝室。正面の壁に飾られている岩は、現場解体時に出てきた石柱を利用したQe to Hareのアート作品 右上/「竹」1階のリビング。壁面に並ぶ竹は京都の竹職人が組み上げた 左下/路地の入り口には石柱が立ち、雰囲気づくりに一役かっている。石柱に掘られた「椿通」という文字は、「Nazuna 京都 椿通」の向かいに建つ西住寺の住職の手によるもの 下中央/提灯には各客室タイプのモチーフが施されている。写真は「葉」 右下/客室の前にはこの路地の番地が書かれた表札が。ルームナンバーではないところがユニークだ

町家は取り壊される寸前、新築ホテル建設の話も進んでいた

町家改修時の壁面の様子町家改修時の壁面の様子

サンドバーグさんが、この土地と出合ったのは2018年ごろ。その当時、ここに並ぶ町家群を取り壊し、跡地にホテルを建てるという計画が既に持ち上がっている段階だった。

「これほどまとまった路地案件は、あまり出てきません。京都駅まではタクシーで約8分、祇園へも15分ほどと宿泊施設にするには問題のない場所だと思いましたし、もともとある素材を生かし、路地に住むように泊まるというテーマにすれば面白くなるはず。この景観を残したいと、京都市が応援してくれたのも後押しになりました」
(サンドバーグさん)

「一度解体してしまうと、今の法律上、同じものをつくることはできません。そこに私たちは価値を見いだしたんです」(山野さん)

物件としての希少価値はもちろんだが、2人の心をつかんだのは路地の風景そのものだった。
「なくしてしまうのはもったいないと思ったんです。ヨーロッパが古い町並みを大切にするように、この京都でも2度とつくれない景観を守ることはベターな選択だろうと考えました」(サンドバーグさん)

路地再生、景観保全という二つの意味合いを持つ「Nazuna 京都 椿通」のプロジェクトはスタートした。

路地活用の事例としての側面も

最初に述べたように、ここは“架空の路地”。路地を生かして、旅行者、特に外国人が憧れる景観をつくり上げるという目的があった。そのために、ディスカッションや調査を重ねて京都らしさ、日本らしさを追求していったそう。客室の軒先にかけられた水引のれんや路地に置かれた行灯なども、こうしたリサーチの結果、採用されたものだ。

「路地を演出するアイテムは、椿通ならではのクリエイション。例えば行灯や提灯には、客室のモチーフである『花』や『竹』をデザインするなど。昔ながらという点を大切にしながら、そこに“創る=クリエイション”を加えることで、新しく、そして次世代につなげられる景観再生をしたという意識を持っています」と山野さんは話す。

地方創生の一つの例になればという思いもあるそうだ。

「日本には、すてきな路地がたくさん残っています。日本各地の方々が自分たちの地域の路地活用を考える際に、椿通を見て『こういう使い方もある』という気付きにしていただければ、このプロジェクトの意義ももっと高まります」(山野さん)

地域資産を活用した事例としての意味も持つ「Nazuna 京都 椿通」。残す、戻す、創る。路地の中には、さまざまなエッセンスが詰まっている。

夜になると提灯や行灯の明かりがともり、雰囲気を変える路地。本物のまちの一角を歩いているような気分になれる。路地演出や客室デザインなどは、株式会社乃村工藝社が手掛けた。この路地にもレストランが1軒。駐車場だったスペースを活用したそうだ夜になると提灯や行灯の明かりがともり、雰囲気を変える路地。本物のまちの一角を歩いているような気分になれる。路地演出や客室デザインなどは、株式会社乃村工藝社が手掛けた。この路地にもレストランが1軒。駐車場だったスペースを活用したそうだ

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