ソニーの情報発信基地として、50年前に誕生したソニービル

数寄屋交差点に建つソニービル。ソニーブランドの発信基地として、またよりすぐった逸品を一堂に集めて世に知らせることで、数寄屋橋を銀座の中心にふさわしい場所へと変貌させるのに大きく貢献した数寄屋交差点に建つソニービル。ソニーブランドの発信基地として、またよりすぐった逸品を一堂に集めて世に知らせることで、数寄屋橋を銀座の中心にふさわしい場所へと変貌させるのに大きく貢献した

1966年4月29日、創業者の一人である盛田昭夫氏の「東京・銀座の玄関として、ソニー本来のショールームと共に、より有意義な建物を建設すべき」との考えに基づき開業したソニービル。晴海通りと外堀通りが交差する数寄屋橋に建つ、銀座の顔のひとつと言っても過言ではない歴史を持つビルだ。このソニービルが、2017年3月31日をもって営業を終了、2022年に新ソニービルとして生まれ変わる。

まずソニービルについて簡単に紹介しよう。
ソニービルは、総合的なショールームビルという当時の日本ではまだ珍しい施設として誕生し、以降様々な情報を発信してきた。ソニービルの構造として有名なのが、建築家・芦原義信氏が生み出した「花びら構造」。地上の普通階を「田」の字型にし、いずれも100m2につくられたフロアの高さを90cmずつずらすことで、1階から7階までを連続したひとつの空間にしている。エレベーターで8階まで上がり階段を下ってくれば、ビルの中でゆったりと「縦の銀ぶら」を楽しめる。

数寄屋橋交差点に面した敷地の角に「ソニースクエア」と呼ばれる10坪程度の屋外公共広場を設けているのも特徴だ。通常、交差点に面した敷地の角部分はビルへの出入口をつくるもの。しかしソニービルは、この小さな庭で季節を感じる装飾展示のほか新商品のプロモーションなど様々なイベントやキャンペーンを展開。ビルが立ち並ぶ都市空間の中に「日本一贅沢な庭」を設け、銀座の街に潤いを与えてきた。

それでは、建て替えの理由などについて詳しく紹介しよう。

事業の多角化に伴い、グループ全体の情報発信の場にするために建て替えを決断

建築中、1965年当時の写真。事業内容が50年前と大きく様変わりしたことが、建て替えの大きな要因となった建築中、1965年当時の写真。事業内容が50年前と大きく様変わりしたことが、建て替えの大きな要因となった

50年という長い間、銀座を見守り、親しまれてきたソニービル。いよいよ来年3月に閉館し、建て替えられるのは先に述べた通り。

「老朽化や耐震工事の必要性が建て替えの理由ではありません。ソニーの事業内容とブランド発信力を考えた時に、このビルを刷新した方が当社にも、世の中的にもより効果的なのではないかという結論に至り、建て替えをすることになりました」と語るのは、ソニー企業株式会社 代表取締役社長 菅原健一さん。

「今回の建て替えは、ソニービルが建てられた50年前と比べ、当社の事業内容が大きく変わっていることが大きな理由です。開館した1966年当時、当社の事業はエレクトロニクス分野しかありませんでした。しかし、現在は音楽や映画などのエンターテインメント、金融、不動産などの事業も行っており、50年前と事業内容が様変わりしています。50年前、創業者のひとりである盛田がソニービルを建てたのは、ソニーの情報発信基地にしたかったからです。50年後の現在、様々な事業を行うソニーグループ全体の情報発信ができる場になっているかどうかというと、必ずしもそうではないということです。例えば音楽のライブを行いたいと考えた時にはスペースや防音設備の問題が出てきますし、シアター的な使い方をしたくても、天井高の問題などが出てきます。ソニーの情報発信基地というコンセプトは昔と変わっていないのですが、箱(ビル)自体が事業内容に追いついていないのが現状なのです」と話すのは、ソニー株式会社 GSPプロジェクト室 室長 永野大輔さん。

今年はソニー創立70周年、ソニービル開館50周年という節目の年。このタイミングに合わせて今回のプロジェクトの発表を行ったそうだ。

銀座の一等地をパークにするという大胆な発想。その理由は?

