小さな集落ではじまった「飛生芸術祭」

こちらが飛生芸術際ディレクター 木野哲也さんこちらが飛生芸術際ディレクター 木野哲也さん

北海道の南西部、太平洋に面する自然豊かな白老町。2020年4月に、先住民族の文化に関するウポポイ(民族共生象徴空間)が誕生することでも話題だ。ウポポイでは、国立アイヌ民族博物館・国立民族共生公園・慰霊施設が整備されるという。

中心部から離れて山の奥に分け入ると「飛生(とびう)」という、10世帯にも満たない小さな集落が現れる。この飛生を舞台にした、各分野の若手アーティスト達による「飛生芸術祭」が始まったのは2009年のことだった。
飛生芸術祭でディレクターを務める木野哲也さんに話を聞いた。

「もともとは、この地区で廃校になった小学校を活用し、1986年にアーティストたちが共同アトリエ『飛生アートコミュニティー』を創立したのが始まりです。彫刻家の國松明日香(くにまつあすか)さんや、その仲間の家具作家や漆作家、音楽家など、複数のアーティストが集まって立ち上げたそうです。現在は創立メンバーの子どもたちの世代が受け継ぎ、制作活動を行っています。僕は國松さんの息子である國松希根太(くにまつきねた)くんと友達だったご縁で飛生に通い始めて、もう15年が経ちました」

この森には、黒くて大きな『トゥピウ』という鳥がいる

鬱蒼と生い茂った木々の中を抜け敷地に入ると、まず目に入るかわいらしい赤い屋根の校舎、これが旧・飛生小学校、現・飛生アートコミュニティーだ。
校舎がほぼ当時の趣のまま残っていることにも感動を覚えるが、輪をかけて素敵なのが、その周辺に広がる見事な学校林だ。

「この学校林にはたくさんの鳥が住んでいて、かつて生徒たちはみんな、同時に鳴く鳥の声を聞き分けられたと言います。しかし廃校後の学校林は放置されて荒れ果てて、人間が立ち入るには困難な状態になってしまいました。そこで、この学校林を切り開いて再び人が集える空間を作ろうと、2011年春から、地域や世代を超えて有志が集まり『飛生の森づくりプロジェクト』をスタートさせたんです」

彼らのような第二世代が第一世代と異なるのは、飛生という地区について掘り下げたり、ここにアートコミュニティーがあることの意味を考えたり、地域住民との距離を縮めたりといった、土地に根付いた活動を始めたことだ。森づくりもその活動の1つ。
実際、約1.5haの森の敷地は、荒れ果てていたとは思えないほど歩きやすく整備され、足を踏み入れるとまるで絵本の世界に迷い込んだような荘厳な空気に包まれ、自然と人を引きつける。

「トビウという名前はアイヌ語でふたつ語源があると言われています。ひとつはこの地域に多く生えている『ネマガリダケ(トップ)の多い(ウシ)所(イ)』という意味。もうひとつの語源として[北海道蝦夷語地名解]には『Tupiu 鳥の名、黒き鳥なり此鳥多きにより名く』と記されています。そこで僕らは『この森はトゥピウという大きな黒い鳥に見守られて、そこに集う人、暮らす人がいる』という仮説を立てました。その物語をベースに、イマジネーションとクリエーションの両方を膨らませながら森づくりを行っています」

その言葉どおり、ふと木を見上げると大きな鳥の巣が。これは彫刻家である国松希根太さんとアーティストの小助川裕泰(こすけがわひろやす)さんが、トビウの語源となった黒い大きな鳥の巣をイメージして作った森のシンボルだ。近くにはトゥピウが落としたとされる大きな鳥の羽もあり、さらに巣の中には木で作った卵が入っているというから心が躍る。

トビウの語源となった黒い大きな鳥の巣をイメージして作った森のシンボルトビウの語源となった黒い大きな鳥の巣をイメージして作った森のシンボル

芸術祭の成功には、地域住民の協力が不可欠

さて、「飛生芸術祭」とは校舎や学校林を会場として開放し、各アーティストたちが多様な表現を披露する年に一度の『村開き(森開き)』、すなわちお祭りだ。森づくりプロジェクトを開始した2011年からはさらに、芸術祭のオープニングとして「TOBIU CAMP」という新たな試みが加わった。

