かつての脱衣所が、ほとんどそのままレストランに

「とんかつ」の老舗として有名な「まい泉」。いまでこそ高級和食の仲間に入りつつある「とんかつ」だが、かつては昭和の胃袋をみたしてきた庶民の味。人気店の「まい泉」では「ヒレかつサンド」の人気も高く、そのネームバリューは全国区と言える。

その「まい泉」の本店が青山にあるのだが、実はこの本店の「西洋館」と呼ばれる建物、元は銭湯を改修したものだという。「飲食店の店舗に銭湯の建物が使われている?」 そのミスマッチさに思わず耳を疑ってしまいそうだが、実際に訪れてみると、これが実に雰囲気のある居心地のよい空間だから驚いてしまう。

なぜか昔の東京の銭湯は、社寺建築を模した建物が多くかなりの重厚感と趣がある。それが一見ミスマッチとも思える飲食店と元銭湯の融合を可能にしているのかもしれない。しかも西洋館では、改修にあたってあまり手を加えていないことから、ところどころ銭湯の面影が残っているのも面白い。

なぜ、老舗の飲食店で銭湯の建物が利用されているのか?
今回は、とんかつの老舗「まい泉」本店の秘話をご紹介しよう。

まい泉 青山本店の「西洋館」。このゴージャスな空間、実は元銭湯の脱衣所というから驚きだまい泉 青山本店の「西洋館」。このゴージャスな空間、実は元銭湯の脱衣所というから驚きだ

親子三代の贔屓客。語り継ぐかつての思い出

「まい泉」が誕生したのは、1965(昭和40)年のこと。有楽町の三井ビルの地下商店街に出店したのが始まりだという(三井ビル店は、現在ビル建替え工事のため休店中)。今でこそ和食の腕の立つ料理人が厨房に立つが、当初は主婦だった創業者・小出千代子氏が「家庭の奥様に代わって愛情ある高品質な料理を提供したい」との思いで興したお店だ。

それまで厚切りの豚肉をフライパンでソテーにする調理法はあったものの、油で揚げるという新しいスタイルに挑戦したまい泉の「とんかつ」は、瞬く間に人気を呼び、創業の2年後には日本橋三越本店のデパートに初出店。そして1978(昭和53)年には、現在の青山に自社ビルとして本館ビルを建設した。ただし、この本館ビルは銭湯をリノベーションしたものではない。実は現在の青山本店は、1983(昭和58)年に自社ビルと隣接していた銭湯の建物をつなぎ、改修したものになるそうだ。

ちょうど、現在の本店が完成した翌年に入社したという青山本店 阿部新一店長は、創業者や先輩たちの思いを振り返りながら、当時の様子を次のように語る。

「いまでこそ、青山、表参道はおしゃれな街になっていますが、当時、本店のあるこの通りは完全な住宅街、ほとんどお店はない状態だったと言います。私が入社した当時もこの通りにはコンビニが1軒あった程度、ですがありがたいことに地域の皆さんに愛されてお店は繁盛しました。お昼時になると長蛇の列ができたので、本店前の通りを地域の方は“まい泉通り”と呼んでくださってます」

住宅街だったこの場所も、時の流れとともに、アパレルやブランドの店が増えてゆき、隣接していた銭湯も閉めることになってしまったという。そこで、人気に後押しされて店舗の拡張を考えていた「まい泉」では、銭湯の敷地を譲り受けることに。しかし、取り壊しをするのではなく、銭湯の建物をほぼ活かしながら店舗への改装に踏み切った。そこには地域の思い出を残したいという創業者の思いがあったことを阿部店長は代弁する。

「まい泉は、地域の人に愛されてここまで大きくなったお店です。地域に密着した店でありたいという思いがあったと先代から聞いたことがあります。銭湯もとても地域の人達に愛された場所でした。私達の先輩も、お店終わりや休憩中にはよくこのお風呂に入っていたそうです。そんな思い出がある場所を、建て替えて無くしてしまってはいけない。できる限り残しておきたいと考えたんだと思います」

実際、お店には親子三代で通ってくださるお客様も多い。おじいさんがお孫さんに「じいちゃんたちは、昔ここで風呂に入っていたんだよ」と思い出話に花を咲かせながら、楽しく食事をしている光景が見られるという。

表通りから、わずかに覗く屋根もかつての銭湯の趣を残す(右上、右下)。建物の裏手には、現在では半分になってしまったがしっかりと煙突が残っている(左)表通りから、わずかに覗く屋根もかつての銭湯の趣を残す(右上、右下)。建物の裏手には、現在では半分になってしまったがしっかりと煙突が残っている(左)

かつての銭湯は社寺建築で、匠の技が生きた見どころも

では実際にとんかつ屋×元銭湯という稀にみる空間コラボレーションはどのようになっているのだろうか? その妙技を見ていこう。

本店のカウンターを抜けていくと表れてくるのが、元銭湯であり現「西洋館」の入り口。昔は私道だったという道を変えた内廊下を進んでいくと、見えてくるのが2つの左右対称の出入り口。これがなんとも特徴的だ。「男」「女」の入り口が分かれたかつての銭湯の面影が垣間見えるからだ。

入口をくぐって背面の壁を見れば、そこには古めかしいスイッチが並ぶ。今度は番台の名残りだ。
「空調や電気のスイッチを手元で扱えるように番台の背面の壁に配線が集まっていたんでしょうね。それをそのまま残しています」(阿部店長)

そして、中に入って驚くのは、まずはその天井の高さだ。ここはかつての脱衣所で天井には格子の木組みが並ぶ。これは「格天井(ごうてんじょう)」と呼ばれる社寺建築や書院造に用いられる技だという。