ビルの解体後、通常は即座に工事に取り掛かり、囲いが取れたら新しいビルがお目見えし、すぐにオープンするのが通常のスタイル。しかし今回の建て替えでは、2020年秋まではソニービル跡地をフラットな空間「銀座ソニーパーク」として活用。ソニービル設立当初から続く公共スペース(ソニースクエア)の考え方をさらに拡大し、2020年の東京オリンピックに向けてさらなる盛り上がりが期待される銀座に魅力ある空間をつくり出す予定だ。

銀座の中でも一等地といえるこの場所を、公園として開放する理由は何だろうか?
「建て替え計画は3年ほど前にスタートしました。重視したのは、ソニーらしく建て替えたいということ。同時に、新しいソニービルがブランドや情報発信の拠点となり、ブランド価値を向上させるために、世間の注目を集めることの重要性も感じていました。それではソニーらしく、お客様に感動や驚きをもたらすような建て替え方はどんな方法だろう? 新しいこの場所のあり方はどんなだろうと模索する中で、『パーク』という案が出てきたのです」と永野さん。

東京オリンピックに向けて街の新陳代謝が活発化する中、ビルを新しくしても注目度が高くなることはない。
「建て替え自体のプロセスを興味深いものにすることによって、銀座の街、東京の街自体を面白くできるというか、『こんな建て替え方法があったんだ』という新しい提案ができるのではないかとも考えました。さらに、銀座への50年の感謝を込めて、パークという空間をつくることになりました」(永野さん)

パークをつくるという案には、ヒントがあったと言う。
「盛田がソニービルを建てた50年前、交差点の角の部分を三角形に切り取って公共スペースにするなど、街に開かれた建物にしたいというコンセプトを持っていました。盛田はその場所を『銀座の庭』と呼んでいたのですが、いわゆる銀座の一等地をオープンスペースにして、銀座の街に開かれたスペースをつくりたい、開かれた施設でありたいという思いを持っていました。当時の盛田の思いも、パークにしようとした理由のひとつです」(永野さん)

「銀座ソニーパーク」の立地イメージ。地上部分はイベントスペースとして開放するなど自由に使える。</br>都心のオアシスとして、気持ちよく過ごせる場所になるだろう「銀座ソニーパーク」の立地イメージ。地上部分はイベントスペースとして開放するなど自由に使える。
都心のオアシスとして、気持ちよく過ごせる場所になるだろう

情報発信をして人が集まる時代はすでに過去のもの。銀座の一部として開かれた場所に

銀座ソニーパークの模型。写真のように公園を囲うことはしないそう。どんな憩いの場になるのだろうか銀座ソニーパークの模型。写真のように公園を囲うことはしないそう。どんな憩いの場になるのだろうか

現社長の平井氏からは、建て替えにあたりひとつのキーワードを告げられたと話す永野さん。それが「inviting」。多くの人を招き入れなさいということだった。

「例えば50年前。インターネットなどなかった時代、ソニービルで何か情報を発信したらワッと人が集まるような状況でした。しかし、今は違います。たくさんの情報があふれているこの時代、ショールームの意義とは一体何だろうかと考えました。ソニービルを目的に来るのではなくて、銀座の街を歩いている人が気軽に立ち寄れるような空間、中に入ってみたらソニーが提案するプレゼンテーションに刺激を受けるような、街に開かれて、かつ多くの人を招き入れるような施設というものを目指す必要性を感じたのです。50年前に盛田が提唱した街に開かれた空間。そして50年後の今、社長の平井が我々に伝えたinvitingというコンセプトには通じるものがあり、それを具現化するのがパークであり、新しいソニービルだと考えています」(永野さん)

2018年に誕生する銀座ソニーパークは、散歩を楽しんだりお弁当を食べたり、お子さんを遊ばせたりするなど、普通の公園として自由に使えるそう。イベントも開催される予定だ。
「公園を囲うことはしません。囲うとinvitingでなくなるからです。公園も都市の一部なので、素通りするだけでも結構です。ソニーが考える『都市の中の公園』です。銀座の街に公園がたくさんあったら楽しいと思いませんか? いったん公園にしてから次のビルを建てる方法が面白い提案だと世の中に受け入れられ、同様のことをしてくださる企業様や団体様が増えたら街に緑が多くなり、素晴らしいことではないかと考えています」(永野さん)

次回は、パーク後の新ソニービル、銀座という街との共生についてご紹介しよう。

2016年 11月12日 11時00分