9日間の芸術祭の期間中、このオープニングの2日間だけはオールナイトで行われ、24時間、全天候型、360度の舞台となる。
「一昼夜森の中で過ごす、という経験はなかなかないですよね。TOBIU CAMPでは校舎の廊下でダンスが始まったり、森の木陰で誰かが楽器を奏でていたり、音楽、ダンス、演劇、影絵、人形劇…と時間や場所にとらわれず、そこかしこで何かが行われているわけです。この場では主役も脇役もありません。一人ひとりが、自分だけの物語を紡いでほしいと思っています」

そんな芸術祭の成功には、地域住民の協力が不可欠だ。
「町内会長さんが、とても応援してくれているんです。飛生地区は今、10世帯を下回る過疎地域ですが、そこに僕たちみたいな関係人口が10年も通って活動しているということで歓迎してくれているし、困ったことがあったら相談にも乗ってくれます。例えば、テントサイトには学校に隣接している2つのスペースを使用するんですが、2つとも地元業者さんからお借りする牧草地や農業用地です。地域の方々の協力がなければ、絶対にTOBIU CAMPは実現しません」と、木野さん。

逆に、町内のお祭りである「飛生祭」が行われる際には飛生メンバーたちも、当たり前のように設営などを手伝う。地域とのつながりが、お互いの存在をなくてはならないものにしているのだ。

TOBIU CAMPの様子。右は校舎裏の壁に土で描かれた作品(撮影:Asako Yoshikawa)TOBIU CAMPの様子。右は校舎裏の壁に土で描かれた作品(撮影:Asako Yoshikawa)

『のりしろ』のような『関わりしろ』を、どれだけ作れるか

2018年からは飛生だけにとどまらず、白老町内でも幾つかのアートプロジェクトが始まっている。
例えば、演劇カンパニー『指輪ホテル』が、白老町内で空いている教員住宅に滞在し、住民と共同で作品作りを行う活動だ。それ以外にも影絵アーティストやマレーシアのアーティストの滞在制作など、さらなる面白い試みに期待が膨らむ。
木野さんはその理由を
「芸術祭のためにこんな奥地までわざわざ1500人程の人が来るわけです。これってすごいことですよ。せっかく来たから周辺で温泉入ろう、新鮮卵買って帰ろう、おいしい魚でも食べよう、という気になるじゃないですか。それは旅の醍醐味だから、飛生地区だけじゃなくてもうちょっと町内を周遊してほしいって思ったんですね」と話す。

こうした木野さんたちの活動は、飛生、ひいては白老という名前を、北海道だけでなく日本中に広めつつある。
ただそこには「町おこしするぞ!」という熱い気持ちがあったというよりは、やりたいことをやっていったら今に辿り着いた、と言う方が近いのかもしれない。町への特別な感情も「少しずつ生まれてきた」そうだ。

「僕も、他の地域で行われている芸術祭を見に行くんです。すると小さな町ほど、おじいちゃんおばあちゃん、役場の職員、子ども、みんなで一緒に運営している。そこで、文化芸術の力ってすごいな、と思うわけです。忘れられた土地の可能性を呼び覚ましたり、あるいは同じ地域に住んでいてもずいぶん顔を合わせていない人同士の結びつきをもう一度強めたり。文化振興という大きな母船を町の基盤に敷くことで、その船に誰もが乗ってこれるはずだし、それが人の居場所を作ることにもつながる。『のりしろ』みたいな感じで『関わりしろ』と僕らは呼んでいるのですが、それをいかに作っていくかだと思うんです」

現在木野さんたちは、かつて白老町の産業として栄えた、木彫りの熊や民芸に関わっていた地域住民の話を聞く活動をしている。ピーク時には1000人以上いた関係者も今ではかなり少ないそうだ。

「でもまだ町内にいらっしゃってお話が聞けるので、地域住民とグループを作って一緒にヒアリングしているんです。すごく面白くて、それらの記憶を僕ら第三者がどう再編集・再構築し、再発信させられるかと考え続けています」。ちなみに2019年には町教育委員会が共催し、飛生芸術祭の会期中に合わせて『白老の木彫り熊とその考察展』が開催された。

「要は、当事者をどれだけ増やせるか、だと思う」と話す木野さん。人と地域との「関わりしろ」が大きくなればなるほど、そこを訪れる人は増え、少しずつではあるけれども変わっていく。

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◎筆者:くらしごと編集部 佐々木都

文化振興という大きな母船を町の基盤に敷くことで、関わる人を増やしていきたいという文化振興という大きな母船を町の基盤に敷くことで、関わる人を増やしていきたいという

2020年 03月21日 11時00分