東京周辺の銭湯は、戦後社寺建築を模した建物が人気を集めたという。そういえば東京の人間が銭湯の玄関口を思い浮かべると、必ず出てくるのが「破風の小屋根」。確かに社寺建築の様相だ。なぜ、東京の銭湯が社寺建築を模していたかというと「極楽への入り口」をイメージしたからだという説がある。今でこそ銭湯も少なくなり、残っている銭湯もビルの姿が多い。しかし戦後から昭和の時代を謳歌したかつての東京の銭湯は、社寺建築の立派な建物が多かったようだ。

「天井の格子の端を見てください。S字にカーブが入っています。これはかなり高度な匠の技が必要なものだそうです。また木材が多用されていますが、よく見てみても釘は一切見えないんですよね。日本の伝統的な木組みの技が使われている。しっかりした建物です」(阿部店長)

白い壁に、立派な梁が横たわっているが、これも当時の銭湯のつくりをそのまま生かしているそうだ。もし今の時代に、これだけ立派な梁のある建物を建てることは、材料の調達という面からも実現が難しいだろう。

「銭湯の創業が分からないため、築何年かは分かりませんが、おそらく半世紀は過ぎているはず。でも、とてもしっかりした造りの建物だというのは感じます。東日本大震災を経験しましたが、あの日、あれだけの地震を経験しても実はお客様がなかなか帰ろうとされなかったんです。解放感もあるし、そんなに体感的にものすごい揺れを感じていなかったので『まあ揺れたけど、食事してから帰るわ』と言われるほど。テレビをつけて初めて、とんでもない規模の地震だったことを知って、安全のために建物から避難いただいたほどでした」(阿部店長)

西洋館の出入り口は左右対称の2つの出入り口がある。かつて男湯・女湯に分かれていた名残りだ西洋館の出入り口は左右対称の2つの出入り口がある。かつて男湯・女湯に分かれていた名残りだ

女湯・男湯は、それぞれ厨房に

もう少し「銭湯」の痕跡探しも続けてみよう。
入口の正面には柱時計が架かった茶色の柱があるが、よく見てみるとこの柱はタイル張りになっている。そう、ここから奥がかつては浴室だったからだ。

かつての浴室は現在厨房として利用されている。面白いのはこの厨房の呼び名。「女厨房」「和食厨房」という呼び方が定着しているそうだ。つまり、左右の厨房で用途が違うのだが、この左右を、銭湯時代の男湯、女湯の場所にちなんで呼んでいるという。残念ながら右側の男湯だった「男厨房」は、役割の名称が先行し「和食厨房」と名を変えたが、左側の元女湯は現在も「女厨房」と呼称されているのだとか。

また、西洋館の端には小さな池を持つ内庭が存在する。残念ながら東日本大震災で瓦の一部が落ちたため池に水を張らなくなったが、これも銭湯時代の名残り。女湯と男湯のそれぞれに内庭があり、改修時に男湯の内庭は通路に変えたが女湯の庭はそのまま利用し、鯉を泳がせていたそうだ。昔、ここが銭湯だったことを知る年配のお客さまは、この内庭が見えるテーブル席を予約する方も多かったという。

「昔を知るお客様からお声がけいただけるのは、やはり嬉しいですね。単に建物だけでなく少しでも何か大切な思い出をつながせていただいているのかと。壊してしまっていたら懐かしいお話を聞くこともできなかったでしょうから」(阿部店長)

社寺建築で用いられる「格天井」(左上)。角のS字の装飾は高い技術がいる匠の技。時計の後ろの大黒柱はタイル加工がなされている。ここから浴室となっていたためだ(右上)。現在は利用されていないが内庭も残されている(右下)。番台にあったスイッチもそのまま利用している。また館内のガラス戸などは新しくしているが枠は銭湯時代のものが使われている(左下2点)社寺建築で用いられる「格天井」(左上)。角のS字の装飾は高い技術がいる匠の技。時計の後ろの大黒柱はタイル加工がなされている。ここから浴室となっていたためだ(右上)。現在は利用されていないが内庭も残されている(右下)。番台にあったスイッチもそのまま利用している。また館内のガラス戸などは新しくしているが枠は銭湯時代のものが使われている(左下2点)

かつては、グランドピアノを置いてリサイタルも

井筒まい泉株式会社 レストラン事業本部 青山本店長 認定パン粉付マイスター 阿部新一氏井筒まい泉株式会社 レストラン事業本部 青山本店長 認定パン粉付マイスター 阿部新一氏

はじめは、「老舗とんかつ店の本店が元銭湯」と聞いて、ミスマッチ感を強く感じたのだが、こうして訪れてみると、天井が高く開放的な空間に立派な梁をはじめ木材を多用したつくり、なんだか歴史あるホールのような印象を受けた。

もともとは社寺建築でしっかりとしたつくりであるからこそ「西洋館」と呼べるような和洋折衷の雰囲気にも成功し、「とんかつ」の成り立ちを考えてもまさに相応しい空間と納得してしまった。

「この天井の高さは確かにホールのようですよね。実際に20年くらい前まではこの部屋にグランドピアノを置いていました。クリスマスになるとピアニストをお呼びして食事つきのリサイタルも行っていました」(阿部店長)

美味しい老舗のとんかつを味わうのはもちろんのこと、この場所に座っていることもまた愉しい。かつてここが元銭湯だったこと、銭湯の建造物がこんなにも贅沢な洋館になること、色々な視点から愉しむことができる。

人々が培ってきた思い出を大切に繋ぐ、まるで建物の息遣いが聞こえそうな見事な継承の仕方ではないだろうか。

■とんかつ まい泉 http://mai-sen.com/

2017年 05月30日 11時05分